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【日本暮らし記録Vol.6】"Boxed in=型にはめる"、ラベリングの社会に違和感|人に優しい社会になってほしい。

今回のトピックと記録は、とてもセンシティブで書くか悩みました。ただ、この先日本の社会は変わらないといけないとも思うのです。私もこのラベリングされたり、カテゴリー化されるたびに違和感を感じてきていました。これは私の思いです。興味のある方だけ読んでください。

私がまず最初にラベリングやカテゴリー化に違和感を覚えたのは、私が『母親』になった時でした。『母親としてやるべきこと』、『母だからこうするもの』、『母親だから子どもにこう接する』のどれもが、それが本当にそうなのかいつも違和感だらけでした。だってその全ては、子どもを生物学的に産むこと以外は、よくよーく考えてみれば『父親』である夫もできるからです。なので我が家では『ママだから』、『パパだから』という括りわけはほとんどしなくなりました。

最初にぶつかったのは授乳でした。これはママにしかできない!と思い込みそうですが、パパだって栄養満点なミルクを作って子どもに飲ませることができるじゃないですか(粉ミルク、本当にありがとう)。そう気づいた時に、私は授乳を自分で強いるのをやめました。実は私は授乳をする際、特に夜中はとてつもない不安感や、言いようのない不快感に襲われることがありました。調べてみると”D-MER”と呼ばれる生理的な現象が起こることがあると知ったのですが、本当に辛かったのです。この悩みは一層『母親なのに』というネガティブな方向にいってしまいかねなかったので、ここはパパに任せよう!と切り替えたのが始まりでした。そこから『ママだから』の言葉を取り払い始めました。
※ちなみに私は日本での環境・現状を記録しています。ここで、「他の国では粉ミルクは当たり前じゃない」という思いを持たれる人もいるかもしれませんが、それはここでは見当違いの話です。

そこからでしょうか、母親だから父親だからのラベリングではなく、自分たちが得意なことを、それぞれに接していくようになりました。もうなんなら親も取っ払っちゃってる時もあります。その方が、お互いを尊重できている気がしています。親であることの責任はコザルが成人(日本:18歳)になるまでもちろん全うします。私たちが考える親としての責任は、コザルが周りに愛されながらも生きていける知恵や術を提供してサポートすることだと思っています。他のことは、コザルと私たちの中の話であって、他人や周りがとやかくいうものではないということ。
コザルは私たちのことをママとパパという呼び名で呼んでいますが、ゆくゆくは名前で呼んでもらおうとも思っています。それぞれを尊重し合える関係を目指し、私たちの親子関係を理解する環境になるのでは、と思っています。

夫は、「日本では、物事をラベリングというよりは”Boxed in=型にはめる”をしてしまう傾向にあるんじゃないか」と話し合ったことがありました。別の言い方で人格的な言葉で言えば、”ステレオタイプ”とも言います。
ラベリングは、すぐに貼り替えることができますが、型にはめてしまうと、なかなか形を変えることができません。こういったことが、残念ながら日本の法律にも反映されてしまっていて、極端な話をすれば、身体的矯正をしなければ、日本においてあなたは男/女と認めないし、結婚もできないという内容です。こんなことをしていては、身動きの取れない生きにくい人々が日本で増えていってしまうのは当然だと思うのです。その上、人々はステレオタイプが多く、SNSで心ない言葉が飛び交う。考えるだけで前に進むことができないですよね。
また日本ではカテゴライズやラベリングしてから、目の前の人とコミュニケーションを始めたり、物事を進める人々が多い気がしています。その方が楽なのはわかります。ですが、その時に気づいてから、よく話しをしてからその人はどんな人なのか、先に判断しないようにしていると、その人をよく理解できて、勝手な思いこみや勘違いからのコニュニケーションが少なくなりました。この過程、私は本当に重要だと思います。

日本社会は本当に変わらないといけない時期なのではないでしょうか。私がこうして悩んだ結果やっていけているのは話を聞いてくれて、一緒にいてくれる夫がいたからこそ。こうやって支えてくれる人のところへ誘ってくれるだけでも、悩んでいる当事者たちにとっては救いなのではないでしょうか。目の前の人に向き合い、きちんと当事者の話を聞くところから始められないのでしょうか。いつまでも自分たちの型にはめこんでしまっては、相手が苦しいばかりだということに気づいてほしいと思います。

歩みよる社会、人に優しい社会になれることを祈って。



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