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人間関係に疲れている人は、幽体離脱しているかも!? それがイヤなら鬼畜になれ!

人間関係、コミュニケーションといったら「お金」と同じくらいに悩みのタネになりがちな人類普遍の永遠のテーマです。
正直、私もめんどくせーな、と思うことが多々あります。

たとえば、立食パーティ。たとえ知人同士だったとしても、いたたまれない気持ちになります。とにかく寿司とか肉とか、うまそうな飯だけ集中的に食いながら、常にフェードアウトするチャンスを伺っています。
みんなが料理をソコソコに社交している中で、飯にがっついている姿はみっともないと思うかもしれません。しかし、大丈夫です。自分が思っているほど、他人は自分に興味がないものです。
立食パーティって、居酒屋の席について会話するのとは、何か違うんですよね。それに、下手に酔っ払って舌禍や醜態を晒すくらいなら、1人で飲んでいたほうが気が楽です。
あるいは年賀状もそう。数年前から、出すことを一切やめました。

もちろん、仕事でも私生活でも、人間関係が大事ということは承知しています。ビジネス書にも、打ち合わせのあとは「サンキューメール」をしよう、などと書かれていますが、「逆に相手にとってはウザいのではないか?」などと一周回って考えてしまうため、いっそ出すことをやめました。

こんなコミュニケーションでは、いつか手痛いしっぺ返しが来ることは自分でもわかっています。
しかしながら、いつも相手に嫌われたくない、期待を裏切りたくない、などと気をつかって地味にストレスを積み重ねるくらいであれば、自分の中でルールを決めたうえで自己中心的に振る舞うことにしています。

ちちろん、こうした考え方に対しては賛否が分かれるでしょう。
そこで、コミュニケーションに疲れている人に向けて書かれた『敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法』(根本裕幸・著)の中から、本記事用に一部抜粋したうえで援用させていただきます。

本書では、「鬼畜になれ」とまで言って、「いい人」になることを否定しています。その真意とは……!?
(このnote記事の見出し、わけのわからない感じになっていますが、読めば納得するはず)

「いい人」は「都合のいい人」

 雑誌の取材などでライターさんから「人間関係が疲れるという方が多いのですが、その一番の理由は何なのでしょうか?」という質問をたびたびいただきます。
 私はよく次のようなリストを用いて説明します。

□他人に気をつかい過ぎる。
□人目を気にする。
□まわりの人がどう思っているのかが気になる。
□批判、否定されるのが怖い。
□バカにされたり、見下されるんじゃないか、という恐れがある。
□仲間外れになったり、1人だけ浮いてしまうのが怖い。
□間違いを犯すのが怖い、失敗するのが怖い。
□みんなと一緒だと安心する。
□期待に応
こたえなきゃと思っているし、そうして生きてきた。
□まわりを失望させるのはすごく怖いし、嫌だ。
□自分に自信が持てない。
□自分にはあまり長所や価値や突出したものがないと思う。
□我慢しすぎているところがある。
□嫌われるのが嫌で無理してしまうことがある。
□本当の自分の姿がバレたらきっと人に嫌われると思っている。
□小さいころから自分の意見を押し殺してきた。

 あなたはいくつくらい思い当たりますか?
 当てはまった数が多い人ほど、人間関係に疲れているはずです。
多少強引ですが、このリストからうかがえる人物像をまとめると「自分よりも相手(他人)を優先するいい人」ということになります。
 もちろん、「そうか、私はいい人だったのか!」と喜んではいけません。あくまで、これは表面的な評価ですから。
 本質は、まわりの目を気にして嫌われたり、敵をつくったりしないように、また攻撃されないように、「いい人でいようという意識が強い人」「敏感すぎる人」なだけです。相手からしたら「自分にとって都合のいい人」と軽んじられる対象です。

不義理、非人情になれ

「いい人」になってしまうと、自分らしさ、つまり自分の個性が殺されてしまいます。
「最近は便秘気味だから野菜中心の料理を食べたいな」と思っていても、友達が「やっぱ焼肉だよね!」と言い出したら、「いい人」であるあなたはそれに同意してしまいます。しかも笑顔で。そこでは、身体に気をつかっている自分を押し殺しています。

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もちろん自分を喪失している状態ですから楽しくありません。メリットといえば、せいぜい嫌われないで1日過ごせてホッとするだけです。
 お伝えしたいのは、「いい人をやめる」というのは幸せになる、人間関係に疲れないための近道です。
 私はより意図を汲み取っていただきたいがゆえに、強い言葉でこんな提案をします。
「鬼畜生になりましょう」
「不義理、非人情で生きましょう」

 その言葉をきれいに言い換えれば、「私は私、他人は他人」です。

あなたは幽体離脱をしているかも

「相手のことを思って○○してあげたが、それで本当に喜んでもらえるか不安だ。なぜなら、もし喜んでもらえなかったら嫌われてしまうかもしれないからだ」
「どうやら喜んでくれたらしい。良かった。ホッとする。これでひとまず嫌われずにすむ」
「でも、本当に喜んでくれているのだろうか? 態度が怪しく見えてくる。表向き喜んでくれているけれど、内心はそうではないのかもしれない。どうしよう、もしそうだとしたら嫌われてしまうかもしれない」
 そして、これが強くなっていくと常に自分よりも相手、という意識が根づいてしまいます。
 その結果「自分」がいなくなります。「自分」よりも「相手」を優先するあまり、自分がいなくなってしまうのです。
 その状態を「幽体離脱」と私は呼んでます。魂が自分を抜け出して、相手のほうに行ってしまった状態です。
 こうなると何かしていても自分がいないわけですから、自分がどんな状態なのかなんてまったく気が向かなくなります。
「すっごく疲れていたとしても、それを無視して仕事をしてしまうので、終わった後にどっと疲れがくる。家に帰ると寝るだけ。週末も起きられない」
「パーティがすごく苦手。いろんな人がいるので終わった後はどっと疲れてしまう。そして、自分が誰と会って、何を話したか、あまり覚えていない」
「一緒にいて楽しいはずなのに、相手の表情や態度がいつも気になってだんだん一緒にいるのがしんどくなってしまう。会いたいはずなのに、早く1人になりたいと考えてしまう」
 人といるときは幽体離脱して相手の意識に注目しています。そのとき、自分が疲れていようが、元気であろうが、しんどかろうが無視されます。
そして、その人と離れたとき、離脱していた魂が自分に戻ってきます。すると、幽体離脱していた間に感じていた感情がどっと戻ってきます。だからすごく疲れてしまうのです。
 幽体離脱をしてしまうのは、相手との距離感がうまくはかれていないことが原因です。
 自分の感情を押し殺してでも、無理に相手に合わせる必要はありません。もちろん、頑なに自分の意見を押し通すべきではありません。譲歩できる部分と絶対に譲れない部分の境界線を引き、それを相手によって使い分けるべきなのです。

相手のためではなく、自分のために人付き合いをしませんか?

(編集部 石黒)

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