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赤の時間 #前編

 厚生労働省のサイトに「自殺対策白書」が掲載されている。平成23年度版にある「死亡時間別の自殺者数」によると、男性でもっとも多いのが「6時台」で969人、次いで「5時台」で959人となり、合わせて11.6%を占める。女性でもっとも多いのが昼の「12時台」の422人で5.9%、次いで「15時台」の390人で5.4%となる。ただ男性も12時台は5.6%と5時台・6時台に次いで高いし、女性も5時台・6時台は一日の前半において突出することから、0時から翌0時までヒストグラムの作る形状は、男女とも同形と言える。

 時間帯ごとに自殺者数をたどっていくと、0時から徐々に減っていき、明け方近くに跳ね上がって、それから8時台までは小康するが、また徐々に増え出して12時台でピークを迎える。そこから一旦落ち込んでまた15時台で復調し、18時台まで微減、19時台からすとんと落ちて、横ばいのまま翌0時を迎える。ちなみにこの傾向は、平成19年度版までさかのぼってもほぼ変わらない。
 数字を拾いながら、一日における自殺者の心の動静がありありとこちらに伝わるようで、模擬的にではあれ、それをたどるのは、なかなか剣呑な作業である。

 白書には月ごとの推移や曜日ごとの推移、また手段別に見た自殺者数のデータもある。
 19年度版から23年度版まで、月についてはどの年も男女とも三月が一番多く、次いで五月が多い。曜日については、男女とも月曜日にもっとも多く、そこから土曜日にかけてゆるゆると減少して、日曜日に男女ともやや増加する。ちなみに祝日と年末年始の平均を取ると、これが男女とも最低値を記録する。
 手段を見ると、年齢性別を問わず一番多いのは「縊首」。男性では「煉炭」が二番目に多い。女性にこれが少ないのは、車内をガス室に工作する手間があるからだろうか。あるいは車の所有者の多くが成人男性であるということもあるかもしれない。
 いっぽう女性となると、ほとんどの世代で、二番目に多いのが「飛び降り」で20%を超える。ちなみに男性でも10歳台は「飛び降り」が二位となるが、これは10歳台の大半が学生で、自殺の場所に校舎が選ばれているからではないかと推測される。
 あるいは、「飛び降り」はなんらかの志向と結びついているのかもしれない。靴を脱いでそれをそろえてから飛び降りるとは、日本人の自殺者に特有らしいが、靴のつま先はどちらを向いているものだろうか。観覧車にすら乗れない高所恐怖の私からすれば、たとえどんなに追い詰められたとしても、高所に立って下界を見下ろすなど及びもつかない。「飛び降り」に次ぐ「飛び込み」については、率において男女とも特段の偏差はない。

 平成23年度版まで「死亡時間別の自殺者数」のデータが公開されていたのが、翌24年度版から「発見時間帯別の自殺者数」に差し替わっており、最新の令和元年版では時間帯別の資料そのものがなくなっている。
 自殺抑止の観点からすると、自殺そのものが行われたと推測される死亡時間こそ注目に値するはずだが、これを発見時間のデータに差し替えた経緯とは、どのような事情によるものだろうか。
 発見時間帯別の自殺者のデータが令和元年に消えるについては、理解できる。平成24年度版から29年度版まで、すべての年度において6時から8時のあいだに自殺者の発見数は急増し、それから20時まで横ばいとなるが、それは当たり前の話で、自殺者が発見されるのは、周囲の人間が起きている時間に限られるからだ。
 抑止のための提言にならないという点では、死亡時間別データも同様かもしれない。言うまでもなく、人は人目を避けて死ぬ。人の死にやすい時間帯があるというより、人目を免れる時間帯があるというに過ぎないだろう。縊首であれば、家人の寝静まる夜であるのは道理である。飛び込みであれば、終電から始発までの時間帯に起こりようがないのも道理。12時台と15時台に自殺者が多いのは、それが昼休みと放課後に当たる時間帯だからで、おそらくは飛び降りが占めるのだろう。人を死に誘う剣呑な時間があるなどとするのは、迷信の類いである。

