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まさかのタイミングで来た…長男の、北京で初めての胃腸炎①

 いつかその時は来るだろう、と思っていた。でも、想定していたより、早かった。子どもの体調不良で北京の病院にかかることになったのだ。

 日本にいれば、かかりつけの小児科のウェブ予約を取り、仕事の予定を調整して連れていき、その後は自宅で様子を見る。もちろん心配するし不安にもなるが、比較的冷静に対応してきた、と思う。(体調不良の程度による。長男が熱性けいれんを起こした時には本当に焦った。)
 北京でもいつかは病院にかかるだろうとは思っていた。でも、楽観視していた。中国語や英語での日常会話ができる夫がいる。だから大丈夫だ、と。

週末の朝、突然の「なんかおなかが痛い」

 それは、北京に来て2か月が経とうとしている週末だった。 
 朝起きたその時から、長男は「なんかおなかが痛い」と訴えていた。「腹痛なのか吐き気なのか」と確認すると、「よくわからない」とのこと。食欲もなくソファに横たわっているため、日本語通訳が常駐していて自宅からも行きやすい「北京ラッフルズ医院」へ、電話をかけた。

 3コールほどで「もしもし、どうされましたか」と通訳の女性の声。手短に長男の症状を伝えたところ、すぐに医師に確認してくれた。そして「発熱があったり、嘔吐するようだったりしたら、また電話をください」とのことだった。
 ところがその直後から、長男の具合はみるみる悪化。小一時間に数回吐いてしまい、お茶や水も飲めていない。体を触ると、熱い。
 再度病院に電話するが、なかなかつながらない。スマホの画面に十数回の発信履歴が並ぶ。
 とにかく、病院に行かなければ。自宅を出る準備をしていると、病院から着信があった。相手は先ほどの通訳の女性で「様子が変わりましたかね?」と聞かれた。手短に症状を伝えると、女性は「わかりました。すぐ来られますか。どれくらいかかりますか」。

「大変なことになった」と、手に汗が。なぜなら今日は…

 病院に行くために自宅を出る用意はしていたが、いざ「すぐ来られますか」と聞かれると、「これは大変なことになった」と、頭の中を、ぐるぐると何かが駆け巡る感じを覚えた。
 
 この週末、夫が不在なのだ。しかも海外出張で、すぐに帰ってこられる場所ではない。
 私ひとりで、長男と、乳児の次男を連れて病院へ行く…しかも、私の中国語は超初級の状態。そして英語も、必死の思いで日常会話ができる程度で、流暢に話せるとはいいがたい。日本語通訳が常駐しているとはいえ、治療方針や勝手は日本と違う可能性もあり、私の判断や対応で問題ないだろうかと、とてつもなく不安になる。

 とはいえ、そんなことは言ってられない。今、親は私しかいないのだ。
 母子手帳とタオル、財布にスマホ、ティッシュ、次男用のオムツ1枚にお茶、ビニル袋と水、という最低限のものをショルダーバックに詰め、次男を抱っこ紐で抱く。長男の脇を抱えてなんとか自宅の下へ降りたが、タクシーが来るマンション敷地の入り口までも歩けなさそうだ。
 よし、と長男をおんぶして、タクシーの待つ敷地入り口へ向かう。前に8キロ、後ろに17キロ。すれ違う人の視線を感じながら、私にもこんな力あるんだなと思った。

北京ラッフルズ病院の玄関

長男の大嫌いな採血へ。そこに、想像を超える救世主が現れた。

 病院に着くとすぐに診察室へ通され、日本語通訳の方に入ってもらいながら、症状を伝える。
 医師によると「胃腸炎だろう」とのことだったが、血液検査をして、ウイルス性かどうかを確認することになった。
 「ああ、血液検査…」と思わず声に出てしまう。

 長男は4歳。もう「注射は痛い」ことが十分にわかっている。日本にいた時、かかりつけ医で注射を打つ時には、直前まで腕を引いて逃げようとしていた。力も強く動きも俊敏になり、看護師2人と私でおさえたほどだ。
 
 あれをまたやるのか、と思っていると、やはり、3人の女性看護師が登場。そのうちの一人は注射器を持っているが、もう一人が笑顔で話しかけてきた。
 「ねえ、終わったらアメちゃんあげるから~。アメちゃんいるやろ?食べよう。男前やな、がんばろな」。
 えーっと…。思わず笑い出しそうになって、力が抜ける。日本語が話せる看護師も在籍しているようだ。そしてこの絶妙なトーク、なんだ!?
 長男も日本語で応じる。
「注射はやなの!いやなの!痛いからいやなの!」
「そやなそやな、わかったよー。でもほら、終わったらあめちゃんあげるって。がんばろなー。よ、男前!!ほら、もうちょっとやで。あーえっらいなあ。ほんとえらい!さすが!」
 あめちゃん、男前…というかなんで関西弁?大阪弁?なんだろう…と考えているうちに、採血は終わった。

 長男は約束通り、関西弁の看護師からアメをもらった。しかも、日本でよくみるこのパッケージ。

長男がもらったアメの袋。長男は奥のベッドに座って早速なめ始めた。

 従妹たちと食べたことがあるアメが出てきて嬉しかったようで、長男は「今食べる」という。普段なら「おやつの時間じゃないよ」と言う場面だが、朝から何も食べていない長男が食べたいというのだから、すぐに開けて食べさせた。

 しんどそうに、でも少し嬉しそうにアメをなめる長男を見つつ、私は関西弁の看護師に話しかけた。
「日本語、お上手ですね」
「大阪に住んでいたことがあります」
「あ、大阪でしたか!なんか元気がでました、ありがとうございます」
「そうですか!?いえいえ。」
 屈託のない笑顔に、力が抜けそうになった。

 いやいや、まだ採血結果が出ていない。まあ結果が出たらすぐに薬を処方してもらって帰ることができるだろう、昼食は何にしようかな、などと、この時は考えていた。ここがまだ折り返しでもないことは知らずに…。

※ 北京へ来て2か月ほどたった時の出来事を書いています。現在の長男は元気に過ごしています。