受けとることが愛だったのか

表現がなんとも難しくさせちゃうのかもしれないけれど、私、受けとることができてなかったんだなーって気付いた

与えることばかり力を注いでいたなーと

察してあげる的なことにエネルギーが向いていた

でも循環が起こっていないことにどこか腹を立てていた

こんなにもしてあげているのに!と

届いてないのかな、まだ与え足りないのかなとさえ思ったこともある

彼からの愛を受け取っていなかった

私の思う通りのカタチでほしくて、それ以外はノーカウントとしていたんだ

ほんとうの彼を見ていなかった

だから循環が起きていなかったのか

受け取ること自体がすでに愛なのかもしれない。それはそのまんまの本来の彼を認めているということにもつながる。足すこともなく変えてほしいというエネルギーも含まない純粋なもの。

自分が愛されていいのだということを許可することでもある気がする(これ意外と難しかった)

歪んだ視点なく、フラットな視点で事実をそのまま受け取れると、ささやかながらも彼なりのエネルギーで包んでくれていたことに気付けたりする。

そのまんまの彼を受け取れるから自然と与えることができ循環するという仕組みなのかもしれない。それを受け取らずに拒否しながら、無理矢理自分から得体の知れない変なエネルギーを愛として届けていたのかもしれない。やってることが矛盾してて気持ち悪かったと思う(^^;

だから、言葉にはしなかったけれど、困っていたのかもしれない、ごめん

愛のエネルギーはどちらかだけのものじゃない

二人が共に気持ちよくいられること、関わる人がみんな心地よくいられること

好循環とはこういうことか

みなさんのそれぞれの道を応援しています✨