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中野「クラシック」のこと

「経験は何も生まなかった」とヴェルレーヌは言ったという。いい言葉だ。澁澤龍彦も「体験ぎらい」というエッセイのなかで、体験を重視する世の中に対して、次のように強く疑問を投げかけていた。

「体験を語るのは好きではないし、体験を重んじる考え方も好きではない。鬼の首でも取ったように、何かと言えばすぐ『体験の裏づけがない』などと批判したがる人間は、私には最初から無縁の人間だ」(澁澤龍彦 「体験ぎらい」)

 かつて、中野に「クラシック」という有名な名曲喫茶があり、大学3年生くらいの頃からよく通っていた。ある日、いつものように店に行くと、ドアに閉店を告げる張り紙が貼ってあった。とてもショックだったが、あの空間に身を置いて、煙草を燻らせながら、色々なことに思いを巡らした時間はかけがえのないものだったと思う。築約100年くらいの店内は薄暗く、スピーカーからは味のある音でクラシックが鳴り響いている。大体いつも1階の左奥にある、年季の入ったソファ席に座った。澁澤を読むにはぴったりの店だった。時々、足下を猫が通ることも。2階にはあんまり行かなかったな。
 1回だけ、曲をリクエストしたことがある。小さな看板がかけてあって、それにチョークでリクエスト曲を書くのだ。僕はフォーレが好きなので、フォーレの「レクイエム」をリクエストした。ちなみに、2019年に出た礒崎純一氏(澁澤の元担当編集者)による「龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝」(白水社)に、澁澤がフォーレが好きだったという記述があって、何だか嬉しくなった。音楽にはあまり関心がなかったというイメージを澁澤には持っていたが、じつは音楽がすごく好きだったというのである。加えて言うと、前述の礒崎氏の本にも引用されている、浅羽通明氏の名著「澁澤龍彦の時代 幼年皇帝と昭和の精神史」(青弓社)もすごく面白いので、澁澤に関心がある方にはお勧め。浅羽氏の著作はどれも面白いが、僕はこれと「野望としての教養」を愛読している。

「クラシック」のメニューは3つ。「コーヒー」と「ティー」(いい表記だ)と「ジュース」で、大体いつも頼んでいたのはコーヒー。スプーンに角砂糖が2つ乗って出てくるのが好きだった。一度、「ジュース」がどんなジュースなのか知りたくて頼んだことがある。美味しかった。

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