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人生はいつだって青い。悩みの本質っていったい何だろう?

編集部の稲川です。
先日、妻が突然「私、タロットカードでもやってみようかな?」と言い出しました。
「タ、タロット・・・カード・・・? なんで突然・・・?」
そう思って、その先を聞いてみたのですが、人の悩みを聞くのにそれらしいアイテムはないかと考えたときに、タロットカードなんかあるといいんじゃないかということでした。

たしかに妻は、人から悩み相談をされることが多いらしいのですが、そんな実益(?)も兼ねての発言だったようで、何やら少しホッとしました。

「もしや、自分自身が悩みの渦中にあり、タロットとかにすがろうと思ったのではないか」と、一瞬心配したからです。

考えてみたら、私のほうが悩んだり、落ち込んだりすることのほうが多く、そのつど妻に話をしたりする悩み相談の張本人であったりしますから、そこにタロットカードなどを持ち込まれたら、バカ正直に信じてしまうのは、この私かもしれません。

◆未来は不確定だからこそ、いつだって悩むのだ

いま、先が見えない時代、漠然とした悩みを抱えている人も多いと思います(私もその1人です)。
それでも人は生きていかなければならない。いつだって未来は不確定なのですから悩むの当たり前かもしれません。

そして、不確定要素が多いまま、ついに開催されるオリンピック。無観客という歴史上初めての試みに、世界は何を見て、日本は何を経験するのか。スポーツの力はコロナ禍でもすべてを凌駕するのか・・・。
私たちは、スポーツの感動の先に、出来事を冷静に見る姿勢も必要なのかもしれません(たとえ、マスコミの感動押しがあるにせよ)。

そもそも日本の未来はどうなるのか?
私の担当する経済本にもたびたび引用させていただいている、景気循環研究所の所長・嶋中雄二氏は、『日本経済新聞』のサイトでこう述べています。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックで景気の水準は維持されますが、2021年付近は1964~65年の「昭和40年不況」の再来になるとみられます。我慢の年です。しかし、その後再び日本経済は立ち上がります。2020年の東京オリンピックが終わっても、まだまだ再開発は続きます。
(中略)
これらの再開発に加え、2025年の大阪万博、2027年のリニア中央新幹線開通などへの期待感によって活気を取り戻し、2024年には2017~18年に次いで2000年代で2度目、通算7度目のゴールデン・サイクルを迎えます。
(中略)
日本経済にとって3番目の歴史的勃興の時代ともいえる「第3の超景気」となる、と思われます。

世界のどの国も、インフラ投資に向かわざるを得ないでしょうから、日本も内需での経済ランディングを見据えています(ここに嶋中氏はサイクル論というものを挙げているのですが)。

しかし、2021年は我慢の年。
景気(お金)がすべて人の悩みを解消するわけではないですが、“生きていく”うえでの安心は得たいものです。

さて、話が少し逸れましたが、悩みを持って生きるのは人間特有のもの。
うちのネコを見ていると、悩みと言ったら「もっと美味いごはんはないのか?」と訴えてくる程度。あとは寝て暮らしています。

たとえば、仕事の悩みならビジネス書を読んで解消することもできるのでしょうが、本質的な悩みを解消することはできません(ビジネス書の編集が言うのも無責任ですが)。

私はそんなとき、青い時代にトリップします。

◆「青春小説」はおじさんにも効く!?「階段島シリーズ」

「年甲斐もなく・・・」と言われそうですが、私はたまに、いわゆる青春小説を読むことがあります。
それは、漠然とした悩みを解消してくれるというよりは、自分自身の悩みの本質に気づかせてくれるからです。

2014年から2019年にかけて、毎年1冊ずつ刊行された、河野裕氏の「階段島(かいだんとう)シリーズ」(新潮文庫)という本があります。

階段島シリーズ

『いなくなれ、群青』(2014年)
『その白さえ嘘だとしても』(2015年)
『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』(2016年)
『凶器は壊れた黒の叫び』(2016年)
『夜空の呪いに色はない』(2018年)
『きみの世界に、青が鳴る』(2019年)


6冊のシリーズで累計100万部を超え、映画にもなっている作品ですから、ご存じの方も多いと思います。

河野裕氏は、「サクラダリセット」シリーズで小説家としてデビューし、「階段島シリーズ」1作目の『いなくなれ、群青』で2015年大学読書人大賞を受賞しています。
大学読書人というくらいですから、「自分は何者なのか?」と自問する時を迎える若い方に支持された作品です。

捨てられた人間が行き着く島「階段島」。この島には、現実社会で何かを捨ててしまった人々が2000人ほど暮らしている。
しかし、島は平穏に日常生活が営まれており、そこに住む人たちは、なぜ自分がその島で生活しているのかを疑わない。
島からは出ることができないものの、必要なものはネットで取り寄せることができ(メールは受信のみ)、大人は普通に働き、子どもは島に唯一ある高校に通っている。
そんな不思議な島には、階段島をつくった魔女が住むという(島にある階段を登った先に)。そして、この島から抜け出すには、現実社会に暮らす“もう1人”の自分、すなわち“失ってしまったもの”を取り戻すしか方法はない。
しかし、失ってしまったものの記憶が消され、この島に行き着いた人々は、魔女がつくった“ユートピア”に、自分の存在を疑うことなく暮らしている・・・。

