日記-通勤電車の生態
ある朝、出勤の時の電車の生態
通勤の電車内、ふと私以外の人間はどのように感じているのだろうと思い立った。私のように、半分リモートで、毎日の出社は免除された存在もあれば、出社以外のオプションの無い人もいる。当然、オフィスでの仕事を望む人もいるので、一概に出社がネガティヴに働くということもないが、とは言え、大のオフィス嫌いの私からするとやはり出社に意欲的な人間の価値観は全く異質で、それ故に関心がある。
ふとある日、手元の文庫本ではなく、周囲の人の様子を観察してみた。電車にはぎゅうぎゅうに押し込まれた人の群れ群れ、比率で言うと男性が7割ほどで多めに。半数以上はスーツを身にまとい、ある種典型的な日本の通勤風景を作り出している。
ところで、通勤時の人間は何をしているのか。大多数はスマホ片手に、狭い画面に無心に向き合っている。一様に、現実逃避というわけではなく、画面上には自己啓発系のコンテンツが映し出され、知識取得に勤しんでいる場合もある。満員電車の中では、人の顔が背後すぐそこにあることも多く、自信が見ている画面や本が丸見えになることが多い。一瞥でも人に見られているという意識はあるにしろ、後者のような通勤時でさえ勤勉に振る舞う人間が過半数以上見られたことには驚きだった。
勤勉とワーカホリックは紙一重で、この過酷な環境下で働く異様な熱意は私にはどう考えて良いものか分からなかった。ふと、分厚そうな自己啓発書に目を落とす、私より若い男性に気付き、少し苦しくなった。精神虚弱な人間に満員電車の環境はあまりに有害だ。
ある夜、退勤の時の電車の生態
帰りが遅くなり、10時に近付こうとする電車の中では、まばらな会社員が少し余裕を取り戻した表情で座っていた。この時間になると、会社員の構成比も下がり、学生や観光客の活気も混じった空気となっている。
不思議と、夜は朝の熱気とは異なる、若干の平和な雰囲気。本を手にする人数も増え、中にはゲームをしているのかスマホ片手にい口元の緩む様子も見受けられた。やはり、仕事へ向かう過密さが、良くないのだ。こちらでなら、ちょっとしたジョークも許してくれそうな予感がある。
横並びの表情は緊張感が緩み、一時の休息を味わっているようであった。
どうにも、この通勤の風景が日本のマッチョ労働とも形容される異様な労働社会を作り出しているのではないかと思われた。特に朝は嫌な場面をたくさん見る。人を押し分けるフィジカルの強さが、通勤電車を生き抜くための必須事項となっているのだ。世知辛し。
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