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パルコ・プロデュース『セールスマンの死』観劇記

パルコ・プロデュース『セールスマンの死』をみました。
心に残る舞台でした。(ネタバレありの感想です。)

パルコ・プロデュース『セールスマンの死』

作:アーサー・ミラー
翻訳:広田敦郎
演出:ショーン・ホームズ
美術・衣裳:グレイス・スマート

出演:
ウィリー・ローマン(63歳のセールスマン): 段田安則
リンダ(ウィリーの妻): 鈴木保奈美
ビフ(ウィリーの長男):福士誠治
ハッピー(ウィリーの次男):林遣都
バーナード(ビフの友人。弁護士): 前原滉
ハワード・ワグナー(ウィリーの上司)・スタンリー(バーのウェイター):山岸門人
女(ウィリーの顧客):町田マリー
ミス・フォーサイス(ハッピーの女友達):皆本麻帆
レッタ(ミス・フォーサイスの友人):安宅陽子
チャーリー(ウィリーの友人。バーナードの父):鶴見辰吾
伯父ベン(ウィリーの兄):高橋克実

あらすじ:

年老いた63歳のセールスマン、ウィリー・ローマンとその家族の物語。
ウィリーの長男・ビフは高校時代にアメフトの選手として活躍するも今は定職もなく家に帰ってきた。父の過剰な期待に苦しんでいる。
次男のハッピーは女たらしのお調子者で、いつもその場しのぎの行動をとる非常に自分勝手な性格である。
妻のリンダは精神的に不安定な夫を愛し、献身的にウィリーを支えている。
ふがいない2人の息子への不安や不満、過去の幻影(妄想)にすがるウィリーが、ある決断を下すまでの二日間を描く。

感想1.原作や過去作との違い

今回のショーン・ホームズ版。芯の部分は原作通りですが、過去の作品とは描き方が異なっているように感じました。

1.セットの違い

一つ目の大きな違いはセットです。
アメリカ映画や2021年のKAATプロデュース版(演出・長塚圭史、主演・風間杜夫)では家のセットが使われていました。
しかし今回は『ウィリー・ローマンの頭の中』をデザインしたセットでした。
原作者のアーサー・ミラーが作品の題名を当初『彼の頭の内部』にしようかと考えたと語っていることを考えると、なるほどと思いますし、セットがシンプルなことで、観る側の想像の余地が広がったように思えました。

舞台に始終存在しているのは、正面に置かれた古びた黄色い大きな冷蔵庫とぶら下がる2本の電柱。
美術担当のグレイス・スマートさんはウィリーの周りで起きている資本主義化を表すものとしてこの2つを置いたそうです。(パンフレットより)

この冷蔵庫と電柱以外のセットは次々と変わっていきます。
ローマン家の台所、ビフとハッピーの寝室(二段ベッド)、在りし日のローマン家の日のあたる庭(ベンチ)、ウィリーとリンダの寝室。
そしてその他の場面では、演者が机やイス、レコーダーを持って登場します。

常に目に入る冷蔵庫とぶら下がる2本の電柱が、舞台全体に不穏な雰囲気と緊張をもたらしています。

2.ラスト部分

もう一つの大きな違いは、ラスト部分です。
今回のショーン・ホームズ版からは原作にあった "鎮魂曲(Requiem)” パートがなくなっています。原作によると ”鎮魂曲” 部分では、ローマン家とチャーリー、バーナードの5人だけが参列しているウィリーの葬儀の様子が描かれています。
今回、この部分が描かれなかったことにより、最後のウィリーの行動が死を選んだことを示しているのか、はっきりと目にすることはできません。おそらく亡くなったのでしょうが、あの最後の光景もまた彼の想像の産物だったのでは?と想像する余地が残っています。
ただ、ショーン・ホームズ版の終わり方でも、ウィリーが精神的に追い込まれていることは十分に伝わっており、かつ最後の去り方が強烈な方法だったため、ウィリーが別の世界に旅立ったと解釈できるとは思いました。


