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伝説のせどらー「たそがれ親父」を知っていますか?

こんにちは。
フォレスト出版編集部の森上です。

コロナ禍において、マスクをはじめとする日用品を買い占め、それらを定価の数倍の価格で転売するビジネスを展開し、社会的な批判を受けた悪質「転売ヤー」。多くの人が今すぐにでも必要としているもの、不足しているものを、ある程度高くても手に入れたいと願う消費者の足元を見て、多額の利益を貪る――。

こんな自分勝手で悪質な行為は、決して許されるものではありません。

ただ、今から約10年以上前、今のような社会的な批判を受けるような悪質な転売行為ではなく、わが身に襲った経済的なピンチから脱出すべく「せどり」に従事し、多くの人に希望と勇気を与えた、伝説のせどらーがいたのをご存じでしょうか?

「せどり」(競取):同業者の中間に立って、売買の取り次ぎなどをして口銭をとること。

その人の名は、「たそがれ親父」こと、吉本康永さん(以下、吉本先生)です。

「たそがれ親父のせどりノート」(現在は閉鎖。その理由はのちほど)というブログが人気を博し、せどり界のスター的な存在でした。

ところで、「せどり」未経験者の私が、なぜ「せどり」に詳しいのか?

それは、前にいた会社で、吉本先生の書籍の編集担当をさせていただいたことがあるからです。それがこちら。

今までにも編集者の端くれとしていろいろな失敗を重ねてきているのですが、その中でも、悔やむに悔やみきれない1冊がこの本です。

編集者の失敗の1つに「タイトル」(書名)の失敗があります。原稿はとてもいいのに、タイトルのせいで思うように売れなかった。中身の良さをタイトルで完全につぶしてしまった……。やってはいけない失敗。いや、大失態。まさにその典型例です。

吉本先生は、本専門のせどらーでした。当時、新古書店として勢いのあった「ブックオフ」の105円コーナーから、より高値で売れると思う本を買い、当時はまだ発展途中だった「アマゾンマーケットプレイス」にて転売。2年間でなんと1,700万円(!)を売り上げるほど、せどり界のカリスマとなっていました。

その日のせどりの内容や報告を毎日日記風に綴っていたのが、ブログ「たそがれ親父のせどりノート」だったのです。その日記をベースに、せどりを始めた経緯や日々の格闘、人との出会いなどなど、せどり生活の様子や思いをまとめたのが、先ほどの書籍だったというわけです。

では、吉本先生はなぜ「せどり業」を始めたのか?

そこには、このご時世において誰もが他人事とは思えない、ある事情がありました。

当時の吉本先生は、還暦直前の58歳、地方予備校講師でした。わが子を東大に合格させ、卒業をさせるといった、受験奮闘記や受験ノウハウを綴った著書がいくつもある方でした。


ただ、少子化の影響をモロに受け授業数が激減。もはや予備校講師としてリストラ間近の状態でした。

だったら転職すればいいと思っても、還暦直前のおっさんが転職先を見つけるなんて夢のまた夢。雇ってくれるところなんて、そんなに簡単にはありません。しかし、月々のローン返済40万円を抱えたまま……。文字どおり「崖っぷち」です。リストラ間近・月々のローン返済40万円を抱える崖っぷちに陥っていました。

そんな大ピンチの中、吉本先生が出会ったのが「せどり」でした。

吉本先生にとって、せどりは未経験のド素人。ただ、吉本先生には、多くのせどらーを凌駕する1つの武器がありました。「本の目利き」です。元来、博覧強記ともいえる読書家だったことが幸いしたのです。

書籍『大金持ちも驚いた105円という大金』は、一時は自己破産まで考えた崖っぷち人間が「せどり」稼業を通して、ローン地獄から這い上がる2年間の闘いをまとめた貧乏克服ノンフィクションなのですが、この種の作品にありがちな暗くて堅苦しい内容ではない点がとても魅力的です。

吉本先生の自虐的(?)な笑いを織り交ぜた筆致が、読む者を明るく楽しくさせてくれるのです。また、同書には象徴的なシーンのイラストをいくつか掲載しています。編集として原稿を整理しながら、そのイラスト場面案を考えるのがこれほど楽しかったことはありません。

笑いと愛であふれるエピソードを交えながら、「どんなピンチも、ちょっとの工夫と行動で必ず乗り越えられる」という勇気と希望を与えてくれる1冊なのですが、同書の最終章「第十九章 本の運命」では思わずホロっと涙が出てくるかもしれません。特に、本が好きな方、出版業界にかかわる仕事をなさっている方には響くのではないかと勝手に思っています。
(あっ、でも、これだけ読んでも涙は出てこないかも……。冒頭からずっと読み進めてきて、吉本先生の人となり、せどり稼業の悪戦苦闘ぶりを知ったうえで読むから響くのかもしれません)

