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コミュニティマネージャーは、(3/28)江本

先日受けた健康診断で「低血圧」と診断されたえもとです。寒いせいで朝起きられないのかと思っていたら、そういうことだったのか...!

さて、いただきました。ひりひりする質問。

コミュニティマネージャーって必要だと思いますか?

いやー、どう思われたっていいです。わたしの仕事は「コミュニティマネージャーは必要だ」と言わせることだと思ってます。コミュニティマネージャー自身が「この場にわたしは必要です」主張することは、うーん、どうなんだろう。というのが正直な感想です。でもそれはスタンスの話ですな。

根っからの天邪鬼なもんで、そんな質問されると完全にNO!と答えたくなります。必要ないよ!と。


私的コミュニティマネージャー論

本当は、ひとりひとりがありのままでコミュニケーションできる世界になればいいなぁ。

「このひとは心の中ではこう思ってるのかもしれない」
「じぶんの、この振る舞いは間違っているかもしれない」
「うーん、ちょっとこの空間(やイベント)、居心地悪いなぁ」
「こんなスキルを持ったひと、近くにいないかなぁ」
「あのひとと仲良くなりたい」

そんな気持ちは誰しもが持つもので、でも、持たなくてもいいもの。
あくまでわたしの考えですが、コミュニティマネージャーは場を知らぬ間に居心地よくするひとだと思っています。みんなが気づかない間に、居心地いいなんて思う間もなく、なんだかポジティブな気持ちになっている。また来よう、と思ってしまう。じぶんがそのまま、ありのままでいられる。

(英語でCommunity Managerと検索すると、SNS周りのコミュニケーション担当、みたいなニュアンスで出てきたりしますね。わたしの場合はリアルな場にいるひとを想定しています。)

「どんな仕事なの?」ってよく言われるし、価値を数値化するのが難しい、厄介な役割なのです。が、もしかしたら貨幣経済にそぐわないだけかも、と考え始めていまして。短期的金銭的リターンではなく、長期的情緒的なリターンの方が似合っている。それがコミュニティマネージャーかも? でもそしたら今の東京じゃあ、暮らせないぜ!

「いい場」が無意識につくられて、コミュニティマネージャーが不要な世界に。よくないですか。その前に、まずはコミュニティマネージャーという職能がきちんと認められたなら、そんなポジションで「正規で雇われる」こともきっと自然になる。妄想膨らむ、そんな社会。

(今回の写真は、終電待ちの駅で見つけた風景。手編みのざぶとん!みんなが優しさを持ち寄れるといいよねぇ。)

質問に対する答えとしては、現状(というかこれからもっと)必要だと思うけど、不要な世界にしたいな!ってところでしょうか。


公開ミーティングをしよう


えもとからの質問…ていうか公開ミーティング!
我々の会社を、どんな会社にしたいですか?妄想しようぜ!
わたしはとりあえず意思決定のスピードが早くてひとに優しい仕事がしたいわ!そして月に5日間生理休暇を取れて、週に3日休める働き方にしたい。笑

そんで、あらゆるひとに優しい場とコミュニティマネージャー育てる。

つくばにいらしてくださった方にコーヒーでもご馳走するために使います!