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幸せについて本気出して考えてみた。

 こんばんは。閲覧ありがとうございます。

 今日は、ポルノグラフィティの曲名よろしく、幸せについて本気出して考えてみました。

 僕には仕事があるし、住む家もある。家族もいるし、贅沢ではないにしろ、食うには困らない。衣食住すべてが満たされているので、他の人から見れば、一般的な「幸せ」な状態と言えると思う。

 だけど、僕はあまり「幸せ」を感じていない。日々の仕事は疲れとストレスがたまるし、これと言った趣味もないから、充実感がない。noteを書くようになったことで日課みたいなものは出来つつあるが、これが「幸せ」な状態とは思えない。

 「幸せ」は恐らく、人生の満足度によって変動するのだと思う。人生に満足した人間こそ、幸せな人間だと言える。そして、こう考えると、幸せだったかどうかは、死の間際にしかわからないと結論づけられる。

 なぜならば、我々人類は、より高みを目指す向上心の塊みたいなものにからだ。現状に満足できず、よりいいものを求めてしまうというのが人間の性だ。スマホに、電話機能だけでなく、カメラやさまざまな機能がついたように。

 より上、より良い、より発達したもの、を欲する以上、ゴールがなくなる。ということは、我々はより良い生活を求めるあまり、幸せからどんどん遠ざかってしまっているということだ。

 ゆえに、それ以上より良いものを求められない、死の間際になって初めて幸せかどうかを客観視できるのだと考える。

 結論。幸せは生きているうには感じることはできない。だからこそ、幸せかどうかに悩む必要はない。余計なことを考えずに、あるがままの、人生を歩むことが大切だと考える。

 

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