河野氏が描いた世界は、ファンタジーなのかもしれませんが、いまの自分自身を捨てたい人にとっては現実逃避できる、まさに夢のような島なのかもしれません。

高校1年生、七草(ななくさ)も、そんな階段島に行き着いた1人だった。3カ月前に「捨てられた人々の島」と説明を受けるが、この現実味のない世界で平穏に暮らしていた。
学校に通い、学校の寮で生活し、少しのアルバイトをして過ごす“いま”に、なぜ自分が捨てられて謎の島にいるのかを突き止めようとは思っていない。真実を知ることよりも、安定した停滞に七草は満足していた。
しかし、そんな生活が、ある再会によってかき乱されていく。
島に、かつての幼馴染で中学2年のときに転校していった真辺由宇(ゆう)が現れたからであった。
七草の知る彼女は“捨てられる”存在ではなかった。常に理想を求め、それに疑いもなく突き進み、時には周りの理解を得ないで正義を貫く。
そんな彼女が何を捨ててしまったのか、2人の階段島における生活が、七草を変えていく・・・。

階段最終巻

ここから先はネタバレになるので解説しませんが、階段島の真実を探ろうとする真辺、それを支えようとする七草、島に現れた唯一の小学2年生相原大地、そして、この島をつくった魔女など、しだいに謎が解き明かされていきます。
最後に、七草と真辺はどうなっていくのか。現実と仮想(こちらが真実かもしれませんが)が、彼らの生き方をみずから選択していかなければならない、青いときを経験するのです。

この作品を読んでいくと、大人が彼らを“青い”のひと言で断定できるほど、世の中をわかっているのかと突きつけられます。
現実世界の大人たちは、悩みの世界に停滞しているだけだからです。現実を悲観しながら、かといって捨てたいのに捨てられない・・・。

最後に彼らが選択した世界に、結局私は答えが得られないまま、こうして現実を生きているわけです。
しかし、この作品に登場する“仮想世界に生きる自分”と対話するという世界観は、“大人になってしまった自分”に、いまの自分問う機会を与えてくれるのです。

◆青い時代を呼び覚ませ! カッコ悪いがカッコいい!? 『青くて痛くて脆い』

「階段島シリーズ」で登場する真辺由宇は、自分の考える正義や自分の考える理想のまま突っ走る人物として、青春小説では理想主義の存在は欠かせません。
ただし、“自分の考える”という部分が、若さであり、常識という鎧に身を包んでしまった大人のあこがれでもあります。

住野よる氏の『青くて痛くて脆い』(角川文庫)に登場する秋好寿乃(すみの)もそんな1人です。

青くて脆い

大学のサークルにも入部せず、新入生のレクリエーションにも参加せず、人に近づかないという自分ルールを持つ田畑楓(かえで)。彼が1人、教室の隅で授業を受けていたとき、秋好寿乃を目にする。
一般教養の平和構築論という授業で、彼女は突然、先生に議論を吹っかける。「この世界に暴力はいらないと思います」。何とも痛いヤツがいると周りの学生は失笑する。
そんな寿乃に、いきなり学食で声をかけられ、いつしか友人として彼女と過ごすことになった楓。そんな彼の大学生活で、寿乃は一緒にサークルをつくろうと持ちかける。「なりたい自分になるためのサークル」。
楓は真っすぐすぎて、理想を努力や信じる力で叶うと疑わない痛くて青い考えに辟易するも、サークルを一緒に立ち上げる。
しかし、そんな彼女の理想もサークルそのものの形が大きく変容していってしまう。サークルを去った楓。本来の理想が歪んでいくサークルのトップに立つ寿乃。あの頃の彼女はもういないのか。
楓は本来の寿乃を取り戻してほしいと願うあまり、ある行動に出る・・・。

この話も、理想主義者の彼女がいて、主人公の僕がいるという設定です。
何とか(それが理想と違っていても)現実を生きようとする彼女に翻弄されていく彼という同じような状況の2作品に、いつだってウジウジするのは男かって苦笑せざるを得ません(^-^;

それはともかく、青春は痛くて脆いもの。

実は、悩みの本質って、痛くて脆いものになれないカッコつけの象徴なのかもしれません。悩みを解決しようとして突き進もうとする大人は、周りから見ると“痛い大人”だからです。
でも、それも恐くて何もできないまま、いつか後悔する日が訪れる。

痛くない“カッコいい大人”で振る舞うのか。
痛くて“カッコ悪い大人”になるのか。

青春小説、まさに「あおはる」。
恥ずかしさを捨てて、あおはるするしか悩みは消えない。
そんなことを思わせてくれるが「青春小説」なのです。

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