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勝手に「スゴ本認定」したくなった1冊

フォレスト出版編集部の寺崎です。

遅ればせながら、すごい本に出会ってしまいましたぁぁぁぁ!!

・・・これです。

私が勝手ながら「スゴ本認定」したのは、ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上下巻】』(文藝春秋)です。

本国オランダで発売たちまち25万部突破、世界46カ国でベストセラーとなっている本書。日本では2021年に発売されました。

著者のルドガー・ブレグマンはオランダ出身の歴史家、ジャーナリスト。1988生まれだから、弱冠35歳。若い新進気鋭の学者です。

この本で伝えているメッセージはただ一つ。

「人間の本質は善である」

これです。

「いやいやいや、んなわけないでしょ。人間が善だって? だったらなんで戦争起こして互いに殺しあったりすんのよ」

はい。そう思うのは当然です。

私も最初はそう思いました。

しかし、本書ではありとあらゆる歴史的な証拠を検証したうえで、「人間の本質は善である。だからこそ人類は、危機を生き残れた」と主張しています。

いったいどういうことなのか。

『蠅の王』はリアルでは起こらなかった

ノーベル文学賞を受賞したウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』(1951年)という小説があります。無人島に漂着した少年たちが救助を求める生活をするなかで、やがて崩壊していくさまを描いた作品です。

 振り返ってみると、同書が成功した理由は明白だ。ゴールディングには人間の暗部を描く並外れた能力があった。「最初は汚れのない状態でも、人間の本質が、それを汚すように強いるのです」と、彼は編集者に送った最初の手紙に書いた。あるいは、彼が後に語ったように、「ミツバチが蜂蜜を作るように、人間は悪を生み出す」。
 言うまでもなく、ゴールディングは、50年代ならではの時代精神を背負っていた。当時の若い世代は、第二次世界大戦中の残虐行為について親世代に尋ねた。アウシュヴィッツは異常だったのか、それとも、わたしたち一人ひとりの中にナチスが潜んでいるのだろうか、と。
 ゴールディングは『蠅の王』において、答えは後者だと示唆し、大ヒットを博した。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

著者も10代のころに『蠅の王』を読んで、人間性についてのゴールディングの考え方に疑問を抱いたことは一度もなかったそうです。

しかし、ゴールディングの人生を調べてから疑問を抱き始めます。ゴールディングはアルコール依存症で、抑うつ的で、自分の子どもを虐待していました。

「わたしはいつもナチスのことを理解していた」とゴールディングは告白している。「なぜなら、わたしもそういう性質だからだ」。そして、『蠅の王』を書いたのは「いくらかは、その悲しい自己認識からだった」。
(中略)
 そう知ってから、わたしは次のような疑問を抱くようになった。無人島に子どもたちしかいない時に、彼らがどう行動するかを、実際に調べた人はいないのだろうか。わたしはこのテーマに関する記事を書いた。その記事では、近年の科学的洞察と『蠅の王』を比較して、おそらく子どもたちは、その小説に描かれたのとは異なる行動を取るだろう、と結論づけた。そして、「自らの裁量に任された子どもたちがあのような行動をとるという証拠は皆無だ」という、生物学者フランス・ドゥ・ヴァールの言葉を引用した。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

そして「リアル蠅の王」探しが始まります。すると、1966年にトンガの南にあるアタ島に漂流して1年間孤立していた6人の少年が救出された事件を知ります。

さて、彼らは『蠅の王』のような結末を招いたか。

彼らを救出したオーストラリア人のワーナー船長は回想録にこう書いています。

 ワーナー船長は回想録に書いている。
「わたしたちが上陸した時、少年たちは小さなコミュニティを作っていた。そこには菜園と、雨水をためるための、くりぬいた木の幹と、変わったダンベルのあるジムと、バドミントンのコートと、鶏舎があり、いつも火がたかれていた。すべて古いナイフを使って手作業で作ったもので、強い決意の賜物だった」
 スティーブン(彼の後にエンジニアになった)は、数え切れないほど失敗した後に、二本の棒を使って火を起こすことに成功した。フィクションの『蠅の王』の少年たちは火を消してしまったが、現実の『蠅の王』の少年たちは、1年以上、火が消えないように管理した。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