感想2.演者に息を吹き込まれた登場人物たち

今回の舞台では、演者の皆さんが登場人物の姿を見事に再現してくださったことで、原作の魅力がストレートに伝わってきました。

自己欺瞞に溢れ、妄想と現実を行ったり来たりするウィリー

ウィリーは本当は自分に自信が無く、自分がダメなことを知っていますが、周囲に嘘をつき、妄想することで本当の自分をごまかして生きています。また、魅力的で人望があることに重きを置いていて、長男のビフにそれを強要します。
妄想の世界は、現実とは異なり彼を受け入れてくれています。そこでは、ウィリーはベンと新世界に飛び込む可能性がある人物であり、浮気相手の ”女” からは、「あなたは面白い人」と褒められ自尊心を高められています。
段田さんは妄想の世界では強気、現実ではくたびれて弱気なウィリーを瞬時に切り替えて演じられており、現実と妄想が入り混じる展開でもこちらが混乱することはありませんでした。

物語の終盤、勤務先から解雇されたことで、自分がダメだということをようやく理解したウィリー、なぜ成功したのかとチャーリーとバーナードに尋ねます。その時の段田ウィリーは、とても小さく見えるし、正気に戻って見えます。
自分を過大評価し、威張り散らしているウィリーとは大違いでした。
でも結局、残念ながら妄想が勝ってしまい、ウィリーは再び自己欺瞞の世界に戻ります。ここの段田ウィリーの転換も鮮やかでした。

特に印象的だったのは、ウィリーの登場シーンと退場シーンです。
最後の決断をした時、段田ウィリーは幸せそうに見えました。
でも、実際はその時に至ってもまだウィリーはビフのことを理解していないのですよね。
ビフは商売をやるよりも、馬の世話をしている方が幸せなのに、ウィリーは自分が残した保険金でビフが商売を始め、成功すると思っています。
そんなウィリーが哀れでした。
実際にウィリーだって、セールスマンではなく他の仕事の方が幸せだったかもしれないのに。
でも、その真実を受け入れるくらいなら、ウィリーは死んだ方がましだったのかもしれません。
ラストシーンの前の段田ウィリーの嬉しそうな表情が心に残ります。

献身的だけれど、表面しか見ようとしないリンダ

ウィリーの妻であるリンダ(鈴木保奈美)は、ウィリーを愛し、献身的に彼を支えています。しかし一方でウィリーの嘘や妄想、自殺願望について心配するだけです。リンダはウィリーに真実を伝えたり、何かしらできるのではと思いますが、当時の時代背景もあるのでしょうが、彼女はその現実を ”無かったこと” にしようとしているように見えます。
息子たちに対する態度も、ただウィリーの目の前から消えて欲しいと願うだけで、息子たちを根本的に変えようという気はないようです。
目の前から消えても問題は無くならないというのに……。

鈴木さんのリンダは、少女のような軽やかさと可愛らしさを持っていますが、それが逆に残酷だと感じます。自分では何も動かず、ただ困難な時が過ぎるのを待つ妻。ウィリーが徐々に壊れていく様子や、息子たちの欠点を本当は誰よりも分かっているのに、あえて見ないようにしている。
また、そうして自分に嘘をついていることに気づいてすらいないかもしれない、そんなリンダに見えました。

盗癖などひどい面もあるが、心優しいビフ

英語のビフ(Biff)には ”打撃、一撃をくらわす、ぶんのめす” という意味があります。
なぜ、アーサー・ミラーがBiffという名前をローマン家の長男に付けたのかはわからないのですが、この名前が示すような力強さはビフの本質では無いように思います。
ビフは、ウィリーがボストンで浮気をしていることを見つけてしまい、そのショックでサマースクールに行くことも出来なくなってしまうような優しい子です。
父親の浮気についても、母にも弟にも黙っていたビフ。真実を伝えれば、愛する母が苦しみ、弟もまた父を尊敬しなくなることを恐れたのでしょう。

