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「嘘も方便」のホントの意味は深かった。

フォレスト出版編集部の寺崎です。

先日、はじめて一緒にお仕事することになった方との会話。とりあえず、「はじめまして」のときは「その人の出身地」を尋ねることが多い。どこかに自分との共通点があると、一気にラポールが築けるからだ。

「ところで〇〇さん、ご出身はどちらですか?」
「静岡県です」
「あ、静岡・・・静岡のどこです?」
「清水です」
「えっ、あの清水次郎長(しみずのじろちょう)の清水ですか!?」
「あぁ、なんか、次郎長のお墓とかありますね。あんまり詳しくないんですけど……」

「清水出身で清水の次郎長を知らねえなんざ、とんだ野郎だ!」

・・・とは言いませんでしたが、次郎長つながりでそのあとちょっと会話が盛り上がったので、昔好きでさんざっぱらipodで聴いていた広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」を改めて聞いてみた。すると、やはり「こりゃ、人生訓に満ちたコンテンツだな!」と実感した次第です。

「清水次郎長」って、だれ?

清水次郎長を簡単に解説すると、幕末から明治にかけて活躍した侠客、博打打ちの親分です。「海道一の親分」と呼ばれました。当時の東海道にはたくさんの任侠集団があり、そのなかでも抜きんでて親分肌で慕われて名を遺したのが、この山本長五郎、通称・清水次郎長(しみずのじろちょう)でした。

この清水次郎長の話を講談師の三代目神田伯山が取り上げ、その後、講談界のスーパースター広沢虎造が浪曲にして大ヒットしました。

ちなみに、広沢虎造の時代に初めてマイクロフォンと録音技術が登場したため、ラジオ放送、レコードに残され、令和の今でもその浪曲が楽しめるわけです。ある意味、広沢虎造は浪曲界のフランク・シナトラですね。

ふつうに笑えて人生訓に溢れる「森の石松」の話

広沢虎造の浪曲の代表作は、子分の一人である「森の石松」が主人公の話。『石松金毘羅代参』『石松三十石舟道中』という2話がめちゃくちゃ面白い。

『石松金毘羅代参』は次郎長が石松に讃岐の金毘羅様まで遣いを頼むことから始まる騒動。

酒癖の悪い森の石松に「旅の間は笹の露ほどの酒も飲んでくれるな」とお願いする。すると森の石松は「では、断ります」とあっさり。

「なにが悔しくって博打打ちになんかんなったんだい。好きな酒のいっぺえも呑み、世の中気楽に送りてぇから、バカが承知でなった博打打ち。わっしという人間はね、ひろーい世の中に酒ぐらい好きなものはねえ!その酒を飲まねえといっときのガマンもできねえ。それ三月も飲まなかったら死んじまう、あっしは」

すると、次郎長は「なにぃ!自慢じゃねえが、次郎長には六百何十の子分がある。俺の言うことをイヤだというのは、てめえひとりだ!生かしておいて為んならねえ!命はもらったぁ!覚悟しろ!」と啖呵を切ります。

次郎長としてはここで森の石松が折れると踏んだのですが、真から強い石松は「惚れた親分に斬られるなら本望」と開き直ったから、困ったのが次郎長。

その様子を隣で聞いていた「大政」が仲裁に入ります。大政はもともと武家の槍遣いの名手で、武家を嫌ってヤクザになった人物。次郎長の子分の中でも兄貴格です。

大政「座れ」
石松「なんでい」
大政「てめえぐらい世の中に正直なヤツはねえぞ」
石松「おい、てめえぐらいわかんねえ小言いうヤツはねえぞ。てめえぐらいずうずうしいヤツはねえとか、てめえぐらい親不孝なヤツはねえとか小言なら聞いたことあらぁ。てめえぐらい正直なヤツはねえって小言はあるかい。正直は人の宝ってんだぞ」
大政「おめえの正直は上にバカがついてる」
石松「バカっ正直か、おい。ありがたかねえな」

ここで大政は清水から離れたら酒を飲んで好きなように遊んで、清水に近づいたら酒をやめて、「一滴も飲まずに帰って参りました」とやればいいんだと諭します。

このときの大政の小言がなかなか考えさせられるひと言です。

「石、お釈迦様がなんと言った?
本当のことをしゃべったために人がとんだ災難に遭った。
そういう本当は役には立たない。
そういう時には嘘をつけ。
嘘は方便。ところによると宝になる。
お釈迦様のついた嘘は『方便』といって宝になった。」