少年たちの1日は歌と祈りで始まり、ココナッツの殻でつくったギターで仲間を励ましあい、喧嘩をしたときはそれぞれ島の反対側に行って怒りを鎮めたそうです。

性善説と性悪説の終わりなき戦い

人間は善良なのか、それとも邪悪なのか。
これは、何百年にもわたって哲学者が取り組んできた問いです。

この永遠の問いに登場するのが、トマス・ホッブスとジャン・ジャック・ルソーという2人の哲学者です。

 この二人は、一度も会ったことがなかった。ルソーが生まれたのは、ホッブスが亡くなった三三年後だ。しかし彼らは、哲学のリング上で戦い続けてきた。一方のコーナーにいるホッブスは悲観論者で、人間の本性は邪悪だと主張し、社会的契約に基づく国家(civil society)だけが、人間を卑しい本能から救える、と断言した。もう一方のコーナーにいるルソーは、人間の本性は善良であり、「文明」は人間を解放するどころか破壊する、と語った。
 仮にあなたがこの二人の名前を聞いたことがなかったとしても、彼らの正反対の見方は、この社会の最も深い分裂の源になっている。これほど強く広範に影響した議論を、わたしは他に知らない。選ぶべきは、厳しい処罰か、手厚い福祉か。少年感化院か、芸術学校か。トップダウンの経営か、権限を持つチームか。一家の稼ぎ頭としての父親か、育児に熱心なパパか。あなたが思いつくほぼすべての議論が、元をたどればホッブスとルソーの対立にさかのぼる。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

ホッブスの有名なフレーズ「万人の万人に対する闘争」は性悪説を表しています。人間は邪悪だから管理せなアカンという考えですね。あたかも「社員はサボることばかり考えるから、つねに監視しなければいけない」と考える経営者です。

こうした性悪説による人間観はありとあらゆる場所にみられます。一世を風靡したリチャード・ドーキンス博士の『利己的な遺伝子』が典型です。「人間の遺伝子がすべての生物の中で一番利己的だから、生き延びたのだ」と。

「だが本当にそうだろうか」とエドガー・ブレグマンは問います。

このことは「ネアンデルタール人が絶滅して、なぜホモ・サピエンス(我々)が生き残ったのか」という問題にヒントが隠されていました。

ネアンデルタール人が絶命した理由

ネアンデルタール人(正式名はホモ・ネアンデルターレンシス)は進化に劣る種と思われがちですが、ところがどっこいホモ・サピエンスよりも脳の容量は大きく、体格もデカかったことがその後の研究で分かってきたそうです。

ネアンデルタール人について新たな発見が続くにつれて、彼らは驚くほど知的だったというコンセンサスが高まってきた。彼らは火をおこし、調理をした。衣類や楽器や装身具を作り、洞窟に壁画を描いた。ある種の石器の作り方など、わたしたちがネアンデルタール人の真似をしたことを示唆する証拠もある。死者を埋葬する習慣もそうではないかと考えられている。
 では、何が起きたのか? 大きな脳とたくましい筋肉を持ち、二度の氷期を生き延びたネアンデルタール人は、なぜ地球上から消えたのだろう。二〇万年以上もの間、生き抜いてきたのに、ホモ・サピエンスが現れると間もなく、ネアンデルタール人にとってゲーム終了となったのは、なぜなのか。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

「ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を皆殺しにした」という説もありますが、結論から言うとこれはどうやら違うようです。

ここで話は1958年のモスクワに飛びます。登場する人物は動物学と遺伝学を専門とするモスクワ大学のドミトリー・ベリャーエフ教授。ベリャーエフは野生の獰猛なキツネから従順なイヌを作り出す研究をしていました。

