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なぜいま「3色ボールペン」なのか?

フォレスト出版編集部の寺崎です。

先日「情報過多のデジタル時代を生き抜くにはアナログのツールが必須」という記事を書かせていただきました。

記事に登場した齋藤孝さんの新刊『情報活用のうまい人がやっている3色ボールペンの使い方』ですが、実はこれ、20年前に出た新書のリメイクなんです。

元になったのがこちら↓

※元本をお持ちの方はご注意ください。
※リメイクにあたっては「序章」を追加しています。

では、なぜ、2023年に改めて世に問うのか?

理由① 絶版状態(在庫なし・重版未定?)になっていたから
理由② kindleでは読まれ続けていてAmazonレビューも途切れていなかった
理由③  テーマの性質上「紙の本で欲しい」という感想がネットにあり「復刊ドットコム」にも復刊希望に挙げられていた

そして、これら3つの理由をしのぐ4つめの最大の理由があるのです。

それは―――――
デジタル時代のいまこそ有効なメソッドなのではないか!?
―――と考えたからです。

というわけで、リメイクにあたって齋藤先生に書き下ろしていただいた「序章」から抜粋して、2023年にこの本を世に問う意義を示したい。


『情報活用のうまい人がやっている
3色ボールペンの使い方』序章
デジタル時代こそ「3色ボールペン感覚」が必須スキルとなる(抜粋)

大量の資料を「自分のもの」にする

 私は赤・青・緑の3色のボールペンを使って、勉強をして、情報を取捨選択してきた。
 高校生のときから続けてきたのでほぼ半世紀に至る。
 ほぼ1日も欠かしたことがない。
 これなしでは生活ができない。
「ノー3色ボールペン、ノーライフ」だといえる。
 3色ボールペンは、移動するかばんの中に3本必ず入っている。1本だと見つからないことがある。手帳に挿し、かばんに入れ、本に挿す。3本入っていないと落ち着かない。
 3色ボールペンを手に持っていないと考えることも読むことも難しい。
 私にとって考えることと、メモすることはセットだ。誰かの発言をメモするのではなくて、自分の頭の中で思いついたことをどんどんメモしていく。
 もちろん、相手の言ったこともメモするが、相手の発言と自分の思考のインターフェース、つまりぶつかり合ったところをメモするのだ。誰かの話を聞いたときに、自分の思考がわき上がってくる。それらを3色ボールペンで書き留めていく。
 たとえば、私が出演する『全力! 脱力タイムズ』(フジテレビ)という番組があるが、私はその台本を収録直前にその場で見る。自分の担当するところは大事だから赤で書きこむ。アドリブでいけそうな部分は緑色でメモする。
 3色ボールペンさえあれば、資料をその場で自分のものにできる。

情報を「ろ過する」ための3色ボールペン

 情報は自分の外を流れている川のようなものだ。これらを3色ボールペンを活用して全部自分の中に取り込んでいく。しかし、ガンジス川のごとき広大な情報の大河を全部取り込むのは不可能だ。必要なのは峻別、ろ過すること。
 この「ろ過機能」こそが3色ボールペンの活用の要だ。
 現代は情報に溢れている。いくらでもインターネットで調べられる。その量は無限に近い。さらに英語でも調べはじめたら、きりがないほどの情報がある。それを全部身に引き受けてしまうと、考えることができなくなる。
 たとえば、食材が多すぎて、なんの料理を作ったらいいかわからない状態のとき、絶対に入れなきゃいけない食材を赤、これはまあ入れておこうという食材を青、自分が好きだから個人的に入れておこうというのが緑……といった具合に分けていく。それが赤・青・緑の分類の基準だ。膨大な食材(情報)を見渡して、さっと分けて、ろ過する。峻別して、瞬時にその3つのボックスに入れる。そんなイメージだ。

