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舞台『ガラスの動物園』。家族という小さな世界。密度の濃い作品でした。

シアタークリエにて上演されている『ガラスの動物園』を観てきました。

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作:テネシー・ウィリアムズ
翻訳:小田島雄志
演出:上村聡史

トム・ウィングフィールド:岡田将生
本作の語り手。アマンダの息子でローラの弟。靴会社の倉庫で働いている。詩作が趣味で、現実から抜け出したいと願っている。

ローラ・ウィングフィールド:倉科カナ
アマンダの娘。足が不自由なことでコンプレックスを抱えており、引きこもりがち。とても内向的な性格。ガラス細工の動物コレクション(「ガラスの動物園」)を大切にしている。

ジム・オコナー:竪山隼太
トムの職場の同僚で、向上心がある若者。高校時代の人気者。トムが自宅へ夕食に招く。

アマンダ・ウィングフィールド:麻実れい
過去の思い出に縛られており、現状に不満を持ちながら暮らしている。夫は家から出て行ったため、トムが家を離れることを恐れている。ローラの行く末を案じ、青年紳士との出会いを待ち望んでいる。


2021年。新型コロナウイルスに明け暮れてた一年。夏にはオリンピックがあったが、今回はあまり見る気が起きなかった。その代わり、推しである林遣都さんの映画『犬部』だったり、舞台『フェードル』『友達』、それから『 007 No Time To Die 』など色々な映画を見た一年だった。その締めくくりに選んだのが、舞台『ガラスの動物園』。
元々演劇を見ていたわけでもなく、詳しいわけでもない私。
当然この作品を書いたテネシー・ウイリアムズが有名な劇作家であることも知らなかった。
たまたま友人がテネシー・ウイリアムズを好きでこの舞台を勧めてくれたので興味を持ち、何度も上演されているから名作なんだろうし、岡田将生さんが主演というのにも惹かれてチケットを申し込んだ。
そこで師走のシアタークリエへ。

ひと言で言えば、濃密で素晴らしい舞台だった。
登場人物はわずか4人。一幕に至っては3人で進行する。それも狭いアパートの一室で。
トム役の岡田将生さんは舞台の進行役も務め、彼の追憶の形で物語は進んでいく。その彼の台詞回しが素晴らしい。過去を思い出す際の口跡はなめらかで時に甘く時に苦く、家族の日々のあれこれを落ち着いた口調で確かに伝えてくれていた。彼の声が抜群に良いので、物語の世界に違和感なく没頭することができた。
私は岡田さんをテレビでしか見たことしか無かったのだが、彼は非常に舞台映えする俳優だということに気づかされた。
背が高く、手足が長く、一つ一つの仕草が美しい。今回の衣装であるロングコートも良く似合っていた。
そして、表現。元々上手な俳優さんだと思っていたが、舞台上でもトムの絶望や感情の爆発をうまく伝えてくれていて、心が揺さぶられた。
決して大げさではなく、しかし感情の爆発もそれを抑える表現も素晴らしかった。
彼の舞台をもっと見てみたいと思わされた。

そしてトムとローラの母親役である麻実れいさん。彼女はアマンダそのもので、この舞台に君臨していた。アマンダがおぞましければおぞましいほど、トムの苦悩やローラが振り回されている様子が際立つのだが、麻実れいさんのアマンダは今で言う ”毒親” の一種である母親を見事に表現していた。
この母親は過去の栄光にすがり、現実を見ず、見栄っ張りで自分勝手でトムやローラを振り回すとんでもない人物なのだが、麻実さんのアマンダにはどこか憎めない部分がある。自分を客観視できずに愚かに空騒ぎするアマンダには何度も笑わされた。見てると軽蔑の念さえ沸いてくるような鼻持ちならない女なのに最後には同情してしまうのは、演じる方の演じ方次第なんだろうと思う。
そして麻実さんの素晴らしいところはもう一つ、台詞の聞こえやすさだ。アマンダの小さなささやき、小さな嘆きも後方の席にいた私にも届いていた。ああ、これが本当の舞台俳優なんだなと強く印象に残った。