 そうは言っても、同じ夜でも、自殺の多い時間帯が夜明け前後であるのはやはり注目に値する。わけても未明の一瞬、音の途絶えるいわゆる「青の時間」を鬼門ととらえる感性にあっては、5時台・6時台の自殺者の多さはいかにも示唆的であるに違いない。
 不意に眠りが破れて、天井をにらみながら脂汗をかいているあの一刻一刻に、じっさいにおのれに手をかける男たちが国内だけで千人を超える。あの延長線上に、こちらの死もあるわけだ。そう考えると、死んでたまるか、となるのが私の昼の感性なのであり、当面は眠りが中途で破れないよう、寝しなの深酒は控えようと思うくらい、じっさいは悲壮感のかけらもありはしない。


 村上春樹の『女のいない男たち』を食卓の上に置き放しておいたら、妻があるときそれを覗き込んで、
「ふうん。おもしろいタイトル。わたしの家系は『男のいない女たち』だけど」
 と言って、私を見た。そんな、真顔で見られても、と戸惑うと、そこでようやく妻は笑った。

 妻は父親のいない家に育った。成人してから不意に連絡があって、しばらくは父と名乗る人と定期的に街を出歩いたこともあった。西新宿の、いなせな小料理屋に連れていかれて、行きつけと紹介された。彼氏でも友達でもなんでも連れてくればいい、ぜんぶ俺が支払うから、と豪気なことを言った。父と同世代と思しき親方が、うれしそうに笑っていた。父と名乗る人は、羽振りがいいように見えた。駿河のほうで料理屋を構えているようなことを言っていた。のちに結婚したことを報告すると、その年の暮れにそれはみごとな伊勢海老が二尾届いた。海老はまだ生きていた。ふと、西新宿の小料理屋が思い出されて、夫を連れていこうと思い立ち、ネットで調べてみると、数年前に閉じたらしく、それを惜しむ口コミを二、三読んだ。
 初孫の生まれたこともメールで報告したが、返信はなかった。その年の暮れに祝いの品も届かなかった。そうこうするうちはや十余年。三人の子どもに囲まれて、日々賑々しく暮らしている。無事だろうかと、時折父を思い出すこともあるが、こちらから連絡することはない。

 母は再婚せず、ひとり身のままふたりの娘を成人するまで育て上げた。海辺の土地に住まう母とは今でも月に一度、ふたりで会食することもあるし、子どもたちを連れて都心へ買い物に出かけることもある。

 母には妹がふたりあった。ふたりとも結婚していたが、上の妹は夫を病気で早くに亡くした。下の妹も夫を無くしていた。こちらは自殺だった。
 いま思えば虫の知らせだったのかもしれない。夜明け前の薄闇にふいに寝覚めて、となりの寝床が空なのをいぶかる。着替えた形跡はあるが、仕事着はハンガーにかけられたままだった。未明の散歩かジョギングか、そう思って窓外を見ると、あるべきところに車がない。なんとなく胸騒ぎがして、取るものも取りあえず上着だけ羽織って外に出ると、まるで当てでもあるかのような足取りで海へ向かった。海へは歩いて三十分もしない。胸騒ぎは募るいっぽうで、とうに走るのはやめていた。走る気力が湧かなかった。なんともやるせなく、腹立たしく、涙があふれて止まらない。まだそうと決まったわけでもあるまいに。家々は寝静まっていた。道路もしんと静まり返っている。海の匂いが濃くなって、潮騒が耳に触れた。今日もきれいに晴れそうで、でも、波は高いんだ。そんなことを思っている。四月の終わりだった。海辺沿いの集落を抜け、国道に出ると、その向こうに堤を挟んで砂浜が広がる。さらにその向こうに海。海も砂も空もまだ明けやらず、なにもかもが青い。青いなかに、見覚えのある水色の車がフロントを海側に向けて、ぽつんと停車するのが見えた。走るうち、車のエンジン音がからからと小さく鳴っているのが聞こえた。

 母の上の妹にも下の妹にも子はなかった。その後再婚したとも聞かない。

「男が長く続かない家だと言われている」
 そう妻に脅されても、因縁めいたものにこだわるタチではないから、私は笑って受け流す。因縁話を真には受けないが、興味がないとか、馬鹿にするとかではなく、そんなこともあるかもしれない、とどこかで思っているのでもある。ただ、我が事として考えないという、鈍感さと身勝手さを持ち合わせるだけの話である。遠い国の戦争に心を痛めながら、平気で日常を生きるようなものかもしれない。
 息子もいることだし、とりあえず女系顕性神話は崩壊した、とほくそ笑んでいるくらいなもので。

 ちなみに妻の家系に、丙午生まれの女はいない。

 砂浜に停まる水色の車の先で、水平線があまねく焼けて、赤の時間が訪れる。

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