 もっとも、彼らが解こうとしていたのは、どうすれば、どう猛な捕食動物をフレンドリーなペットに変えられるか、というシンプルな謎だった。チャールズ・ダーウィンはすでに100年前に、ブタやウサギやヒツジなどの家畜にはいくつか注目すべき類似点があることを指摘していた。まず、それらは野生の祖先より体が小さい。また、脳と歯も野生の祖先より小さく、多くの場合、耳は垂れ、尾はくるりと巻き上がり、毛皮にはまだら模様がある。そして、おそらく最も興味深いのは、生涯にわたって幼く、可愛らしく見えることだ。
 これが長年ベリャーエフを悩ませてきた謎だった。なぜ家畜化される動物は、そのように見えるのだろう。なぜ、はるか遠い昔に、数えきれないほどの農民が、コルクスクリューのようなしっぽや垂れた耳や子どもっぽい顔を持つ子犬や子豚を好み、それらを選んで飼育したのだろう。
 それについて、ベリャーエフは過激な仮説を立てた。こうした可愛らしい特徴は、農民が選択したのではなく、何か別のものの副産物にすぎないのではないか。つまり、それらの特徴は、動物が長い期間、ある性質ゆえに選択されつづけた結果、生まれたのだ、と彼は考えたのだ。
 その性質とは? 人懐っこさだ。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

このような仮説のもと、ベリャーエフは自然の状態では数千年かかる変化を、数十年で再現する計画を立てます。人間を怖がらない個体だけを交配させて、野生の動物を飼いなされたペットのように変える。試す動物として選ばれたのはギンギツネでした。

 進展は驚くほど速かった。
 1964年に、選択交配の四代目で、キツネはしっぽを振り始めた。その行動が自然選択の結果であって、生後に学んだものではないことを証明するために、トルートとチームは、キツネたちとの接触を最小限にした。しかし、そうすることは次第に難しくなっていった。数世代たつうちに、キツネたちは人間の気を引こうとし始めたのだ。よだれをたらしながらしっぽを振るキツネの子どもを、誰が無視できるだろう。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

こりゃ、驚きですね。ペット化されたキツネは、以下のように(かつてダーウィンが指摘した通りの)目立った身体的特徴も現れたそうです。

◎耳が垂れる
◎しっぽが丸くカールする
◎毛皮に斑点模様が表れる
◎鼻は低くなり、骨が細くなる
◎オスは次第にメスに似てくる
◎イヌのような吠え方をする
◎飼育者に名前で呼ばれると応えるように

そして、1978年に行われた国際遺伝学会議でベリャーエフは次のような発表をします。

「キツネに起きた変化はすべて、ホルモンに関係があると、わたしは考えています」と彼は言った。「ひと懐っこいキツネほど、ストレス・ホルモンの分泌が少なく、セロトニン(幸せホルモン)とオキシトシン(愛情ホルモン)の分泌が多いのです」
 そしてこう言って締めくくった。「これは、キツネだけに言えることではありません。もちろん、人間にもあてはまります」

 今から思えば、これは歴史的な主張だった。
 リチャード・ドーキンスが利己的な遺伝子に関するベストセラーを出版して、人間は「生まれながらに利己的」だと結論づけた2年後に、ロシアの無名な遺伝学者が、正反対のことを主張した。突き詰めれば、ドミトリー・ベリャーエフは、人間は飼いならされた類人猿だと言っているのだ。数万年の間、良い人ほど、多くの子どもを残した。人間の進化は、「フレンドリーな人ほど生き残りやすい」というルールの上に成り立っていた、というのが彼の主張だ。もし、それが正しければ、わたしたちの体にはその証拠があるはずだ。ブタやウサギや、近年ではギンギツネと同じように、人間はより小さく、より可愛らしくなったはずだ。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

