万年筆で書く線、または自分を構成するものについて
1
万年筆を新調しようと思ったのは、ほんの数日前のことだった。
仕事でほんの少しだけ、自分が書いたメモ書きのようなものを相手への保存用として渡すことがある。メモ書きとはいえ相手に繰り返し見てもらいたいものであるため、できるだけ綺麗に描きたいと思っている。
その際に、万年筆を使っている。
その万年筆は、僕が初めて買ったものだ。
そんなに昔のことではない。文房具好きの知り合いに影響を受け、せっかくだから一緒に買いに行こうということになった。手頃な値段のおすすめの一品を教えてもらい、書き具合を確認しながら選んだものだ。それ以来、軸のデザインがたいそう綺麗なこともあり、気に入って大切に使ってきた。セイラー万年筆の「四季織」の一つだ。
ただ、万年筆初心者の僕にはそのとき気づかなかったのだけれど、使っていると、どうも線が太いと感じるようになった。それはそれで魅力があるのだけれど、相手に渡す保存用のメモ書き(こう書くと謎の書類すぎる)を書く上では、やはり最適ではないのかもしれないと思うようになっていった。
その後、仕事の関係でとあるデスクペンを指定され、購入することとなった。手持ちの万年筆よりさらにさらに安いものだったので、特に深く考えることなく購入したのだが、いざ書いてみるとこれが実にいい具合。なんだこれ、書いてて気持ちいい。それに字がうまくなったように見える。一体どういうことなんだ。…と、ものすごくびっくりしたことを覚えている。
ちなみに、同じ仕事の関係でもう一本のお手頃万年筆を指定され買ったのだが、そちらは自分には全く合わなかった。さすがに、どのメーカーのどういうモデルか、名前を出すのはやめておく。
ともあれ、その記憶があったため、手元の万年筆より細めの線が書けて、しかもあのデスクペンの書き味に近いもの、そしてデザイン的に魅力的な一本、それが欲しいと思うようになったのだった。
その物欲は、どういうわけかあるとき突然、強烈なものになった。つい先日のことだ。
2
そうして、仕事の合間の時間を見計らって、地元で有名な大型文具店に赴き、かのデスクペンと同じメーカーのものを試し書きすることに。
全てのものを試し書きできるわけではなさそうなので(言えば試させてくれたのかも。そういえば最初の一本もそうだった気がしてきた)、とりあえずサンプルとして置かれているものでやってみる。狙いは細字のペン先。
複数メーカーのサンプルがあったが、やはり件のデクスペンと同じメーカーのものが感触が似ていてよい。そして、やはりペン先は極細が今の自分が望む感触に最も近い気がする。売り場のお姉さんは「カリッとした書き味ですよね」と言っていたが、まさにそんな感じ。ただ、カリッとすると同時にぬるっとする感じもして、それも望んでいた感触に近い。
そうして、売り場のお姉さんにモデルの違いなどについて聞いた後、最終的にこの一本を購入することにした。
パイロットのカスタム74。
定番として多くの人に使われているらしい。
本当は、このモデルの木軸のものがあって、そちらとものすごく迷ったのだが、木軸だと極細が選べないこと、加えてお値段がやや張ることから、写真の通りシンプルな樹脂製のものを選ぶことにした。
いやーでも木軸いいよなあ。愛用シャーペンの一つがピュアモルトのキャップ付きなのでなおさら。いずれ万年筆でも木軸使ってみたいなあ。
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購入した以上は、特に利用もなく使ってみたくなるもの。仕事を終えて自宅で早速試し書きをしてみた。
僕はやや小さめの字を書くため、やはり細字のほうが書きやすく感じる。線を引いたときの感触も気持ちいい。実を言えば、書き味という意味では先のデクスペンのほうが感動は大きかった。だが、デスクペンは軸が細くて長いので、ちょっと持ちづらいという欠点であった。対して、今回買ったものはやや太めで、重さもある程度あり、持っていてちょうどいい。
なんだか書くのが楽しくなり、特に意味もなくひたすら書き続けていた。
ふと、これまで使っていたものと比較してみたくなった。
やはり、これまでのセイラーのやつはやや太めの線(といっても太いというほどでもない)なので、書く字を大きくしなければならない。そこはちょっとだけ不便さを感じた。ただ、万年筆を使い慣れていなかったため、筆圧が強いということも影響しているのかもしれないと思った。カチッとした字を書こうとせず、するすると流麗な字を書くイメージで万年筆を滑らせると、これまでとは違った書き味を感じることができ、しかも筆跡も綺麗に見えるような気がした。
どうやら、僕はまだ万年筆を使いこなせていなかったらしい。ちょっと道具に申し訳ない気持ちになった。
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ともあれ、さまざまな場面で使うには、現状では新しいパイロット製のほうが使いやすいとは思う。
けれども、これまで使っていたセイラー製のものにも、ものすごく愛着がある。何といっても、初めて所有した万年筆なのだ。それに、自分に文房具への関心を目覚めさせてくれた人に選んでもらった、大切な思い出の品だ。その人に比べると、マニア度では全く及ぶべくもないが、それでも元々「もの」やデザインに対してそれなりに関心があった僕に、そうかそういう分野もあるかと発見させてくれた。そういう様々な意味での出会いを象徴する一本なのだ。
僕はこの、最初に手にした万年筆を手放すことはない。仕事での使用頻度は下がるかもしれないが、時折手にとって、その書き味を確かめるとともに、思い出を噛み締めることにしたい。
道具は自分の身体の延長。楽器を演奏する立場だから、その意味はある程度わかっているつもりだ。誰かに伝わる自分自身は、その道具を通して現れるのだから。だから、道具選びとお手入れは大切だ。僕はつい、そのお手入れをサボってしまうのだけれど、最近は意識するようにしている。僕は様々な道具を通して僕でありつづけるのだから。
ということは、僕は僕以外の人間の手を通して作られている、ということでもある。自分で使う道具を全て自分で作っているわけではないのだから。あるいは、道具を通して自分自身を理解していく、といってもいいかもしれない。道具は使用するものに使われるという一方的な関係なのではなく、相互的な関係なのだろうと思う。
もちろん、それは道具という場面に限らない。今の僕は、僕と強く関わった人によってできている。
万年筆についてあれこれ考えたりするのも、僕が僕以外の人と関わった証しだ。だから、こういうことをあれこれ考えたりする時間を大切にしなくてはならない。それはもうすでに、僕の一部になっているのだから。
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