福士さんのビフからは、青年から中年に向かう年齢のビフ、人生が半分過ぎても何も成し遂げておらず、愛する父親の期待に応えられないビフの苦しみが伝わってきました。

ビフは盗癖もあり、どうしようもない性格ですが、もしウィリーが過剰な期待を寄せず、ビフを勘違いさせずに育てていれば、今頃平凡に幸せに暮らしていたかもしれません。
ビフはクズですが、変わりたいと願い、変わろうとしていたと思います。
彼は最後までウィリーを大切に思い、出来るだけ父を傷つけず、父が理想とする自分の幻影を真実(平凡な自分)に導こうとします。
しかし失敗します。
最後にウィリーとビフが対決するところは、段田さんと福士さんの気持ちがぶつかる素晴らしいシーンでした。福士さんのビフの強い訴えに毎回涙が出ました。

ビフの振る舞いを見て、私自身、ビフが表すような平凡さを自分のこととして受け入れることができているのか、問われたような気がしました。

それと、内容からはずれますが、福士誠治さんの声が非常に良かったです。聞きやすく、哀切に富んでいました。ビフは頭が悪く、盗み癖もある青年ですが、憎み切れないところがあり、そこを福士さんがうまく演じられていたと思います。素晴らしかったです。

お調子者のクズ男、ハッピー

私が応援する林遣都さんが演じるハッピーは、真のクズでした。。。
確かにローマン家では、長男のビフが大事にされ、ハッピーはそれほど期待されていません。それは気の毒に感じます。
おそらくその孤独な育ちのせいでしょうが、ハッピーは成功欲が強く、父親のウィリーばりの非現実的な自信を持っています。
ハッピーは、その名 Happy が表す ”幸せ” とはほど遠い所で暮らしており、自分の能力をひたすら女漁りに使っています。もったいない。
もっとそのエネルギーを仕事に振り向ければいいのに、そうはしません。おそらくウィリー同様自分を過大評価しているのです。
林さんは、そんなクズでお調子者のハッピーを生き生きと演じられました。

ハッピーもウィリーやリンダと同様に現実を見ようとせず、自己欺瞞の世界で生きています彼等はお互い現実に目をつぶり、妄想の世界を現実と混同し、嘘をつくことでその場をやり過ごして生きています
ハッピーは、ウィリーやリンダより若い分、罪も深いと思います。

おそらくハッピーは、ウィリーの死後に入ってきた保険金でビジネスを始めたいと言うでしょう。そして失敗する気がします。ハッピーは女遊びに夢中で女にモテる自分を高く評価しているけれども、ウィリーに似てビジネスの才覚は無いように思うからです。


感想3.登場人物が示す物語の軸


ベンとウィリーの対比

ウィリーの兄、ベンは既に亡くなっていますが、ウィリーの混乱した頭の中では新天地で成功した理想の人物として登場します。

ウィリーはベンに、幼い頃亡くした父の面影をも求めているように見えました。だから妄想の中でもベンに助言を求めます。

ベンを演じた高橋克実さんは、常に早口で急いでいて、堂々としていました。ウィリーを支配していました。
実際には、ベンは子どもだったビフに卑怯な手段を用いたように、人として優れた人物ではなかったと思います。
しかし、真っ白いパリっとしたスーツを着て成功者として自信たっぷりに振る舞うベンと、くたびれた段田さんのウィリーが対照的に見え、哀れに感じました。
家族を持つウィリーは、自由気ままに振る舞うことも難しく、その点もベンとの対比となっていると思います。

チャーリーとバーナード、理想的な親子

ベンとウィリーは対照的ですが、ビフ(福士誠治)とバーナード(前原滉)もまた対照的だと思います。
そしてバーナードこそ、ウィリーが望んだ息子の姿なのです。仕事で成功を収め、家族を持ち、控えめな性格で決して自分の成功をひけらかしたりはしないバーナード。

