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コミュニティについて考えると「個々の立ち位置をはっきりさせよ!」っていう、社会的ポジショニング論になるんだなぁ。というnote

最近、コミュニティについてよく考える。
それは、対談で実施したライターチームについてであったり、ツイッターのオンライングループのことであったり。

コミュニティをデザインするのは難しい。
ライターチームの対談トークを通して感じたのは、自分の不甲斐なさ。

経験の浅さ
ライターとしてのスキルの無さ
コミュニケーションの難しさ

それでもまとめ役として機能しなければいけない責任がある。

グループを束ねていくには、勇気と思い切りの良さが必要だ。
迷えば進路がわからなくなる。
道がわからなくなれば、急にコミュニティはまとまりが無くなり存在意義すら薄れだす。

どうしてなのか。

望まないだろうに、ふわふわとした雰囲気になるとちりぢりになってしまう脆さを持っているのは。

一度話が途切れると、発言するのにとんでもない勇気が必要になるのは。

オンラインサロンのようなものに2つ、入ったことがあるけれど。
多人数の個人を束ねていくというのは、とても大変なことだと思う。
モチベーションを保ち続けること、継続して話題を提供していくことがこんなにも難しいのかと、今更ながら感じた。

そして、組織がうまく機能しないことを考えていくと私がたどり着くのは「社会的ポジショニング論」という考え方。

社会的ポジショニング論。
それは、現在執筆中の電子書籍で掲げるテーマであり、私が考えだした言葉だ。

「社会的ポジショニング論」とは?
社会には私達の居場所があり、役割が備わっているということ。
私は家庭という社会において、主婦であり母である。
その役割を日々こなし、家庭での安住を得ている。

私がいることで家庭は健全に機能する。
もちろん、他の誰が欠けても今の形にはならないわけで。
「5人家族」の我が家には、それぞれの大事な役割がある。

コミュニティの中で各々が力を発揮していくためのライフハック。
社会的ポジショニングを理解することが、一つの解決策だと私は感じている。

次に、社会の中で役割を持ったとき、どうすればよいのか?

世の中には
「はまり役」
「適材適所」
という言葉があるが。

実際には、そうはいかないこともある。
余り物、おまけ、そんなポジションにつくことだってある。

そんなとき、腐ってばかりいたらどうだろう。
おそらく、それはコミュニティのためにならないし、何より自分を下げるばかりだ。

望まないポジションだったとしても
不向きだと思っても
あらゆる場面で自分らしさを発揮するためのライフハック

それが「自分フラグ」の活用。
コミュニティの中で、私はどういう存在なのか?
なにができるのか?
どのようなことが得意なのか?

明確に示すことで、コミュニティの中で動きやすくする。
ちなみに、自己紹介こそもっともわかりやすい自分フラグの形だ。

「四葉かなえと申します。主婦ライターです。よろしくお願い致します」

たった30文字前後の言葉でも、あると無いでは大違い。
自分フラグを意識し、必要に応じてアピールしていくことであなたの特性は周囲に認知されるようになる。

常に叫ぶわけではない。
さり気なくフラグを立てておく。

このアクションが意外とじわじわ効いてくるのだ。


こちらに関する詳しい話は、次作の電子書籍にて。
発売時期は未定ですが、秋には出るといいなあ。
現在執筆中。

こうご期待でございます。

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