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BGM conte vol.9 《Something》

「あの、君は……素敵だね。なんというのかな、なにか、あるんだよね。たとえばその歩き方とか……」
 冷たくされても彼はどこ吹く風で、またじっと物陰に隠れて女の子たちの集団をひとしきり観察すると、ふらふらっと出て行って、そのなかの一人に声をかける。
「君は、控えめで、みんなに話を合わせる感じだけど、遠慮はいらないんじゃないかな。とっても魅力的だよ、顔がいいとか、スタイルがいいとか、そんなんじゃなくて、なんていうのかな、内面から溢れ出るなにかだよね。そのなにかが、君の場合は、とりわけ光ってる」
 いきなり言われた女の子は、問答無用で彼の頬に張り手を食らわした。それから遅ればせながらに叫び声を上げると、周囲の女の子も釣られて叫び声を上げ、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
「おまえ、さっきから、なにしてるんだなもし」
 懲りずに物陰に潜んで女の子たちの来るのを待ち構えていると、背後でそう声をかけられて振り向けば、いかにも悪そうな風体の男の子たち五人組。
「いやぁ、ぼくは女の子のなにかを見つけると、つい声をかけたく……」
「こんなとこでナンパしてんじゃねぇんだなもし!」
 彼は鉄拳を避けきれず、その場に伸びた。

 夕食のとき、ギターが欲しいと母親に思い切って言ってみる。
「なんで」
 彼の目のまわりの青タンについてはなにも尋ねない母親が、ギターが欲しい理由を訊いてくる。その冷淡な口ぶりから、ほとんど脈なしなのは明らかだが、訊いた以上、息子がテキトーに答えるのを母親はいつだって許さない。
「父さんのギター、すぐにチューニングが狂ってしまうんだ」
「それじゃ、その都度直せばいいじゃないか」
「塗装も剥げてるし」
「塗り直せばいいじゃないか」
「素人には無理だよ」
「やってみなきゃ、わからないじゃないか」
「もうすぐクリスマスだし、サンタさんに頼むってのはどうかな」
「うちにはもうサンタは来ないよ」
 母親の応答はいつだってにべもなかった。彼はもう黙ってしまって、スープをひたすら口に運んだ。暖炉の火のはぜる音ばかりが、ふたりを支配する沈黙に時折紛れ込んだ。
「アンタはね、また嘘をついたんだよ」
 母親がおもむろに会話を再開する。
「新しいギターをおまえが欲しがるのは、その、チューンなんとかが狂ってるせいでもなければ、塗装が剥げてるせいでもない。おまえは女の子にモテたいだけなのさ。それならそう言えばいいものを、おまえはいつだってそうやって取り繕う。そんなところが父さんにそっくりなのさ。そんな穢らわしい理由のためにギターを買ってやる母親なんて、世界広しといえどもいるもんかね」
「ぼくは彼女たちの魅力を歌いたいだけなんだよ」
「違うね。おまえはおまえの気持ちを歌いたいだけなんだよ」
「ぼくは、見目麗しい女の子には興味がないんだ。母さんみたいに、醜くて意地悪でも、なにかあるなぁって思える人に、すごく惹かれるんだよ」
「おまえの父親もそんなこと言って、結局は若くて綺麗な娘のところへ転がり込んだ」
「そのなにかを相手にストレートに伝えても、どうもキモがられるんだよ。今日なんて、殴られたんだから。男の子にだけど。あ、男の子に、君にはなにかあるねって言ったわけじゃないんだけど、たぶん、ぼくが声をかけた女の子の彼氏だったんじゃないかと思う」
「男は所詮外見に惹かれるのさ。中身なんて二の次、どうとでもなると本心では思ってる」
「でも、女の子ごとの魅力をぼくがメロディーに乗せて語るところを想像してみてよ。そしたら無数の美しい曲ができるよね。ぼくはもうキモがられることもなければ、殴られることだってなくなると思うんだ」
「スープが冷めないうちに早くお食べ」
「今も一つの曲がぼくの頭のなかを飛び回っているんだ。こいつを早く捕まえて、形にしなければ」
「おまえねぇ、そもそも新しいギターを買うお金が、いったいどこにあるというんだね」
 そう言って母親は深いため息をついた。

 彼は自分の部屋としてあてがわれている屋根裏部屋にこもると、そのチューニングのすぐに狂う、塗装の剥げかけたギターを抱えてたどたどしく爪弾いた。
 底冷えがしていた。屋根裏部屋に暖炉の熱は届かない。吐く息は白く、手はかじかんだ。それでも彼は、夢中で音を拾いながら、da da da da da da……とメロディを紡いでいく。
 ふとした折に、そのギターを譲ってくれた父親の大きな手を肩に感じることがある。「Fもだんだんサマになってきたじゃないか。それなら大概の曲は弾けるぞ」
「父さん」
「なんだね」
「父さんは、なんでぼくたちを捨てたの」
「そりゃ、おまえ」
 そう言って、父さんは慈悲深い笑みをたたえた。
「母さんがとても醜くて、意地悪だからに決まってる。ほかになんにもない人だから」
 夢中で音を拾ううち、とんでもなく美しいと思われるメロディに行き合うことがある。

 da da da da da da……

 つかみかかって逃げ去る。逃げ去ったメロディは二度と戻らない。そのたびに、
「わからないや」
 と言って彼は肩をそびやかした。



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