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未来を見ることができるようになった【45歳】

2回目の卵巣嚢腫の手術をしたのが45歳になって1ヶ月の時。

『45歳』は父が亡くなった歳だ。

10歳上の姉と6歳上の兄がいる。
2人が45歳になった時「誕生日おめでとう」のメールをした。

相談した訳でもないのに全く同じ内容の返信がきた。

「無事にこの歳を迎えることが出来ました。感慨深いものがあります」


私はずっと、生きていることが不安で【未来】を見ることが出来なかった。
9歳の時に『人はいつ死ぬか分からない』を目の当たりにしてから。

【今この瞬間を悔いなく生きる】

を信念に生きてきた。と思い込んでいた。

今思えば、未来が怖かっただけ。
希望を抱いても明日にはこの命が消えるかも分からない。
だったら身体を大事にするなんてしなくていい。遊びたいだけ遊べばいい。

これは【今を生きる】ではなく【自暴自棄】


45歳を越えて


私も姉と兄同様【45歳】に対して特別な思いを抱えて生きてきた。
2人よりもここに到達するまでの年数が長い。

45歳まで生きられるのか。生きられる気がしない。それは27歳の時に感じていた。
1度目の手術の頃だ。

33歳の時に出会った整体の先生から
「あのままだったら40歳まで生きらんねかったんよ。」と言われたのが42歳の時。

27歳の時は1999年。ノストラダムスによれば地球が滅亡。
今年は寿司を食いまくっておこう。最後の晩餐は特上寿司にするぞ!と、しょっちゅう寿司を食べに行っていた。

ところが。
滅亡しないではないか!てことは、まだ生きるのか!どうする?27歳までしか考えてなかった!

何となく「30歳までになにかやらなきゃ」と感じて、自分がやれることと言ったらお店を出すことしかない。と、入院中は出店の内容を考えていた。

その時に考えていた託児所付きの美容室が、今は沢山ある(当時はなかった)。結局お店は出せず、結婚の方を選択したので実現はできなかったが。


45歳になって手術をした後、病院のベッドの中でじんわりと感じるものがあった。

「45歳。越えたなぁ。」

姉ちゃんと兄ちゃんが言っていた「感慨深い」ってこういうことだ。

なんだか気持ちがとっても楽になった。
これからはなんでも出来る。これからが始まり。そんな気持ちになった。

この年から、本気で【自分と向き合う】という事を始めて、長年奥底に押しやってきた自分の中の嫌いな感情を、掘り起こして受け入れるまでに3年以上泣き続けたが、それは【未来】を見ることが出来るようになったから。

「10年後、20年後にはこう在りたい」
という未来の希望を抱けるようになった。

【未来先取りマップ】

が書けたのは、そこを乗り越えたからこそ。全ては抜群のタイミングでやってくる。
これを書いたのは52歳。


お気づきになった方はいるでしょうか?

実は私の人生の転機は【3の倍数】なのです!

痔の手術は30歳の時。
メニエール病で入院したのも36歳。

お店も3各店舗年勤めて、別のお店に。3店舗。

自然の流れでそうなっているので、私の周期がそうなのか、宇宙の仕組みの何かしらなのか。

今は素直に【未来】に向かって楽しんでいるよ♪♪皆様のおかげです♡

楽しませてくれてありがとう♡♪






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