囚われの姫君の物語

 かつて、誰も見ることを期待しないブログに文章を書き散らしていたことがありまして。その時に書いたものを唐突に思い出したので、サルベージしてみることにしました。何となく、当時思っていたことと重なることがあるのかもしれません。


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「わたしはね、この部屋に囚われているような感覚に陥ることがあるの。」

 その姫君と出会って間もない頃、彼女の口からこんな台詞が発せられ、驚いたことがある。
 その部屋は、囚われた人が住むには端正に過ぎた。調度品も完璧だった。室内は無駄が一切省かれていて、それでいてなんの不足もなかった。優雅で美的な生活を体現したような部屋だった。運ばれてくる夕食が豪勢であることを想像させるに充分な部屋だった。
 僕は、その部屋で姫君に詩をうたって聞かせる役目を担っていた。それまで誰からも見向きされなかった吟遊詩人だった僕を、この姫君がどこだかで見つけてくれて、以来定期的にこの部屋でうたうように依頼されたのだ。
 人に頼まれてうたうのは、初めてのことだった。


「わたしが好きなのは、あなたの言葉なのですよ。」

 姫君はそういってくれた。楽器や歌ではなく、勿論容貌などでもなく、うたう言葉が好きなのだと。
 それは僕の感謝の気持ちを減ずることには全くならなかった。僕のうたに対する、初めての具体的な評価だったから。その評価に応えるよう、精一杯うたった。それは何ものにも代え難い喜びだった。

 姫君は、僕のうたう言葉の中に、世界の成り立ちや真理のようなものを読み取っていたようだった。彼女は聡明で、僕自身が気づかなかった意味をうたの中に見いだし、僕のうたをさらに豊かなものにしてくれた。おそらく、うたっている僕以上に、そのうたの意味についてよく理解していたのだろうと思う。
 そうして、普段部屋から出ることがないらしい姫君は、部屋にいながらにして僕のうたを通して世界に繋がっていった。おそらく、うたっている僕以上に、世界についてよく知っていただろうと思う。それは僕にとっても喜ばしいことだった。


 だが、僕がその部屋でうたうことになっていたある日。
 部屋の扉をあけると、いるはずの姫君は忽然と姿を消していた。

 もともと物の少ないその部屋は、その時も同様にきちんと整頓されていた。
 丁度姫君の行き先を判別できない程度に、部屋は以前のままの姿でいた。姫君の行き先を暗示するものは何も残されていなかった。けれど、姫君は何らかの用事で席を外しているのはなく、姿を消したのだということが、その部屋のありようが示していた。それ以外の想像を部屋が拒んでいた。

 姫君の行き先は、僕にはわからない。行き先についても消えた理由についても、推測するための手がかりを全く残さずに、彼女は消えて行った。
 そういう風に消えたことそれ自体が、彼女の優しさをこれ以上なく端的に表しているようも思える。

 姫君が自ら囚われの身から脱して自由を手に入れたのであれば、それは喜ばしいことだ。あるいは、どこからか素敵な王子様が現れ、姫君の手を取って連れ出したのかもしれない。それはそれで素敵なことだ。
 そして僕のうたが、彼女に外の世界について知らしめ、外へと踏み出すための知識と勇気を与えることに繋がったのであれば、こんなにうれしいことはない。

 けれど、僕につきつけられたのは、姫君が消え去ったという厳然たる事実だ。


 姫君が笑顔になってもらう第一の役目は、常に僕でありたかった。もしかしたら、少しはその役目を果たせたのかもしれない。
 けれど、姫君が笑顔であり続けるために必要なのは、僕などではない。たぶんそれは、売れない吟遊詩人に過ぎない僕が望んではいけないことなのだ。

 そうして、誰もいない豪奢な牢獄の前で、僕はひとり残される。



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