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写真教室に通うのは下手だから?

こんにちは。写真の先生してます、大野朋美です。

私は写真塾を主宰しています。それだからじゃないですが、教室へ通うことを決めた人っていうのは、それだけでもう、上達することが、ほぼ約束されたようなものだなって思います。なぜなら教室に通う決断をしたっていうのは、前向きな一歩を踏み出せたということだからです。

いや、教室に通うくらいは誰でもできる。でもそこから頑張るかどうかが分かれ目なんじゃないのと思われるかもしれません。たしかにそうです。でもここでは「教室に通うくらいは誰でも」という部分について、本当にそうだろうかと問いたいのです。

以前ある女性から、こんな話をされたことがあります。「わたしの友達がすごく素敵な写真を撮るんです。」と話し始めた彼女は、こう続けました。「だけど写真教室へ通ったことはなくて。でもこんなセンスのいい写真を撮るんですよね…。」と。どうやら彼女は、写真教室へ行くことに興味はあるのだけど、そこを踏み切れず、迷っていたみたいなんです。

彼女の迷いには、こういう前提が見え隠れしています。センスのいい人は写真教室へなんて通わない、と。

才能のある人なら「べつに教室に通わなくてもステキな写真は撮れるはずだ」と。だから、写真教室へ通うという決断をしてしまうと、もともと備わっている才能という面で、その友達に負けたような気がしたんでしょうね。ま、なんか分かる気はします。

というのも、わたし自身、以前は彼女と同じような考え方をしていたんです。考え方は同じでも、私の場合はそれで教室に通い始めたんですけどね。

私は声にちょっとコンプレックスがあって。子供の頃からずっと自分の声が好きじゃなかったんです。それで20代の頃、思い切ってボイストレーニングに通ってみたのです。ひどい声質を、せめて人並みに変えられたらと思って。

でも通ってみて驚きました。そこに来ていた人たちは、すでにめちゃくちゃ歌の上手い人ばかりだったのです。(ボイトレって、たいていは歌の教室ですよね。私が通ったところもそうでした。)高校や大学で軽音部のボーカルをしている人や、歌手を目指すコンテストの地区大会で優勝している人も来ていました。

そのときの私からすれば、これ以上なにを学ぶのだろうかと、最初は不思議に思っていました。でも彼らはもっと上手くなりたい、声を磨いていきたいという思いで通っていたんですよね。ボイストレーニングの先生からも、こう言われました。ここでは、そのひと本来の声質を取り出し、磨いていくのだと。声は個性。良い悪いは無いのだと。

話を写真に戻します。教室に通うっていうのは、下手な人が人並になるとか、そこそこ上手になるために行くと考えているなら、そうではないと言いたいのです。カメラの使い方を習ったり、撮影技術を上げるのはもちろんのこと、もともとその人が持っているセンスの原石を磨くためであって、上手いも下手も関係ないのです。

友人のことを語った女性から、そのとき、その友人の写真をスマホで見せてもらってたんですね。たしかにセンスのいい素敵な写真がたくさんありました。でも10年写真を教えてきて、たくさんの人の写真を見てきた私から言わせてもらうと、飛び抜けて上手いっていうほどではなかったんです。誰の周囲にも1人くらいは必ずいる、ちょっと写真の上手い人、っていうくらいでした。

結局、あの女性が教室に通ったのかどうかは知りません。でも写真教室へ通うことを決めて、真剣に写真と向き合えば、時間が掛かったとしても、きっと十分に、彼女の友人以上にうまい写真を撮れるようになっただろうなと、私はそう考えています。

じっさい、私の教室に来られた方の中には、はじめの頃は何を伝えたいのかよく分からない写真を撮る人もいました。でも早い人で1年、遅い人でも3年くらい続ければ、ある時からいきなり、こちらがハッとするくらいセンスのいい写真を撮るようになっているんですよね。

その方たちが続けてこれたのは、写真が好きだというのはもちろん、自分のセンスを信じていたからこそじゃないでしょうか。

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