「ウソは方便」のホントの意味

「ウソは方便」「嘘も方便」は普通によく使う表現ですが、どこかネガティブな香りがします。寝坊して出社時刻に遅れたときに「寝坊しました」とバカ正直に言うのではなく「すいません。トイレの水がとまらなくて」「金縛りにあって起きられなくて」というのがウソも方便。

でも、大政のお釈迦様の話では「ウソも方便」のあとに「ところによって宝になる」とあります。「ウソ」が宝になるんです。

これって、似たような話がどこかにあったな・・・と思ったら、思い出しました。かつて私が担当させていただいた天台宗の大僧正・荒了寛さんの『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』の一節です。

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ときには「方便」を用いる

真理が人を傷つけることがあるならば
ときには「たくみな方便」も人生には必要。

 私は、かなりおくれて大学院に通っていましたが、そのころ家族ぐるみでつき合っていた、大手化学会社の開発課の課長をしていた友人がいました。
 優秀な科学者でもあり、家族は奥さんと娘さんがひとり。あるとき、彼から娘さんの高校進学について相談を受けました。聞けば、娘さんの志望校は入学がむずかしいことで知られていましたが、私の知人が役員をしていた関係で、その私立高校を紹介することができました。とはいえ、もともと成績のよい娘さんでしたから、入学するのに何も問題はありませんでした。
 その後、入学して最初の学期を終え、明日から夏休みという日、娘さんは成績表を持って帰ってきました。そして、さっそく彼にみせたところ、彼はひと目みて、「こんなことじゃいかんね。もっと勉強しなさい」といってしまったそうです。
 娘さんはしょんぼりして部屋にもどりました。両親はそれを気にもとめず、夫婦で近所に買い物に出かけました。ところが帰宅してみると、娘さんはドアも窓も固く閉め、ガス栓を全開にしてベッドの上で亡くなっていたのです。
 たったひとりの娘に死なれて、まず母親は気が狂わんばかりの毎日で、続いて妻も自殺するのではないかと心配しながら、彼は二重も三重もの苦しみを背負って、ともかく会社の勤務を続けていました。
 会社の帰り、ときおり私を電話で誘い、駅前の飲み屋で語り合いました。そうしたある日、彼から「人は死んだら、どうなるのかな」と聞かれたことがありました。
 私はそのころ、卒業論文のため難解な仏典などに取り組んでいたときでもあり、相手は優秀な科学者でもあるということで、多少構えたところもあったのでしょう、不用意に「色即是空だよ」といってしまいました。
 すると、彼は「何だ、それは」と急に目をけわしくして私を見据えました。私はあわてて、「色とは……、空とは……、無常とは……」などと、もっともらしいことを並べましたが、彼はそれを聞こうともせず、
「駄目じゃないか、そんな話じゃ。われわれ夫婦はいま、死んだ娘が、いまごろは三途の川を渡って、川の向こうの広い原っぱあたりで花でも摘みながら、ときにはこっちを向いて、手を振ってくれたりして、極楽に向かって、とぼとぼと歩いているのだろうと、そう思わなければ一日だって生きていられないのだ」といって、絶句してしまいました。
 やがて、また夏がきて、夫婦にとってあらためて悲しみが増す一周忌。ともかく、夫婦は、ほとんど二人きりで法事をすませ、親しい人たちに礼状を書きました。
「永い間、ほんとうにお世話になりました」と。それが何を意味したのか、受けとった人たちが気づいたときには、もう遅かった。この夫婦は、娘の部屋で娘と同じようにガス栓を一杯に開けて、娘を追っていたのです。
 私のあのことばがすべてではないでしょうが、少なくとも、この夫婦に生きる力を与え、あるいはもうすこし「たくみな方便」で、死後の世界などを話すことができていたなら、この二人は、もっと違った道を選んだのでないかと、私の胸はいまでも悔恨にうずくのです。
 あれから私自身、いくつもの深い川を渡ってきました。そのたびに、この「色即是空」が重くいろどりを深めています。そして、それまで気づかなかった「即」の一字が「色」と「空」の単なる接続詞ではなく、修行や体験によって、対極的な「色」と「空」の間隔をせばめ相即させ、「即」を深めていくことが、この四文字のいわんとするところではないかと気づきはじめたのです。
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荒了寛『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』
「こころの習慣9」より

この話、読むたびに泣けます。そして「本当のこと」を言うのがホントにいいのか、ときには嘘をつくことも人生においては必要なのか、考えさせられます。

最後はウルっと泣けてしまいましたが、浪曲と仏教からのちょっとした学びでした。おしまい。


▼荒了寛さんの仏画が収録されている単行本はこちら
(上の新書はこの本のリメイクです)



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