日記-都知事選が終わった
7月7日
朝一で投票所へ向かった。すれ違う人は誰に票を投じるのだろうと思いつつ、何だかその時から悪い予感しかしなかった。
選挙の時分は、路上もSNSも露悪的な言動が蔓延っていて苦しくなる。早く終わってしまえば良いのにという本音を抱きつつ、とは言え一丁前に一抹の期待を持ってある候補者の動向を追っていた。
これほどまでにエコーチェンバーの好例になる事例はないのではなかろうか、誰を支持しているのにも関わらず、多くの人が接戦を思い描き、自身がその一押しを担うとありもしない妄想に明け暮れたのではなかろうか。
夜8時、一瞬で明らかとなった結果に、呆然と閉口する他は無かった。
私が票を入れた候補者にも感謝している。負け戦を覚悟しながらも、周辺化された「私たち」の声を代表しようとしてくれたのだ。これだけ差がついているからには、おおよそ候補者周辺で結果は見えていたのだろう。誰でにも言えるが、勝算が薄い中で、これだけ罵詈雑言を浴びながらやっていくのだから。
私が票を投じた候補が当選に繋がった試しなどないし、その意味ではマイノリティはどこまで行ってもマイノリティという自覚もある。多数決では、弱者が置かれた苦しみなど代表される訳が無い。圧政をのらりくらり躱しながら生きていくしかない。ただ個人の位相では限界がある、名も知らずの誰かの苦しみは誰が救うのか。どこに責任があるのか。
少なくとも、メリトクラシーの高まりを見せる東京は、ますます弱者を切り捨てる。強い立場は自分の履いている下駄に気付かないし、弱い立場のものもより脆弱な存在を虐げて自分は強者なのだと思い込む。何年か前にも、そして身近なところでも、こういう傾向はあからさまに見られた。
7月8日
暑さで一層体が重いし、寝起きは絶望的な気分だ。来週は3連休、それがせめてもの気休めだ。自分は自分で周囲の人のために、病まずに生きていかなければならない。どうしたものか。
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