【感想・レビュー】『ライトハウス(THE LIGHTHOUSE)』(2019)を観たよ。【微ネタバレ】

(執筆者:高橋アンゼ(みつかったフィルム。))

今、ホラー映画界でホカホカに注目されている監督ロバート・エガース
その最新作にして2作目の長編映画、
ライトハウス(THE LIGHTHOUSE)』(2019)
が今月、日本でも封切りとなった。今回はその感想を述べていきたい。


前置き

*この部分は「みつかったフィルム。」にご興味のない方は読み飛ばしていただいて結構です。

 さて、(自称)『映画解説・考察発信マルチメディア「みつかったフィルム。」』
ですが、
まず第一に、昨今の所謂「ファストシネマ」系YouTube動画の著作権法違反問題に際しまして、当YouTubeチャンネルで公開しておりました3本の動画について、非公開とする措置を取りました。

 ただし、明言させていただく点としては(公開当時にご鑑賞いただけた方はご存じのことではあると思いますが)当YouTubeチャンネルの過去に投稿された3本の動画における「あらすじ朗読」パートは、あくまで動画内容の補助的な部分であり、映画考察という動画の本分をよりお楽しみいただく為に付随するものであるとの認識で動画制作を行なっておりました。
 また、動画を非公開にした時点までで、紹介作品の権利者様等からの申し立ても一切ありませんでした。

 ただし、今回の騒動を受けまして、自主的に非公開といたしました。
(法律以前にモラルに反し得ていた点もあったことは認めざるを得ない為の措置です。)

 また、現在公開しております動画・今後公開していきます動画に関しましては、
あらすじ部分などを最小限に減らし、また物語の流れに沿ってネタバレするという今回の騒動で問題になりました、
「映画作品本編を鑑賞する機会を奪う」ような内容は含めない構成にしております。
 「みつかったフィルム。」といたしましては動画鑑賞者の皆様に投稿動画内での紹介作品に興味を持っていただき、そちらの映画本編をご鑑賞いただいて、
それぞれの映画の持つ「面白み」を共有したいと考えております。
皆様是非、「みつかったフィルム。YouTubeチャンネル」の投稿動画と動画内で紹介されております映画をご鑑賞いただき、
「ここ面白いよね!」「その発想は新しい!」「そんな解釈あり得ないだろ、アホ!」などと映画について共に語り尽くせれば幸いです。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 …で、なんですが、なぜそのような堅苦しい前置きをしたかと言いますと、今回ご紹介する『ライトハウス』は過去に投稿した(現在は非公開としております)
映画考察動画の記念すべき第1弾が同監督の
『ウィッチ(the VVitch : A New-England folk tale)』(2015)だったからです。
 まあ、該当動画の投稿からあまり時間は経っていないものの、
「チャンネル開設に際して初めに持ってくるべき映画!」という選定の中で、
ある種の思い入れのある作品でした。
 なので、結構ガチめに考察しました。故に、また何かしらの形で動画化したいとは思っております。
 因みに、『ウィッチ』に関する考察は「みつかったフィルム。note」にページがありますので、宜しければ『ウィッチ』をご鑑賞いたいたのちにご拝読いただければちょろっとは感心していただける考察、入ってますんで。

 で。その監督が新たに描き出す怪奇譚。見逃すわけにはいきませんね。
因みに大正ボソボソ噂話としては、みつかったフィルム。のデビュー動画の紹介作品、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(2018)と
迷ってたんですけど、
どうやらアスター監督とエガース監督ってプライベートでも親交があるらしいですね。

あ、だからと言ってみつかったフィルム。は微塵も関係ないんですけど。
仲良い方々の作品が好きだから、いつか仲間に入れて…くれないかなぁ…。


監督について。

 本作はホラー映画界に彗星の如く現れ、巨大なクレーターを残した映画作家、
ロバート・エガース監督の長編第2作目です。
 まず、この監督はもはや「監督」ではありません。「映画作家」です。
言うなれば「映画家」です。
 前作、長編映画監督としてのデビュー作、『ウィッチ(The VVitch:A New-England folk tale)』(2015)では今を輝く女優アニャ=テイラー・ジョイを起用し(この頃めっちゃ可愛いですよね、)サンダンス映画祭において監督賞を受賞したセンスと先見の明に富んだエガース監督。
 前作同様に今作においても作品の時代設定についての入念な史料の調査・研究を独自に行なっており、それは作中の登場人物の話し言葉やモノローグにも方言や言葉遣いとして現れている…らしい。
 まあ正直、英国英語と米国英語くらいなら聞き分けられても、米国英語の地方・時代に依る訛りまでは詳しくない上、今となっては使われていない語彙や言い回しもピンと来るまで英語を学んでいない筆者としては、その丹念さにもあまりピンと来ないところはありますが、英語ネイティヴの方々が見ればそういった点にまで正確さを求める配慮が行き届いている監督である、らしい。

