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カミングアウトと夢見た世界

「この研究テーマへの関心って、どこから来たものなんですか? 発表聞きながら、僕それがずっと気になってて」

 同期のケンタが投げてきた質問に、0.1秒未満でこう思った。

 詰んだ~~~~~~~!!



 今日、大学院に来て初めて僕が発表者になるゼミがあった。本来なら研究の進捗を報告して、先生やゼミ生から意見をもらう場だ。でも、外部からノコノコやって来た僕は「そもそもどんな卒論書いてたの?」という地点からスタートするので、早いうちにその話をするよう指示を受けていた。

 僕の研究テーマはジェンダーアイデンティティだ。それも、関心の対象はトランスジェンダー限定。これは僕自身がトランスジェンダーであることに由来するのだけれど、正直、大学院でカミングアウトする気はさらさらなかった。せっかく地元を離れたし、人間関係もまっさらになったし、普通にフツーの男子院生として暮らしたいと思っちゃったというアレで。

 だからひとまず、同期であるケンタとコウジにだけは、さりげなく「僕は男性ですよ」という記号をちょこちょこ示していた。大学院の先生方は誰も性別で敬称を分けない。この微妙な見た目で他者の認識をコントロールするためには、明らかに男性であるという開示が必要だった。それに対して2人は何も突っ込んでこなかったから、おそらく「とりあえず、本人がそう言ってるから」と納得してくれていたんだと思う。

 問題は研究テーマだ。この見た目でこのテーマ、カミングアウト同然じゃね? とはずっと思っていたのだけれど、関心を捻じ曲げることはできないわけで、まあその時が来たらスッとごまかしゃええやろ、と楽観してきた。で、そのツケが数時間前に回ってきた。

「この研究テーマへの関心って、どこから来たものなんですか? 発表聞きながら、僕それがずっと気になってて。差し支えなければでいいんですけど」

 データの内容を議論するのと同じ真摯さで、ケンタが僕に質問した。「差し支えなければでいい」という注意書きに、ケンタはピンと来ているんだとピンと来る。正直に僕の背景を話すか、学部時代の話を持ち出してそれっぽくでっち上げるか。「あ~そうですね」とワンクッションを挟んだ1秒間で、究極の選択が脳内を巡った。

「特支って、やっぱり障害を扱う分野なので、社会に困らされてるマイノリティには元から関心があって」

 自然と口からこぼれたセリフを聞き、タッチの差で遅れて僕自身も自分の決断を察した。OK、やっぱり言いたくないんだね。僕もこれからそのスタンスに合わせよう。

 問題は、息を継いだ二言目も無意識のまま喋っていたことだ。

「でまあ自分自身がトランスジェンダーなので、マイノリティの中でも特に研究したいのはセクシャルマイノリティのことかなと」

 ちょっと待てい!!(CV.相席食堂@朝日放送テレビ)

 今言ったよな? 完全に言ったよな? ゼミ生誰も表情変えずに聞いてるけど、100%口滑ったよな?

 ケンタは目を逸らさない。先輩はずっと同じテンポで頷いてくれている。OK、みなさんそういう姿勢で来るんですね。じゃあもういいや。

「当事者な分、LGBTのコミュニティにも出入りできるので、研究フィールドの基盤が既にあるっていうのも大きいです」

「なるほどね、納得しました。ありがとうございます。それだったら、アプローチ的には……」

 ケンタはそのまま、何事もなかったかのようにコメントした。

 2番手に質問してくれたのは、学部4年生の後輩だった。

「卒論を見た限りではアイデンティティ研究ではないと思うんですけど、どうしてこのアイデンティティ研究室に来られたんですか?」

 これに説得力のある回答をするにも、僕のジェンダーに触れざるを得ない。十数秒前に布石は打っている。もういいや。

「性別違和をアイデンティティ研究の中で扱いたくて、と言うのも……」

 腹を割った僕の応答に、後輩はこう返した。

「すごく腑に落ちました。それって、先輩自身がそうだから、っていう視点も込みですよね。着眼点にも研究フィールドにも新奇性があると思います」

 みんなが頷いた。あなたがこのテーマでアイデンティティ研究をしてもいいよ、と認められたような気分だった。



 学部時代、僕が教育界やその現場から離れようと思ったのは、自分がトランスジェンダーだからだ。もちろん、トランスジェンダーの教員だってたくさんいて、みなさん普通に働いていらっしゃる。でも、これまで教育現場でトランスジェンダーだと認知される度、僕にとってはアンハッピーなことしか起こらなかった。実習校とのいざこざが起きたり、逆に異常にもてはやされたり。僕はただみんなと同じように、教員志望の一学生として普通に扱ってほしかっただけなのに。

 だから、研究の世界に入ってそういう全てから解放されたかった。僕の研究を見て、論文を見て、実績を見て、トランスジェンダーとしてでない僕の価値を測ってほしいと思った。たとえお前は底辺だと言われても、それが僕の実力を正当に評価した結果でさえあればそれでいい。

 ゼミでのみんなの反応は、まさにそれと同じ空気だと感じた。「トランスジェンダーだから」あなたはすごいね、ではなく、きちんと「当事者のコミュニティの中にいることが、研究者としての強みになるから」あなたはすごいね、と言われた。そして僕以上に、ボソッとたった一言で的確な指摘をしたコウジがとても褒められた。そうそう、実力主義ってこれだよ、僕はこういう場所に来たかった!

 僕が研究に向いているのかどうかは、今は全く分からない。学会のオンデマンド配信を見るのが面倒で期限すれすれまで先延ばしにしているし、空き時間は論文ではなくYouTubeで溶かしている、怠惰な院生だ。でも研究の世界自体は、僕が求める世界そのもののような気がする、今はね。

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