「キレイ」と「キタナイ」の境界線
フォレスト出版編集部の寺崎です。
先日、「今年お亡くなりになった著名な方」ということで、瀬戸内寂聴さんの話をしました。
もうひとり、今年、他界された著者がいます。
藤田紘一郎先生です。
藤田 紘一郎(ふじた・こういちろう)
1939年、中国東北部(旧・満州)生まれ。
東京医科歯科大学医学部を卒業し、東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了。医学博士。金沢医科大学教授、長崎大学医学部教授、東京医科歯科大学大学院教授を経て、現在は同大学名誉教授。専門は、寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学。
1983年に寄生虫体内のアレルゲン発見で、日本寄生虫学会賞(小泉賞)を受賞。2000年にヒトATLウイルス伝染経路などの研究で日本文化振興会社会文化功労賞、国際文化栄誉賞を受賞。1995年には著書『笑うカイチュウ』で講談社科学出版賞を受賞。
主な著書に『腸内革命』『決定版 正しい水の飲み方・選び方』(海竜社)、『こころの免疫学』(新潮選書)、『脳はバカ、腸はかしこい』(三五館)、『「腸にいいこと」だけをやりなさい! 』(毎日新聞出版)、『アレルギーの9割は腸で治る! 』『50歳からは炭水化物をやめなさい』(だいわ文庫)、『腸をダメにする習慣、鍛える習慣』(ワニブックスPLUS新書)などがある。
2021年5月14日、誤ごえん嚥性肺炎のため死去。享年81。
藤田先生は「カイチュウ博士」の呼び名で親しまれ、数多くの著作を世に残しました。
私も2冊ほど新書を担当させていただき(単行本のリメイクですが)、生前の藤田先生のお人柄に触れましたが、著作の随所に差し挟まれるユーモアをリアルに体現された、笑顔のたえない素敵な方でした。
そんな藤田先生が最後の名エッセイとして残したのが『人の研究を笑うな――カイチュウ博士81年の人生訓』(ワニ・プラス)です。
この本がとても心温まる、藤田先生のお人柄が伝わる内容なのです。今日はこの本の中身を抜粋しながら、藤田紘一郎先生の魅力をご紹介したいと思います。
人も寄生虫も、どこかで誰かの役に立っている
私が好きな言葉に「山川草木国土悉皆成仏」があります。「この世に生きるものは、すべて意味がある」とする自然観を表した言葉です。
人もこの世に生きるものならば、虫もこの世に生を受けた生物。人も虫も、どこかで誰かの、何かの役に立っています。
寄生虫は、みなさんにとって気持ちが悪いばかりの存在でしょう。
(中略)
しかし、人間を宿主とするような、ライフサイクルの基本を人間に置いているような寄生虫、つまり人間に昔から寄生してきた虫は、人間を守ります。
(中略)
とくに、回虫などのアレルギーを抑える働きはピカイチです。
私はもう何十年も前から、寄生虫によるアレルギー抑制説を訴えてきました。昔の日本人にアレルギー性疾患に悩む人はいませんでした。
日本のスギ花粉症の患者さんが現れたのは1960年代。ここを皮切りにアレルギー患者が急増しています。
それとは反対に、回虫の感染率は急激に下がっていきました。
古来、日本人はみんなおなかで回虫を飼ってきました。ところが戦後、「回虫がいる日本人は不潔だ」と進駐軍に不快感をあらわにされて、駆虫を懸命に行ってしまったからです。1950年代はまだ日本人の回虫感染率は60%を超していましたが、1960年代にはゼロに限りなく近づきます。それに反比例して、アレルギー患者が激増していくのです。
一方、私が毎年のように医療調査に訪れていたインドネシアのカリマンタン島の住民は、今もほぼ100%が回虫に感染しています。ここの子どもたちは、みんな肌はつやつやして、アトピー性皮膚炎になる子はいません。気管支ぜんそくで苦しむ子どもも、花粉症にかかってクシャン、クシャンとやっている子どももいません。
ここに疑問をもった私は、寝る間もおしんで研究を行い、寄生虫の分泌杯接液にアレルギーを抑える作用があることを発見したのです。
よくいわれる現代病の「清潔病」というのがありますね。私自身、けっこうなアレルギー体質なので、回虫を飼ってみたいと思うぐらいです。
現代医学の常識では「アレルギー性疾患を治せる薬はつくれない」とされているそうです。しかし、藤田先生は「そんな常識を覆すことができれば、ノーベル賞も夢じゃない!」と新薬を開発します。
完成した薬は驚異的な効果をみせたそうです。ひどいアトピー性皮膚炎を起こしたネズミにその薬を注射したところ、たった1回ですっかり治りました。
しかし、大変な副作用を起こすことが判明。ウイルス感染やがんを引き起こしやすい体質になってしまったそうです。
回虫など昔から人を宿主としてきた寄生虫は、人の腸に棲むことで、人の免疫バランスを保ちながら、アレルギーを抑えるという、見事な働きをやってのけていたのです。しかし、アレルギー抑制の作用だけを取り出して薬にして体内に入れると、今度は免疫バランスが大きく崩れ、ウイルス感染やがんを引き起こしてしまうとわかりました。
でも、ここで藤田先生はめげませんでした。
寄生虫によるアレルギー抑制説を証明するために、なんと、15年にわたって5代のサナダムシをおなかで飼い続けたのです。これこそが、藤田先生を「カイチュウ博士」といわしめる理由でした。
「雑菌のない場所」はむしろ腸にとっては汚い?