 つまり、何が言いたいかというと、彼は雇われ映画監督、というよりかは
自分の制作したい映画を作る、アートに寄った映画監督であるという点です。
それ故に映画作家、映画家と呼べるのではないでしょうか。

 そして何より朗報なのが、これから輝きと存在感を増していくであろうこの監督、今作が長編2作目なんです。

 一度でも映画道(勝手に呼んでます)に進もうとした事がある者であれば直面する、名監督の膨大すぎる作品リスト。
ヒッチコックや黒澤明などの過去の名監督、ウディ・アレンや山田洋次などの今なお一線を走り続ける名監督。

多い、多すぎる。作品が多すぎる。


 もちろん、全てが2時間前後の長尺という訳ではないですが、それにしたって数が多い。
 筆者の持論としては、『映画ファン=本数見てる人』では必ずしもない
とは思っていますが、やはり鑑賞作品が多いほど語れるも仲間も増えていきます。


しかししかし

この未来に語り継がれるであろう爆弾新人監督、ロバート・エガース氏の長編作品は現在2作しか公開されていないのです!

チャンス…

チャンス。

チャンス!

明日、配信かDVD /blu-rayで『ウィッチ』を観て、
明後日、劇場で『ライトハウス』を観れば、

あなた「ロバート・エガース監督?…ああ、彼の撮った映画は全て見てるよ。」

 なんて言えちゃうのです。

あなた「彼の画(え)作りはやはり光とコントラストだね。それに、歴史的考証に基づいて映画を作っているから、リアリティも保証付さ。」

 なんても言えちゃうのです。

あなた「そうだ、今度の土曜、ドライブがてら『ライトハウス』を観に行こうよ。もちろん、面白さも保証付さ」

ハイスクールのクラスメイト「もう!XX(あなたの名前)ったら!」

 ってな展開にもなっちゃうのです。

 これから大注目のエガース監督、前作と今作を見ちゃえば時代の波に乗れちゃう事間違いなし!


前置きと総評、この映画を見るべき人。

 しかしまんまと当記事を読んでクラスメイトと映画デートに行ったあなたは驚愕することになります。


この映画、全くといっていいほど、デート向けではない。


 筆者が鑑賞した際も、シアター内にはそこそこ観客がおり(座席数の半分は埋まっていたと記憶しています。)中にはチラホラとカップルの姿も見られた。

 絶対、気まずくなっていたと思います。
なんなら、終映後に彼女に何かを謝っていた彼氏もいました。
作品選びについてではないと良いですが。

じゃあ逆に、誰と見に行くべき?


そう思われたあなた。正直それは、筆者にすら謎です。

誰と見に行っても観賞後に微妙な空気になることだけは保証します。


 しかし誤解してほしくない点は決して内容がつまらないから、ではありません
筆者的には十分に面白く感じました。
(所謂、「サンクコスト」とか、あるいは「認知的不協和論」みたいな消費者バイアスかもしれません…
チケット代払ったからには面白かったと言わなきゃ!損失(つまらない)とは認めない!…みたいな意地が筆者の中に無いとも言い切れません。)


 まあ強いて言えば、一緒に行くべきは映画好きの友達、ですかね。
より正確に言えば様々な映画に理解ある人物、が好ましいと思います。
勝手ですが。笑
 まあそんな友達がいなければ是非筆者のように「孤」でご鑑賞下さい。


 なぜ「映画に理解のある人物」なのか。

それは、少なくとも筆者にとってですが、
画面比が1.19:1!』とか『全編白黒!』とかの時点で「面白い!」と思ってしまうからです。

 だって、面白いじゃないですか。
 ビスタビジョン(画面比1.85:1)やシネマスコープ(画面比2.35:1)が主流な現代、
敢えて正方形みたいな画面比なんですよ、もうその時点で目を惹く。
 まあ、今日でこそスマホの縦動画とか、SNSの正方形画像・動画なんかもありますけど、長編映画でそれを選ぶってのはもうそれだけでオモシロです。

