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27歳で社長となった『ピザーラっ子』が語るピザーラストーリー

宅配ピザの「ピザーラ」などを展開する、私たち株式会社フォーシーズの事業拡大には、フランチャイズ店舗を経営してくださるFCオーナーの方々との連携が必要不可欠です。
今回は、「満足はずっと。感動をもっと。」を理念に、地元鎌倉を中心にフードデリバリー業を営む 有限会社ケイエイチアイ 代表取締役社長 中山 伸泰 様に、ピザーラ加盟のきっかけから現在までの、ピザーラヒストリーを語っていただきました。

有限会社ケイエイチアイ 代表取締役社長 中山 伸泰 様


有限会社ケイエイチアイ様 会社の歴史

1994年5月 先代オーナーが「ピザーラ鎌倉店」オープン
現オーナーの中山様はオープニングスタッフとして参加
1998年6月 鎌倉市由比ヶ浜に「寿司ヶ浜」オープン
2005年6月   中山様が代表取締役社長に就任
2015年7月 藤沢市に肉料理専門「肉はる」オープン
*現在、神奈川県下に、ピザーラ3店舗、自社ブランド3業態9店舗を展開中


初めてのピザーラ、衝撃的な出会い


私がピザーラと初めて出会ったのは16歳の頃でした。友人宅で食べた「カレーモントレー」。あまりの美味しさに衝撃を受けたんです。

「こんなに美味しいピザを作っている、ピザーラで働きたい!」

それがきっかけで、地元にあるピザーラ鎌倉店のオープニングスタッフとして仕事をすることになりました。ちなみに、ピザーラ鎌倉店は先代オーナーと淺野会長との学生時代からのご縁で、1994年に加盟・オープンした、弊社フランチャイズ1号店でした。

私はデリバリースタッフとして勤務していましたが、毎日本当に楽しくて、店長を中心とした仲間にも恵まれ、やりがいをもって働いていました。

ありがたいことに、ピザーラ鎌倉店は売上も好調に推移していたこともあり、その1年後には、2号店となるピザーラ江の島店をオープンすることとなりました。


先代オーナーに直訴、社員としての第一歩


ピザーラ江の島店がオープンする頃には、私はインストア業務も担当しており、店長が不在の際には代行営業も任されていました。そんな中、オープン直後は好調であった売上が、次第に低迷。低迷する状況を見ていた私は、居ても立っても居られなくなり、「私が店長となって、江の島店の売上回復に貢献したい!」と、便箋5枚に思いを込めて、先代オーナーに社員登用を直訴したんです。

その直訴を受け、ある日オーナーから寿司屋に誘われました。そこでは、社会人としてのイロハ、特に「責任感」についてたくさん話をいただきました。

「本当に店長としてやっていく覚悟があるのか」

当時18歳になったばかりの私には、この「覚悟」という言葉は非常に胸に来るものでした。「社会人としての一歩」を踏み出そうとするこの時の事は、今でも忘れません。

そして晴れて、ピザーラ江の島店の店長として、正式に社員登用していただくこととなりました。

ピザーラ本部では、店長の認定制度が整っており、入社後すぐに「ピザーラ店長研修」を1ヶ月かけて受講しました。店長研修では、ピザーラの理念でもある「価値あるおいしさ」を店舗で具現化できるように、2週間かけて商品の知識・技術を学びます。

その後、ピザーラ店舗をマネジメントする店長としての基礎を身につけ、最後の見極めとして、研修店舗での店長代行営業を教育担当のトップに見てもらうこととなっており、私は無事研修期間内に合格することができました。特に研修では、宅配ビジネスには欠かせない「チラシ戦略・戦術のノウハウ」が非常に役に立ちましたね。
 
店長研修後、ピザーラ江の島店に戻り、培ったチラシ戦略・戦術(特にポスティングのノウハウ)を元に、徹底的にエリア分析を行いました。そして、ピザーラの根幹となる商品力の向上を中心として、スタッフと共に以下の取り組みを徹底的に行った結果、見事に江の島店を立て直すことができました。

<特に取り組んだこと>
・ポスティング全世帯配布
・安全運転をしながら、1分1秒でも早くお届けすること


27歳で代表取締役社長に!