そして、その後にあらゆる研究によると、ベリャーエフの指摘の通り、20万年の間に、人間の顔と体は、より柔和で、より若々しく、より女性的になったことが明らかとなりました。脳は10%ほど小さくなり、幼形成熟(おとなになっても幼体の特徴を持つこと)がみられ、子どものようになったのが我々の祖先たちでした。

本書ではこうした進化を遂げたホモ・サピエンスを「ホモ・パピー」(パピー=子犬)と呼んでいます。

 わたしたちの外見に変化が起きたのは、およそ5万年前で、興味深いことに、それはネアンデルタール人が姿を消し、わたしたちが盛んに発明を始めた頃だ。例えば、より優れた砥石、釣り糸、弓矢、丸木舟、洞窟壁画などである。こうしたことはいずれも、進化の観点から見れば、辻褄が合わない。人間は脆弱になり、攻撃されやすくなり、幼くみえるようになった。脳は小さくなった。しかし人間の世界は複雑になっていった。
 なぜこんなことになったのだろう。ホモ・パピーはどうやって世界を征服したのだろう。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

なぜ、チンパンジーではなく人間が世界を征服したのか?

ところで、人間とバナナのDNAは60%、人間をウシのDNAは80%が同じだろうです。さらには、チンパンジーとはなんと99%が同じだそうです。

牛が人間の乳を搾るのではなく、人間が牛の乳を搾り、チンパンジーが人間を檻に入れるのではなく、人間がチンパンジーを檻に入れるという状況は、決して当たり前の成り行きではなかった。1%の違いが、なぜこれほどの差をもたらしたのだろう。

ルドガー・ブレグマン『希望の歴史【上巻】』より

ちょっと記事が長くなりすぎましたので、こららの問いの答えとして本書で記されている仮説をまとめます。

  • ネアンデルタール人は個体としてはホモ・サピエンスより優れていたが、社会性に欠けていたため、模倣と知恵のシェアをしながら集団生活を送るホモ・サピエンスが過酷な環境を生き抜いた。

  • 人間は「超社会的な学習機械」であり、学び、結びつき、遊ぶように進化してきた(まるでペットのように)。

  • 「赤面する」という現象は人間特有のものだが、これこそが人間が「社会的存在」であることの証しであり、信頼を育み、互いの協力を可能にする。

  • 目に白い部分があるのは人間だけに見られる特徴。これは人が何に注意を向けているかを周囲の誰もが察知できる。社会的な種として進化してきた証し。

  • 眉の部分が平たんになるように進化ため、眉を微妙に動かして感情を伝えることができる(ネアンデルタール人やチンパンジー、オラウータンの眉は隆起しており、コミュニケーションの妨げになると考えられている)。

いささか記事が長くなりましたが・・・『希望の歴史』は帯に「わたしの人間観を、一新してくれた本」と『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリさんが推薦してるように、いろいろと腹落ちしまくる、ヤバい本です。

上巻では本記事で触りを紹介した内容以外に、下記のような話が盛り込まれています。

◎銃を撃たない兵士たち――人が人を殺すことは本来できない
◎いつから人類は戦争を始めたのか?
◎イースター島の謎
◎「スタンフォード監獄実験」は本当か?
◎「ミルグラムの電気ショック実験」は本当か?
◎「90%の確率で人は人を助ける」という新たな証拠

これから下巻に進むところですが、読んでいて思ったのが、「翻訳がよいために、めっちゃ読みやすい」ことです。

翻訳は『隷属なき道』『137億年の物語』『エピジェネティクス』『監視資本主義』などを手掛けられた野中香方子(のなか・きょうこ)さんです。ベストセラー作品が多いですね。

というわけで、『希望の歴史』を勝手ながら「スゴ本認定」させていただくとともに、激しくおすすめしておきます。

上下巻の長編を読む時間がない方にはこちらのインタビュー動画がおすすめです。


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