能力値の歪さが花開くという夢

 最近は海外サッカーからすっかり遠ざかってしまっているが、地元クラブであるコンサドーレの試合は9割がた見ている。今は専らDAZNでだけど。
 東芝が札幌に来たときから見ているので、吉原宏太氏がルーキーのときも知っているし、バルデスやウーゴ・マラドーナ、エメルソンやウィルも当然見ている。そこまでコアでガチなサポーターではなく、ゴール裏に行ったことはないけれど、長年見ていることは間違いない。サッカーにものすごく詳しいわけではないけれど、それでも見ている。

 そんな僕の、歴代札幌在籍選手のなかで最も好きだった選手が、引退を決めたとの情報が入ってきたのは、もう何日も前のことだ。

 そう、前田俊介。サッカーに詳しい人ならよく知っていると思う。僕などより遥かに詳しく。 
 なぜこの選手が好きだったのかというと、多分僕が最もサッカーを見ていた時期が、バッジョだのゾラだのベルカンプだのが活躍していた時代だったことと関連しているのだろうと思う。そういう雰囲気を、歴代札幌選手の中で最も色濃く持っていたのが、僕にとってはこの選手だったのだ。
(いや、小野がいるだろうという指摘があるかもしれない。けれど、僕にとっては小野ってもう少し後ろでプレイするイメージで、だからちょっとジャンルが違う選手なんですよ。もちろん、素人の判断に過ぎませんが。)

 前田という選手は、秀でた部分と欠けている部分がはっきりと分かれた選手だったと思う。とりわけ、運動量については期待できないタイプの選手だった。おそらく、現代のサッカーでは必ずしも重宝されるタイプではない。けれど、その秀でた部分の魅力はやっぱり僕にとってはこれ以上なく魅力的だった。
 というより、そのできることとできないことのバランスの悪さこそが、僕にとっては魅力として映ったのかもしれない。



 ここで話は変わる。僕の音楽における体験の話だ。

 僕がこれまで所属したビッグバンドで、リーダー的立場にいたプロとしての経歴があった人が、図らずも同じことを言っていた。次のような内容だ。

「楽器を同じブランドで揃えて音色の統一感を図るとか、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。それぞれの奏者の個性をきちんと表出した上で、それらがブレンドされることでバンドとしての独自の音になるのだ。」

 なるほど、と思った。と同時に、自分にとっては救われた気分にもなった。

 10代の頃はオーケストラでトランペットを吹いていたのだが、どうしても自分の音色が王道のオケラッパから遠かった。元々ベートーベンやブラームス、ブルックナーあたりより、ラヴェルやドビュッシーが好きだったこともあるのかもしれないが、それでも運命をさらったりすると「らしくない」感が満載だった。
 ついでに言えば、ハイノートがめっぽう苦手だった。それは、そもそもハイトーンに興味がなくて練習をしなかったこともある。今もそうだが、学生時代は特に音色重視で、音域を広げる訓練は全くしなかった。練習量が減った今ではさらに自由に扱える音域が狭くなり、譜面の要求になかなか応えられなくて悩むことも多い。
 無論、それは自分の実力の限界である。一人の奏者としてはより修練を積む以外にない。

 けれど、聴く側として面白かったのは、「その曲らしさ」だけではなく「その人らしさ」が聴けたときでもあった。譜面をしっかりと演奏し、その楽曲の持っている魅力を存分に表現するだけでなく、演奏者の個性が遺憾無く発揮される演奏の方が面白いのではないか。そういう方向から演奏を考えることもできるのではないか、と思っていた。
 ジャズをするようになった理由として、こういった意識が明確にあったわけではない。さらに言えば、ジャズはジャズで学ぶべき文法のようなものがあることも間違いなく、「個性」だけが全てだとも決して思わない。けれど、奏者の個性により重きが置かれるジャンルであるようには思っている。
 その中で、アンサンブルが比較的重視されるビッグバンドでも、統一感より多様な個性の相互作用を重視する声が聞かれるというのは、僕にとっては本当にありがたいことだった。ある種の技術に難を抱える僕でも、何か役割があるのではないか、自分のできることをもっと高めていくことで達成できることがあるのではないか。そう思わせてくれたからだ。


 大層烏滸がましい話だが、僕は前田という選手に自分の立場を重ねていたのかもしれない。
 自分自身ができることとできないこと、それだけでなく僕の場合はやりたいこととやりたくないことの間に極端に差があり、そのために舞台に立てる機会が制限されてしまう。そういう自分自身の置かれた状況と、稀有な才能を持ちながらなかなか十分にその才能を発揮しきれていない彼の姿を重ねて、彼の「できる部分」が最大限に発揮されることを祈っていたのかもしれない。

 繰り返すが、僕の音楽における才能は、サッカーにおける前田のそれには遠く及ばない。だから、彼と比較することは、彼にも他の選手にも失礼なことだろう。

 でも、だからこそ思うのだ。なんで僕と違ってあそこまで才能がありながら、それを十全に生かす状況が作られないのか。ビッグバンドのリーダーたちが思っていたように、彼の個性と別の個性が融合して、全体としていいチームを作ることはできないのだろうか、と。
 もちろん、それが難しいことはわかっているけれど。

 


 きっと、僕は夢みがちなんだろうと思う。
 できることを着実に計画的に実現していくというより、自分には手の届かないものに対してこそ憧れを抱いてしまうのかもしれない。
 今も、手の届きそうもないことに焦がれてやまない。
 それはとても辛いことなのだけれど、もう仕方ないことなのかもしれない。


 夢見ついでに言うなら、前田にはいずれコーチとして札幌に戻ってきて欲しいなあ。彼自身のような選手を育成してほしい。誰もが思ってるんじゃないかとも思う。

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