紆余曲折があって、インドネシアのカリマンタン島に医療研究スタッフとして渡ることになった藤田先生ですが、ここで人生観がガラリと変わったそうです。
しぶしぶ渡ったインドネシアでした。でも、ここで私の人生は再び大きく動きました。
(中略)
私の家は診療所を兼ねていましたが、とても清潔といえるような環境ではありませんでした。トイレは川の上にあり、私が入ると魚が寄ってきて、落としたウンコを競って食べます。その魚は毎日のおかずになって出てきました。
こうした周辺住民のウンコがぷかぷか浮いている川で、人々は体を洗い、口をすすぎ、食事のしたくをして、食器を洗い、コーヒーも川の水で入れます。だから、住民は100パーセント、回虫持ちだったのです。
そのウンコの浮かぶ川で、子どもたちは毎日遊んでいます。私は何度も注意しました。
「こんなきたない川で遊んでいると、病気になるよ」
ところが、子どもたちは、「日本から来たドクターが、おかしなことをいっている」と首をかしげるだけです。しばらく観察していると、私が本当に「ヘン」なのかと思えてきました。ウンコの浮く川で洗濯をしている女性たちは、健康的でいきいきし、肌も髪もスベスベです。アレルギー性疾患や、うつなど心の病にかかっている人もいません。子どもたちの間にいじめはないし、誰でもいいから殺すとか、見知らぬ人を傷つけるという事件もありません。日本の医大で習ってきたこととまったく異なる状況が広がっていました。
とはいえ、こんなにキタナイ川の水を生活用水にしているのだから、コレラや赤痢にかかる人は多いはず、と調査してみました。すると、首都ジャカルタのような大都会の人たちより、はるかに感染率が低いことがわかりました。
私は、ジャカルタの日本大使館館員およびその家族の健康調査を行いました。彼らが1年間に入院した原因は、第1位が腸チフス、第2位が交通事故、第3位がA型肝炎、第4位がアメーバ赤痢でした。交通事故を除いた入院の原因は、すべて水道水を口にしたことによる感染症でした。
一方、マハカム川の水を調べると、驚きました。ジャカルタの水道水に比べ、病原体の数がはるかに少ないのです。でも、さまさまな微生物がウヨウヨいます。そうした多様性に満ちた場所では、一つの病原体だけが増殖することは起こりません。微生物も群雄割拠すれば、一人勝ちは許されないのです。
多様性豊かな大河の自浄作用は、私たちが考えているよりはるかに大きく強いものです。反対に、雑菌のいない場所では自浄作用が働かず、病原体は悠々と増殖します。
このことに気づいたときから、
「キレイとはなんだろうか。キタナイとはなんだろうか」
との疑問が頭から離れなくなり、人生をかけて解決したいテーマになりました。
うーーーーん。なっかなか面白い話です。
藤田先生はこうした発見から「あらゆる多様性を受け入れる世界」というものを、「腸」を通して、「寄生虫」を通して、「免疫」を通して追求され、世に発信されてきたように思います。
「どんな存在であれ、それらはお互いに作用しあって、生まれてきた意味や存在意義があって存在している」
これは人間にも置き換えられる思想ですね。
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