ここまでは順風満帆なピザーラ人生…に見えると思いますが、実は私が2店舗のマネージャーになった時、組織が崩れスタッフがいなくなってしまう苦労を経験しました。私は前段の通り、とにかく収益を獲ること、サービスを向上させることを優先して、日々スタッフと接していました。

ある年のクリスマス、一番の稼ぎ時の日にスタッフがシフトに入ってくれず、結果、その日の営業はお客様に大変なご迷惑をおかけした日となってしまいました。その際、仲間から言われたのは、「中山は、正しいことを正しく言い過ぎ」ということ。収益を獲ることを優先し過ぎたことで、スタッフが仕事にやりがいを感じず、嫌になってしまったんでしょうね。

それ以後は、攻めつつも「人を大切に」してスタッフと向き合って営業を進めていくようになりました。先代オーナーは「乗せ上手」で、ピザーラに入るまで褒められることが少なかった私は、先代と一緒に仕事をする中で、たくさん期待をかけてもらいました。その「スタッフのやりがいを作り気持ちを乗せていく」姿勢は、先代から学んだこととして今でも大切にしています。

そして私が27歳の時、先代の体調面もあり、代替わりのお話をいただきました。自分自身、「代表取締役社長」という責任重大な任務に不安はありましたが、このようなチャンスは2度とないと思い、何よりもピザーラが大好きな私に断る理由もなく、ありがたく承りました。

アルバイトから社長になり18年が経ちました。この期間、苦しいことも多々ありましたが、家族のような仲間に支えられ、若い可能性にもたくさん助けられ、あの時頂いたチャンスに本当に感謝しております。会社を前進させることは、お客様に感動をお届けする機会を増やし、仲間を幸せにすることに繋がると思います。

ある年、ピザーラ本部から、江の島マリーナでの大型イベントへのキッチンカー出店の紹介をいただきました。ピザーラ独占での出店であったため、全スタッフで1週間ほど営業を行いました。

そのイベント開催時、わざわざキッチンカー出店を労うために、ピザーラの淺野会長が来場されました。私が代表取締役社長になった後、初めてお会いしたのですが、その存在感、FCを大切にされる気持ちを体感した時、改めて自分がオーナーとして、淺野会長、ピザーラ本部と付き合っていく立場になったんだと、身が引き締まる思いをもったことを思い出します。


「一緒になって考え動く」、ピザーラ本部との強いつながり



淺野会長を始め、ピザーラ本部が他のフランチャイズチェーンと比べて異なる点があります。それは「FCと本部の距離が近く、連携が強いこと」、そして「担当するスーパーバイザー全員がピザーラが好きであるところ」です。

26年間で何度も売上が伸び悩む時期がありましたが、そんな時、スーパーバイザーに相談を入れると、一緒に原因・対策を考え、行動を促進させてくれました。逆に、スーパーバイザーに少し反発していると、売上がうまく上がらないことがほとんどでした。
 
元々ピザーラには、圧倒的に信頼できる商品力とビジネスモデル、何度も危機を乗り越えてきたプロモーションがあるので、我々はサービス力を磨き上げ、売ることだけに集中できます。

売り方はスーパーバイザーのアドバイスが一番正しいと確信しています。 その成果もあり、毎年夏・冬に行われる、売上・サービスの優秀店舗が表彰される「ピザーラFCキャンペーン」にも何度か選んでいただきました。

それ以外にも、本部とのつながりは強く、一緒に食事をしながら昔話をするのが、本当に居心地がよいので、コロナ禍に入る前は良く食事に行って、コミュニケーションをとっていましたね。 


今後のテーマは「リビルド」


ピザーラでは、年間に2回、フランチャイズ向けの戦略会議が開催されます。そこで聞いた淺野会長の「唯一、生き残ることができるのは、変化できる者である」という言葉が強烈に頭に残っています。

このコロナ禍において、ピザーラを始めとしたフードデリバリーを運営している我々は、経験したことのないくらいお客様から感謝され、今まで何度チャレンジしても届かなかったお客様からのご注文をいただくことができました。
 
地元ではデリバリーの老舗である、我々ケイエイチアイ社員・スタッフが、変化を恐れず、お客様のニーズに全力でお応えしていくことが、今後の軸になると考えています。

現在、ケイエイチアイでは、30周年に向かう中で、今まで以上に「仲間たちが健やかに働けるお店」にすることを実現するために、労務環境を見直し、仲間たちが成長できる環境を作っています。

これから先も、新たな会社づくりのテーマとして「リビルド」と題して、新たなチャレンジ、環境整備を行い、地元に対して様々な貢献をしていきたいと考えています。