ウィリーはバーナードの父であるチャーリー(鶴見辰吾)の助けを拒否し、ビフはバーナードの助けを借りません。

チャーリーとバーナードは親子そろって善人且つ成功者なのです。
鶴見さんのチャーリーはユーモアがうっすら透けて見える、とてもチャーミングな人でした。バーナード同様に、控えめで優しいチャーリー。
自尊心の高いウィリーを刺激することなく、さりげなく気にかけてくれています。鶴見さんのチャーリーは穏やかでとても素敵な人でした。
そして、前原さんのバーナードは大人になってからの落ち着いた様子がとても良かった。誠実さが伝わりました。

感想4.心に残った点

この劇で描かれていたことの中で、幾つか心に残った点がありました。

まずローマン家にとっては、お金があるから幸せなのかどうかという点です。
ウィリーは自分の命を犠牲にして2万ドルの保険金を入手するのですが、それで残された家族は幸せになるのでしょうか。
また、仮にウィリーがもっと十分にお金を稼いでいたとして、この家族は幸せだっただろうか、と考えるとそれも大いに疑問です。
なぜなら、ローマン家の人々は、誰もが本当のことを言わずに過ごしており、それはビフとハッピーが小さかった頃、日の当たる場所にローマン家が住んでいた時代から変わっていないからです。その頃から彼らは嘘ばかりついていました。

そして、”正しいと信じていたもの” と、”真に正しいもの” の比較も面白いポイントだと思いました。ウィリーが成功の秘訣と考えていた ”人にいい印象を与えること” は、成功の秘訣ではありませんでした。
ウィリーが生涯追い求めていたものは、間違っていたものだったのです。

ウィリーが重視していた価値観も”正しいと信じていたもの” と、”真に正しいもの” の比較となっています。
本来は金銭的な成功よりも家族の幸せの方が上にくると思うのですが、ウィリーは金銭的な成功、表面的な成功に重きを置いている気がします。
家族がウィリーを尊敬している時点で、本来は幸せなはずなのに、ウィリーにはそこが伝わっていない。
ここでもウィリーは真に正しいものを選ぶことができない、というのも面白いです。

作品のモチーフとして出てくるものについて

この舞台で最も印象的なのは黄色い冷蔵庫です。
私にはこの冷蔵庫は、辛い現実世界と幸せな妄想世界との扉になっているように見えました。
この冷蔵庫の後ろから登場するのは、妄想の中でウィリーを成功へと誘うベン。そして黄金に輝くアメフト姿のビフです。
その二人の姿は取り戻せない過去(悔恨)につながっています。
ウィリーは最後には冷蔵庫の中に取り込まれます。その中に入ることで、ウィリーも幸せな妄想の世界の一員となれたのだと感じました。

自転車に乗る少年時代のバーナードも印象的でした。
彼の姿もおそらく取り戻せない過去(悔恨)を表しているのではないでしょうか。もう、そこに戻ることはできない過去。
こうすれば良かった、という後悔の中で生きているウィリーの心情を現わしていたのかなと思います。

ウィリーが庭に植えた種も気になりました。おそらく、死んだ後に子供たちに残すために蒔いたのでしょう。。
最後に選んだものが、今までウィリーが大切にしてきた自尊心などの目に見えないものではなく、目に見えるもの、収穫(手に入る)できるものだったことが面白いと思います。

ストッキングが示しているのは不貞だと思いますが、一方で経済的に成功している男の象徴としても登場していると思いました。
ウィリーのセールスマンとしての成功を示すものとして女にプレゼントされるストッキングですが、現実世界でのリンダは穴の開いたストッキングを繕っています。この対比も見事だと感じました。

最後に

この作品で描かれた自己欺瞞や自己否定は、私の中にも存在するもので、だからこそ強く惹かれたのだと思います。
段田さんをはじめ今回の演者の皆さんの熱演により、この舞台の世界が私の中に入ってきたことは、とても幸せな経験でした。
また機会があれば、段田さんのウィリーに会いたいと思います。
素敵な舞台をありがとうございました。
そして、この舞台に出合わせてくれた林遣都さんにも感謝いたします。
研鑽を積まれた遣都さんのビフにも会ってみたいです。

舞台って本当に面白いですね。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

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