見出し画像

「私と一緒に不幸になってよ。安心できるから」――この恥ずべき精神構造

書き込んだら、負け

 私は仕事以外でSNS等に書き込みません(このnoteは仕事です)。また、ネットへの書き込みもしません。別に誇れることではありませんが、人生で一度も5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に書き込んだことがありませんし、今後も書き込むつもりはありません。そういう人ってどのくらいいるんでしょうか?
 ただ、Twitterのタイムラインも、まとめサイトも、毎日見ています。気になるYahoo!ニュースのコメントも読みます。
 そんな私がSNSに書き込まないのは、発信者の立場として、ポジティブな面よりもネガティブな面のほうが大きいと感じるからです。
 気の利いた面白いことを発信できませんし、下手に意識高いことを書き込んで翌朝に赤面するのは避けたい。かといって、上っ面だけの発信をするのも虚しい。そもそも素人が訳知り顔で語ることが耐えられません(自己矛盾に陥っております……)。
 一方、本音を書くのはあまりにも危険。タイムラインを読んでいて、「こいつクソだな」と怒りに震えることもありますが、そこはグッと耐えます。下卑たことを考えたり、頭の中で他人を非難しているのはまだいい。しかし、不用意にそれを「言葉」にしたら危険です。
「ふ…… ふざけるなよ……! 戦争だろうが…… 疑ってるうちはまだしも それを口にしたら…… 戦争だろうがっ……!」とカイジの名言にあるように、一度吐いた言葉は取り消せません。
 ネット上の不毛な「戦争」に参戦するほどの知力も体力も精神力もないので、私は「書き込んだら、負け」の精神でSNSと向き合っているというわけです。
 しかし、SNSやネット上には、そんな「戦争」を好んでしたがる人たちがたくさんいます。
 中でも、今の御時世を反映して増えているらしいのが、「自粛警察」と呼ばれる方々。彼らは正義の下に発言しているようでいて、その根底にはニーチェの「奴隷道徳」のごとく、歪んだ精神構造に基づいているように見えます。
 わかりやすくいえば、「私と一緒に不幸になってよ。安心できるから」というもの。
 実はこの言葉、清水あやこ『女子の心は、なぜ、しんどい?』(フォレスト出版)に出てくる、女性の人間関係を象徴するような言葉として解説されています。

 もちろん、こうしたみっともない精神構造は女性に限ったものではないはず。男である私も口にはしないものの、ときたま陥ってしまう恥ずべき精神構造です。ただ、女性のコミュニティでは顕著なのだと著者は語ります。
 以下、該当箇所を一部抜粋のうえ、掲載いたします。

ゾッとするほどめんどくさい「女」

 私には女友だちがほとんどいません。今つながっているのはよりすぐりの大切な人たちで、あまり率先して増やそうとはしていません。というのも、女性との付き合いは実に大変だからです。女性を嫌いというわけではないのですが、どうしても気を遣いすぎてしまうのです。
 女性が考えていることはよくわからないし、些さ 細さいなことに傷ついたり怒ったりするところは対応が大変だし、マウンティングを仕掛けているのに気づくとできるだけ刺激しないように言葉を選びますし……。
 女性と関わるには、一瞬で相手の属性を見抜き、場のコンテクストを読み取り、表情やボディランゲージから真意を推測する、という非常に高度なコミュニケーション能力が求められます。
 そしてこの能力は対男性よりも対女性のときのほうがより求められます。女性のほうが女性に対する期待が高いのです。したがって自分の真意を察してもらえないときにイラ立つような女性とは、簡単な会話をするだけでも疲弊します。
 アメリカの研究でも女性は同族同士の平等意識が強いと言われていますが、単一民族的意識が強く、村社会文化が色濃く残る日本は、それがより強いと感じられます。
「私と同じであるべき」から生じる杭の打ち合いと、「でも幸せになりたい」というゆらぎの中で女性たちは絶妙なバランスを保ちながら、憎まれずに幸せになる方法を日々模索中です。
 この同じグループ内での平等主義はさまざまな問題を生み出します。
 マタハラ問題でよく見られる「昔は私も苦労したんだからあなたも我慢しなさい」や、自分よりもキャリアがあるママに対する「親に子どもを預けて出張なんて、子どもがかわいそう」。もしくは自分よりも社会的地位の高い人、豊かな人、外見がいい人に対する「でも〇〇はうまくいっていないらしいわよ」や、母親による「〇〇すべきよ」という支配は、単純に妬みだけで片付けるにはあまりにも奥深いものです。
 この、
「私と一緒に不幸になってよ。安心できるから」
 の精神は、文字にするだけでもゾッとします……。

付き合うべき女、避けるべき女

 彼女たちに合わせることは彼女たちと同じように不幸になることを意味します。したがって、このような考え方が垣間見える女性はできるだけ心的距離を保つことが重要です。
 一方で、こういった女性のネガティブな側面は『格付けしあう女たち』(白河桃子、ポプラ新書)などの本の影響もあって、どんどんと明るみに出ています。結果、「近づかないほうがいい女性」に女性は敏感になってきています。
 おそらく、この手の女性はどんどん孤立していき、孤立した者同士でよりネガティブなコミュニティを形成する負のスパイラルに堕ちていくというのが私の推測です。
 怖すぎます。あなたはそんな輪からは脱出しましょう。
 確かに足を引っ張り合う女性はいますが、そうでない人もたくさんいます。嫌な女性のほうがイジメっ子になりやすく、影響力が強いので「女性=負」というイメージを持ちがちですが、良心的な女性は多くいます。
 ただ相手が人間である以上、完全無欠の性格の良さは期待しないでおきましょう。どんな人も良いところとそうではないところがあるものです。
 ちょっと性格悪いなと思ったときに「だから女は嫌なんだ」と全否定してしまうのはあまりにも厳しい判断基準です。
 あなたにもきっと白黒だけでは割り切れないグレーゾーンがあるはず。そのグレーゾーンを大きなストレスなく許容し合える相手が貴重な存在です。
 好感を持てない女性とは適度にうまく付き合い、好感を持てる女性とはよい関係を築く、女性同士の関係はこれを目指すべきです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
以上、編集部の石黒でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?