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雑誌を観る、という体験。映画『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

少し時間が経ってしまいましたが、アカデミー賞ノミネート作品が発表されましたね。邦画だと『ドライブ・マイ・カー』がノミネートされたことが話題になりましたが(私は昨年タイミングを逃し未見…)、ノミネート作品の再上映も含め観たい映画が沢山あって悩みどころです。(この時期って映画ラッシュだった…!と久々に思い出しました。)

手始めに週末、アートワークが公開された時からずっとずっと楽しみにしていたウェス・アンダーソン監督作品『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』を観てきました。タイトルロゴのカーニングがあえて整えられていない感じ、看板っぽくて可愛いですね。
ウェス監督といえば、シンメトリーに作り込まれたとにかく可愛い画面構成、その作り込みがもたらすシュールさが特徴の一つですが、今作もそんな遊び心たっぷりマシマシの作品になっていました。

※ストーリーについての具体的なネタバレはありません。


とにかく「雑誌を読む」感覚のある映画

あらすじ
物語の舞台は、20世紀フランスの架空の街にある「フレンチ・ディスパッチ」誌の編集部。米国新聞社の支社が発行する雑誌で、アメリカ生まれの名物編集長が集めた一癖も二癖もある才能豊かな記者たちが活躍。国際問題からアート、ファッションから美食に至るまで深く斬り込んだ唯一無二の記事で人気を獲得している。
ところが、編集長が仕事中に心臓まひで急死、彼の遺言によって廃刊が決まる。果たして、何が飛び出すか分からない編集長の追悼号にして最終号の、思いがけないほどおかしく、思いがけないほど泣ける、その全貌とは──?

公式サイトより引用

癖のある編集者たちによって手掛けられた『フレンチ・ディスパッチ』誌最後の追悼号の内容を、章立てで展開していくのが本作のストーリー。
とある地域の潜入ルポから始まり、獄中の天才画家とそのミューズの話、記者がその目で見た学生運動の話、警察署の食事についての話…ストーリーごとのつながりは、記者がそれぞれ追悼号に寄稿しているというバックグラウンド以外は基本的に無いので、短編集のようなイメージだと掴みやすいかもしれないです。
ちなみに雑誌のモデルは1925年創刊の『ザ・ニューヨーカー』で、登場人物も同様に『ザ・ニューヨーカー』に携わった実在のライターや編集の方をインスピレーションにしているそう。

さて、見出しでも述べた通りですが、この映画は『“雑誌を読む”感覚を覚える映画』であるところが、他映画と決定的に違う点だと私は感じました。
しかし、映画のフレームが雑誌風になっているとか、画面の切り替わりがページめくりみたいだとか、そういう事ではないのです。一体どんな部分が「雑誌」を思わせるのか、自分なりの所感を並べてみようと思います。

1.カラー/モノクロの使い分け

作中でのカラー/モノクロの画面切り替わりがものすごく多い今作。時系列の表現でもないのにモノクロとカラーがどんどん切り替わっていきます。不思議だな…という気持ちで見ていたのですが、鑑賞後に他の方の感想を読んでいると「モノクロはテキスト、カラーは紙面に載っているイメージなのでは」という考察を見かけ、なるほどー!と腹落ちしました。実は作中でカラーとモノクロの画面が同時に映るシーンもあるのですが、この解釈で見るとすごく納得です…。

2.あえての静止画とシネマグラフ的演出

シネマグラフとは画像の一部だけが動いている動画の事を指しますが、必要な人・モーション以外の動きを完全に止めるような演出や、完全な静止画のカットがとても多く使われていると感じました。予告映像でも、それを存分に感じられる気がします。

本来動いているはずのモブや背景の揺らぎがない状態だと、映像なのに映像じゃない、その不自然さが2次元的印象をもたらすような気がします。ハリー・ポッターの映画の、新聞や写真の中の人物だけ動くあの感じを知っているからかもしれませんが…!

3.挿絵としての画作り

イラストを少し描く身として、鑑賞中に一番感じたのが“挿絵感”でした。
例えば、
・画面の前景に「丁度良く見切れで映る植物」
・同じく前景の「丁度良く見切れる足」
・ナレーションの内容を総括するような要素が画面に表示されている
などなど。
見切れの足については、映画『パラサイト』のポスターを思い出して少し面白くなってしまいましたが、イラストでは画面の賑やかしや奥行き表現の手段などでも使われる「見切れ」が、映像になると少し不自然に目に映るのは見ていてすごくおもしろかったです。(多分この構図のために、現実ではあり得ないような配置の調整をしたセットを用意しているのかな…と思いました。)

最後の「ナレーションの内容を総括するような画面の要素」とは、「字幕に書いてある情報と画面に映っている要素が完全に直接的でなかったり、挿絵のように若干抽象化されている」という意味で書きました。映像に見入ってしまうと字幕の内容が分からなくなってしまうし、字幕を中心に読むと画面の情報を取りこぼしてしまう。
本作では「ナレーションと、ものすごく作り込まれた絵がどんどん切り替わっていく」ようなシーンもあり、目がすごく忙しかったです…。
(私もその一人ではあるのですが、恐らく、この映画が日本人にとって「疲れる」という感想を抱かせる事があるのはこの画面要素と字幕内容の乖離が原因だと思っています。英語圏の方はきっと画面に注力できるので、私が感じた「忙しさ」はそこまで無いのではないかな?なんて考えたり。)


作り込まれた画面だからこそ

色々と書きましたが、画面の情報量を全部きちんと追えないのが本当に勿体無いと思うくらいに画作りへのこだわりが随所に感じられて、且つ先ほど述べたような「雑誌的技巧」が、本当に「映画を観た」ではなく「雑誌を読んだ」という感覚を呼び起こす体験であったところがとても面白い映画でした。
実は作中で実写→アニメーションになるシーンもあるのですが、この画面作りの影響か、今まで観てきたどんなアニメが挟まる実写映画よりも違和感なく実写とアニメが切り替わっていたような気がします。すごい。

劇中曲のPVもあるのですが、ポスターイラストや劇中アニメーションを担当されたジャヴィ・アズナレツさんが手がけています。映画の雰囲気そのまんまです。

ポスターも大変可愛い。


映画としての癖は少し強めですが、映画の新しい感覚を体験して見たい方、とにかく可愛い画面を浴びたい方はぜひ観てみてくださいね。
それでは、今回はここまで。


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