ローラ役の倉科カナさん。とても可憐な雰囲気で、内気だけれど時折はっとした美しさを発するローラにうまく合っていた。
役柄上動きが少ないため、動作から伝わることが少なかったけれど、震える声、アマンダの様子をうかがう声、トムと話す時の打ち解けた声はとても良かった。
そして、初恋の相手でもあるジムとの短いひとときの間で、彼女の地味な人生のハイライトとでも言うべき恋のときめき・発露、胸の高揚、そして真っ逆さまに突き落とされる変化が起こり、ローラの気持ちと共に私も心が動かされた。

トムの会社の同僚であり、アマンダ待望の ”青年紳士” であるジムを演じたのは竪山隼太さん。登場人物の中で唯一の家族外の人物である。確かにジムはウイングフィールド家の面々とは異なり、どこか前向きで開放的な雰囲気がした。ジムの快活さが彼ら家族の鬱屈とした様子と対照的なのが良かった。
堅山さんは元々舞台の人のようで、当然ながら発声も美しいし、立ち居振る舞いは紳士そのもので、ジムによく合っていた。できればもう少し歌を聴いてみたかった。

今回の舞台は、普遍的な家族の問題を描いていて、改めて家族の繋がりの重さ、良くも悪くもその重さを考えるきっかけにもなった。
今日にも伝わる主題を描いているからこそ、この作品は名作なんだろうと思う。そして、そのテーマを明快に示してくれたのも、今回の出演俳優4人の組み合わせが良かったからだと感じた。
舞台を見た経験は少ないが、舞台は俳優さんの力量を如実に示してしまう。映像の世界で活躍している方が舞台で輝けるかというと、必ずしもそうではないことは、少ない舞台鑑賞経験でも何となくわかってきた。
だからこそ、少ない人数での舞台は難しいと思う。
今回の『ガラスの動物園』は麻実れいさんのアマンダという怪物が舞台に君臨している状態だが、それに他の登場人物であるトムやローラ、ジムが負けずに存在を主張しており、バランスが良いのだと感じた。トムやローラ、ジムが他の役者さんだったら、アマンダの独り舞台に感じてしまったかもしれない。もしそうなった場合、舞台経験の豊富な麻実さんは抑えた演技をされただろうが、そうであると物語全体のインパクトは小さかったかもしれない。
そう考えると、とても良い配役の舞台を見ることができたのだと思う。見事だった。

一つだけ気になったのは、タバコの匂い。
舞台の上でトムとジムが喫煙するシーンがいくつもある。それについては、原作通りであるし気にならない。むしろその当時のことを考えるとタバコを吸わない方がおかしいと思う。
しかし、本物のタバコを使用した演出なのか、それともタバコを模した匂いを演出上出しているのか、何度も煙たい思いをした。タバコの匂いが苦手だったので、それだけは気になった。

それと、これは舞台のことではないのだが、『ガラスの動物園』の原題は『 The Glass Menagerie 』。『 The Glass Zoo 』ではないことが気になった。そこで、Menagerie の意味を調べてみると、下記のように書かれていた。

Menagerieは、捕らわれたエキゾチックな動物たちのコレクションで、陳列されているもの、または陳列している場所であり、現代の動物園の前身にあたるものである。

この用語は17世紀のフランスで最初に使われた言葉のようで、その後貴族や王室の動物のコレクションに関連して使用されるようになったそうだ。
そう考えると、The Glass Menagerie とは、まさにこの作品のタイトルにふさわしく、キラキラと美しいけれども古めかしさと大仰さを表しているように感じられる。まるでアマンダが生きている世界のように。

舞台を見た後、この物語の指し示すところ、ローラの大切にしているガラス細工の動物園や欠けたユニコーンの角の意味、ジムにユニコーンを渡した意図、この一家の行く末など、物語に関連して考えてしまうことがたくさんある。
いい作品を見た後には、必ずそういう時間が訪れる。
そして、そういう時間こそが私は大好きだ。

いい舞台をありがとうございました。


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