本は滅びない

 今年(二〇〇九年)四月に信州に住む長男に二人目の子どもが生まれるということで妻と一緒に信州に行ってまいりました。土日だったので東京に住む長女、次男も呼びました。病院にいる長男の嫁と生まれた赤ん坊を見舞いましたが、長男の二人目の子どもは元気な男の子でした。これで私たち夫婦にも孫が二人となりました。
 病院を出てから、長男の住む賃貸マンションに向かいました。そこには嫁のお母さんと孫娘が私たちを待っていました。二歳半の孫娘は元気そのものでした。
 その折り、リビングルームでお茶を飲みながら、話をしているときに、私はリビングルームの食器棚の横に小さな雑誌のラックが置いてあるのを発見しました。そのラックには雑誌ではなく孫娘のために長男が買ってきた絵本が5冊ほど置いてありました。
 日頃せどりをしているせいか、その絵本の中から1冊を取り出し、表紙を見た瞬間に私は思わず、
「これはいい絵本じゃないか」
 とだれに言うともなくつぶやきました。
 私が手にとった本は、
『つきのぼうや』イブ・スパング・オルセン著・やまのうちきよこ訳(福音館書店)
 という絵本でした。
 縦が30センチ近くある変形サイズ、表紙カバーは中ほどにタイトルが横書きであり、カバー上部に月のイラスト、カバー下部に傘を持った子どもが浮かんでいるイラストが、私には魅力的に見えました。
 そんな私に、まず妻と長男が怪訝な顔をし、それから非難するような眼で私を見ました。それから妻は「あんた、その絵本のこと、全然、覚えてないの」、長男は長男で「おやじも、しょうがないな」と申します。
 私は二人の言葉の意味がわからず少し考えました。もしかして去年、長男家族が高崎に帰省してきた折りに私が孫娘にプレゼントした絵本か? と考えもしましたが、残念ながら最近物忘れがひどいせいか、何の記憶も浮かんでまいりません。
 それで仕方なく「二人とも、何が言いたいのだ」と尋ねますと妻が答えてくれました。
 この『つきのぼうや』という絵本は、かれこれ三〇年前、私が三〇歳、長男が二歳の頃に、私が買ってきて長男にプレゼントした絵本だったそうです。長男はその本をいたく気に入って、幼稚園に通う頃まで、何度も何度も母親に読んでもらい、また自分でも読むようになったそうです。
 私はそう説明されても、相変わらず、まったく思い出すことができず、ただ「三〇年前にプレゼントした絵本をよく今まで持っていたな」と申しますと、長男が私の言葉に笑い出し、「おやじ、それは無理だよ。あの本は俺が中学生の頃、高崎に引っ越しをしたとき、おやじの本と一緒に古本屋さんに売り飛ばしたんじゃないか。この絵本はすごく印象に残っていたので、子どもに読まそうと思って俺が新しく買ってきたのだよ」
 と申します。そんな話を横で聞いていた長女と次男も、昔よく読んだので覚えていると言い出しました。
 本当に短い家族の会話でありましたが、私はそのとき、本の運命というものを文字どおり体感しました。
 三〇年前、若い父親だった男が子どもに絵本を買ってきてやる。その絵本を何度も何度も読んだ子どもが三〇年後、父親となり、自分の子どもに同じ絵本を買ってきてやる。そう考えただけで、私はどうしようもない父親ではありましたが、自分が最低限の父親としての役割は果たしていたような気分になりました。
「何も思い出さないのに、その絵本がいいというおやじの感性も昔と変わらないんだね」「それにしても父さん、よく何でも忘れられるのね」
 などと私たちが昔の思い出に浸りながら、そんな話を楽しくしていると、『つきのぼうや』を孫娘が手にとり、オムツで膨らんだお尻を振りながらヨチヨチと歩いてリビングルームの窓際に行き、窓の外の春の青空を手で指しながら何か叫びました。青空に月が見えるわけでもありませんでしたが、孫娘は幼い心の中で月を見ていたのかもしれません。
 私はそのとき、もしかすると、この孫娘が三〇年過ぎた頃に母親となり、自分が昔読んだ『つきのぼうや』のことを思い出し、自分の子どもに買ってあげる場面を想像しました。
 そう考えると、私の心の中になにか温かいものがこみ上げてくるような気持ちがしました。
 同時に、本にはそれぞれの運命があるとは申しますが、科学がいかに進歩し、ネット社会がいかに発展しようとも、本は滅びることはないということを確信しました。
――『大金持ちも驚いた105円という大金~救われたローン人生~』(三五館)

ちなみに、私事で恐縮ですが、絵本『つきのぼうや』は私も幼いころに親から読んでもらい、自分が親になってから私の娘にも読んであげた、私個人にとっても思い入れのある1冊です。

本を通じて、多くの愛と希望を与えてくれた吉本先生ですが、『大金持ちも驚いた105円という大金』を上梓した2年半後の2011年12月29日、大動脈瘤破裂のため亡くなられました。あのどことなく明るくて笑えて読む者を元気にしてくれる筆致がもう味わえないと思うと残念でなりません。

転売ヤーやせどりは、決して悪いものではありません。ただ、吉本先生のせどり稼業を知ると、「転売ヤー」(せどらー)にも品格が求められると思うのです。吉本先生には誰もが認めるほど、せどらーとしての品格と誇りがありました。

もし吉本先生がまだご存命だったら、昨今の悪質「転売ヤー」に対するご見解を、ぜひ率直にお聞きしてみたいです。そして願わくば、私のタイトル付けの大失敗に対して改めて深くお詫びするとともに、タイトルを変えて再刊行のご相談をしたいところです。




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