終わりの日。いつか、訪れるその日。
始まりがあれば終わりがある。
出会いがあれば別れがある。
生あるものに等しく訪れる「死」。
生命の終焉について考える。
私は義母と同居している。
間もなく米寿を迎える義母は、足腰が弱く、外出は車椅子。
昨年は腰をひどく痛めて、入退院を繰り返した。
認知症持ちで、季節や時間の感覚が薄れつつある。
テレビと照明のリモコンは、ボタンが多くて、どこを押したらいいのかわからない。
幸い、よく食べて、よく寝るのだけは忘れないでいてくれるため、今は同居が可能だ。
でも、いつどうなるかはわからない。
古風な人で、礼節を重んじる。
「今日もありがとうございました」と、私に毎晩頭を下げる。
小学生になった長男、長女より、いまは義母と関わる時間が増えた。
主人は長男だ。
義母にもしものことがあれば、葬儀をとりしきるのは主人。
もちろん、私も他人事ではない。
このまま平穏な日々がいつまでも続くことを願う一方、終焉についても考える。
大切だからこそ、目を背けずに考えなければと思うのだ。
死を考えることは、生を考えることだ。
私は、この世に生まれて35年。
たかだか35年でも、人生にはさまざまな出来事があった。
多くの人と出会い、別れ、今がある。
青春時代の経験。
社会人になって、得た学び。
結婚して母となり、知った愛情。
かけがえのない思い出、素晴らしい出会い、全てこの身に刻まれている。
私の人生は私のものだ。
それと同じように、みんなそれぞれの人生を生きている。
でも、いつかは等しく「死」という静寂に包まれる。
いつ、どのようにしてその時を迎えるのかはわからない。
でも、遺された者の務めとして、気持ちよく旅立たせてあげたい。
葬儀は、誰のためのものなのか。
故人のためと言いながら、残された遺族のための儀式だというのは、とても納得の行く話だ。
せめてものはなむけに、ありったけの思いを。
今生の別れにふさわしい、旅立ちの場を。
私達ができることは、葬儀を通して故人と向き合い、敬意を持って送り出すことで、気持ちに区切りをつけることなのだと。
今ならわかる。
四年前、祖父が亡くなった。
喪主は、長女である私の母だ。
祖父は、とても大きな人だった。
大正末期の生まれながら、身長が178cmもある。
姿勢がよく、背筋がしゃんと伸びているから、80歳を過ぎても、公共交通機関で席を譲られることはなかったそうだ。
半年間の闘病を経て、祖父を送り出したあと、母は思ったそうだ。
悲しいけれど、寂しいけれど、できるだけのことはしたから、悔いはないと。
祖父は、ケチケチするのが嫌いな人だった。
みんなで食事に行くと言えば、寿司や天ぷらを気前よく振る舞った。
「俺が払うんだから、ケチケチするな」と、豪快に笑った。
そんな祖父だから、母は葬儀にこれでもかというほど、惜しみなくお金を掛けたそうだ。
祭壇には、ユリやランが豪勢に並び、通夜の食事はみんなが目を見張るような内容とボリューム。
来る人来る人に、「立派だね」「頑張ったね、よくやったね」と声を掛けられたそうだ。
母はきっと、祖父の思いを誰よりもわかっていた。
お金がどうのという話は、ひとまずおいておく。
母は、祖父を送り出すのに当たって、祖父の意思を尊重して、最大限の手を尽くした。
生前も、往復3時間掛けて、週に2〜3回は身の回りの世話に行っていた。
悔いはない。
その境地に至れるのは、幸せなことだ。
悔いはないと、言えるようになりたい。
私もそう在りたいと、強く思う。
いつか訪れるその時のために。
私達は粛々と心の準備を進めている。
今日、いわゆる「終活相談」に初めて行ってみた。
パンフレットをもらい、一通りの説明を受けて、見積もりを出してもらった。
葬儀屋の担当者の方の話を聞きながら、私は義母に思いを馳せた。
これは悲しいことではない。
いつかやがてその時が来ることを知っているから、悲しみに押しつぶされないためにやっているのだ。
死を思うことは、生を思うこと。
今ある命を生きること。
日々を精一杯、生きること。
生きることは、向き合うことだ。
終わりの日。
いつか訪れる、その日。
その時を恐れずに向き合うことが、私達にできることではないか。
「死」を思いながら、「生」を思う。
深く、そんなことを考えた。
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