(話は逸れますが、本作出演のウィレム・デフォーも出演している、
『グランド・ブダペスト・ホテル(The Grand Budapest Hotel)』(2014)では
複数の時代場面(謎造語)で異なった画面比が表現として巧みに使われていて、
それも筆者にとってはめちゃめちゃ面白いです。)

 で、本作は白黒な訳ですよ。まあそもそも1.19:1っていう画面比は過去に映画業界で一時期使われていたものらしく、当時は白黒が主流だったと考えれば
それはそれで「正統性」はあるのですが。
 やっぱり、白黒画像ないし映像には人を惹きつけるものがあります。
それはカラーが主流である今であっても、です。

むしろ、白黒だからこそできる表現があるのです。

 それはのちのパートで触れたいと思います。


 まあだから、なぜ「映画に理解ある人物」が好ましいかというと、

 この映画の面白さは内容よりも
むしろそういった表現やメタ的な部分にモリモリだからです。


 これは完全な偏見なのですが、シネフィルではない一般の人や、映画に特別興味がない人は、
映画をせいぜい「文章や漫画で描かれた物語の映像化」程度にしか捉えていないと思います。いや、そうに違いない。
 そもそも日本において多くの邦画は原作があったりする訳ですし、
何より日本人は義務教育制度や発達したエンターテインメントに日々触れるため、教養レベルが高い人が多い(と勝手に思っています)ので、
映画を観るときどうしても内容に目が行きがちです。

 だから、

「脚本のここはおかしかった!」
「物語のここは感心した!」
「オチは微妙だった!」

 なんて内容については具体的にどこの時点で何がどうこう、と言うのに、

「映像?綺麗かった!」
「音?迫力がすごいすごかった!」

 しか言わないじゃないですか。(完全な偏見。
 まあ別にそういった直観的な感想を否定はしてる訳ではないんですけど!

 だから、この映画に「普通の友達を連れて行くと

「は?意味わかんねぇ。え、結末どうなったん?え、このあとカラオケ行く?」

 ってなります。
 だから、「映画を(文章で書かれた)物語の映像化」ではなく、

映画を映画として楽しめる方と一緒に観に行くことをお勧めします。

 そして願わくば、冗長な本記事を読んでくださっているあなたもそういった映画の楽しみ方ができる方であって下さい

そして全ての邦画を生み出してる人々に問いたい。

「それ、映像化する必要ありますか?」
「映画って、なんだと思いますか?」

(カッケェ…)



で、魅力について。①(『ウィッチ』を観た方向け)

 まず、『ウィッチ』を観た方からすれば、

「監督!今度はそう来たか!

となる場面がいくつかあります。

 『ウィッチ』の舞台はニューイングランドの深い森。脅威は魔女、な訳です。

 対して、今作は舞台はニューイングランドの沿岸の孤島。脅威は海とそこに潜む神や怪異たちなのです。
 そして魔女の儀式同様に船乗りたちに語り継がれる儀式めいた迷信も登場します。
…まあ神や怪異の存在が事実だったかは別として。

 話逸れますけど、人魚がかわいい!とかいうイメージって絶対デ◯ズニーが生み出しましたよね。
 本来は恐れられる海獣な訳ですよ。

 結局監督が描きたいのは、人間とかが到底叶わないような存在への畏怖なのかなぁ。とか考えちゃいます。
 あと、やっぱり記録が残されていないだけでそういう存在って昔本当にいたのかもしれないよね、とか考えるとワクワクしちゃいます。


ただ、再三言及してますけど、本作と『ウィッチ』は内容全く関係ないので、
そっちを観ていない方も安心して『ライトハウス』をご覧いただけます!


魅力②「白黒が生み出す表現について。」

 ネタバレしない程度に物語を紹介すると、絶海の孤島の灯台に灯台守(とうだいもり)としてやってきた二人の男。そのうち、ロバート・パティンソン演じる「若造」が次第におかしくなっていく…!というあらましなのですが。

 で、それにはどうやら「灯台」の魔力めいた魅力が関係しているらしい。

ってことなんです。

 ただ、これだけ聞いて最初に筆者が思ったのが、

「この映画、別にこの時代背景じゃなくて良くね?」

でした。

 例えば、

「宇宙空間の小さな有人人工衛星の中に取り残された二人の男。
救助が来るまでの数週間、二人はそこで過ごすが、
宇宙の静けさや荒れ狂う太陽嵐に揺られ、次第におかしくなっていく…。」

ってプロットだけ引き継いでSFスリラーにしちゃうこともできたし、
なんならそっちの方がウケが良い気すらします。(辛辣)


でもね。あたしゃ、やっと分かったんだよ。


この映画の、最後の最後で、ね。


筆者は写真を嗜むこと数年、白黒写真の表現について個人的な研究(とまでは言えない程度の経験則)を経て、
白黒で撮るべき物とは、
【質感】【パターン】そして、【コントラスト】であると見出しました。

映画は舞台が孤島なので、屋外のカットではほとんど、
岩剥き出しの黒い島の地面
白い曇り空か砕けた荒波が作り出す白い霧の対比の中で、
男二人がわちゃわちゃしたりしてる感じなんですけど、
でもやっぱり空は灰色だったり、灯台の周りには草も生えてたり、
白と言ってもそこまで白ではないし、黒も然り。なんです。


だからこそ、本作は
コントラストの中で黒の頂点にあるものと。
白の頂点にあるものを探してみてください。

詳しくはネタバレになるので言えないのですが。

例えば上で挙げた「宇宙バージョン」で考えれば、
彼らは目の前にある地球を愛おしく思いながらも、帰れない訳ですよ。
衛星の外に立たら死ぬとか。そういう理由で。
けど、そこに地球は動かずにある。
(この文章、実際は『ライトハウス』の物語とは対応していないのですが、ネタバレのないように例え話として話しています。)

でも、そんな愛おしい地球を「最も美しく撮る」なら、
やっぱりガガーリンの名言よろしく、
『青さ』を表現したいからカラーで撮る必要がある訳です。

けれど、本作で上記の例え話の「地球」にあたる愛おしいものを最も美しく撮る為には
色味ではなくコントラスト(ついでに言えばパターン)の側面で描くべきである
から、コントラストが最大に引き出される白黒で撮られたのです。


むしろ、撮られる必要があったのです。


これは筆者の推測ではあるのですが、もしかしたらこの映画、
その「コントラストで撮るべき物」を撮るために、時代設定が19世紀末にされた、のではないかとすら思えます。それほどに強い必然性を感じます。

まあ、パンフレットとか読む限りはそうでもないみたいなんですけど。



魅力③「狂気とは、幻覚と現実。」

 で、本作のメインな展開である主人公(ら)の発狂について
まあ具体的には説明できないのですが、というか説明のしようがないのですが。
主人公たちは極限状態に陥り、予告で公開されていたクリップでもあるように、

「この島に来てどれくらいだ?」
「5週間か?」
「2日か?」
「思い出せんのだよ」

『映画『ライトハウス』予告編』(https://www.youtube.com/watch?v=CV2lgOW5Sy0 より引用)

という風に時間の感覚が麻痺したり、
孤立無援という極限状態と酩酊状態から

「もう何がなんだかわからなく」なります

 しかし、もしこの灯台に灯台守が3人以上いたらどうでしょうか。
…まあ、映画の流れ的には何も変わらないかもしれませんが。

 ではここが灯台守だけではなく、住民もいる100人程度の人口のある島ではどうでしょうか。

 当然、人が多ければ酒を飲まない奴もいますし、しっかりとリーダーシップを発揮する奴も出てきます。


 この映画で一番恐ろしいのは、絶海の孤島で嵐が吹き荒れることでも、
海にまつわる海神や怪異の存在でもなく、人が二人しかいないという点にある
と思います。

 言い換えれば、
どうやっても助け合わなければならない環境に置かれている、その状況である
と思います。

 そのために、二人は酒を飲み酩酊状態で踊ったかと思えば罵り合い、秘密を暴露し合ったと思えば取っ組み合いの喧嘩をします。

 反発し合いしかし引き合うという不自然である意味で不健全な精神状態が
彼らを狂気へと落とし込んだと言えるでしょう。


マトーメ

 ホラー映画界期待の新星、ロバート・エガース。
彼は監督というよりも「映画家」という肩書きが似合います。
新星故に、今後の作品にも期待して、彼の過去作品もチェックしちゃうこともお手軽です。
 本作は、正直万人にお勧めはできません。
特にカップルには。
 しかし、「映画を映画として楽しめる方」にとってはさまざまな刺激を得られる作風であると思われます。
そして、その特殊な画面比や白黒の映像表現ですら、
この映画の描きたいもののために、用意されているとすら思えてしまう。

とにかく、御託は良いです!
今、超絶話題の本作を是非劇場でご鑑賞下さい!


ただし、「内容の面白さ」については、当記事は一切保証致しません!


むしろ、内容が面白くなければもう一度見るべし!


映画道!!

(雑)


ーーー終ーーー

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