3色ボールペンという武器で情報に挑む

 大量の情報を前に、私は3色ボールペンでそれらのキーワードを色分けする。
「赤」「青」「緑」と情報が整理されたボックスに収まる。
 こんなふうに整理されていたら、それぞれにコメントをするのも簡単になる。
 なぜ簡単かというと、この時点ですでに私が情報を選んでいるからだ。大事な部分をキーワードとして選んでいるから、それについての考えを瞬時に伝えることができる。要するに、情報が多いなら選別し、活用できないものについては通りすぎればいい。
 たとえば資料が10枚、目の前にあったとする。1行目から丹念に読んでいたら1枚に3分くらいかかるかもしれない。しかし1枚あたり10秒くらいで瞬殺できたらどうだろう。私はそんな意識で3色ボールペンを使う。
 パパパッと3つくらいの重要なキーワードを選び、丸く印をつける。そうすると10枚はたやすく処理できる。会議においても、みんなが最初の数ページに手こずっている間、後半のテーマについてまで把握できている。
 3色ボールペンなしで10ページの資料を漫然と読もうとすれば、まったく手が動かないし、頭が働く気がしない。
 私は中学時代にテニス部に所属していたが、ラケットを持てばボールを打つ気になったものだ。ラケットを持っていない状態でボールを打つ気になるかというと、誰しもそうでもないだろう。ラケットを持ったら打つ気になる。それが大事なところだ。
 テニスのラケットは武士でいえば刀だ。刀を持って戦う。
 その刀が私にとっては3色ボールペンなのだ。

(中略)

 ボールペンのよさは「潔さ」だ。「消せない」という潔さ。消せるボールペンがあるが、私は使ったことがない。なぜなら、消せないのがボールペンのよさだからだ。
 私たちは消しゴムが通用しない世界に生きている。もう逃れようのない赤、逃れようのない青、そして大好きな絶対逃したくない緑。そんな世界で生きている。

「緑の感性」こそが情報社会で活きてくる

 私は書籍を購入すると、即座に緑のマーキングからスタートする。緑からスタートすれば、好きなものに反応すればいいだけだ。小説でも普通の新書のような情報関連の本でも、まず緑を使って感性で対決し、感性を武器として戦う。
 私は赤・青・緑の中で何が一番大事かといえば、緑だと思っている。
 緑色は自分が好きなもの。自分が勝手におもしろいと思うことだ。
 一方、要約力というのは青が担当する。あらすじとして大事なところなどは青で印をする。青がわかっていない人というのは、話の筋もわからない人だ。
 一方、著者の大事なメッセージと自分の考えの合致したところは、非常に重要な部分だから赤で印をする。
 赤が最重要なのは当たり前だが、赤からスタートすると力んでしまう。本の中で一番大事な部分にいきなり出会うとは限らない。1ページ目から赤が連発したら、それは一番大事なことではないはずだ。

(中略)

 自分がおもしろいと思うかどうかというのがわからないという人はあまりいない。どれが大事かはちょっとわからないという場合はあるが、自分がおもしろいと思うかどうかはすぐわかるので、緑の感性を武器にこの世の大量の情報と戦いたい。
 私には3色ボールペン感覚というのがあるのだろう。3色感覚といってもいい。
 まずは何をおもしろいと感じるか、緑のインクでスタートする。最初は全部緑でもいい。難しいことは考えないほうがよい。のちにこれは緑じゃなくて一般的に大事だよなということがわかったら、そのときに赤・青というのを使えばいい。
 緑は日本人にとってはとくに大事だ。日本人には同調圧力がかかっている。他の人はどう考えるだろうというのをつい気にしすぎる。
 しかし、緑は他人とは一切関係ない。自分がおもしろいと思ったことだから、判断はまず脇に置き、緑の印から試みよう。それこそが個の解放につながる。
 みなさんは自分の考えや感性が正解か不正解かと怯おびえている。他人はどう考えているか多数派を意識して怯える。でも、3色ボールペンの緑を持った瞬間には、その怯えを一切捨てて、勇気を持って解放された自分に賭けてみよう。
 そういう勇気のスイッチ、解放のスイッチが緑だ。
 他の人の目を気にしないで、まずは自分と向き合ってみる。
 身体ごと、3色感覚、とくに緑感覚を重視する。
 それこそがデジタル時代に求められるアナログな感性の強みだ。

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いかがでしょうか。

本書の3色ボールペンで使う色は「赤・青・緑」です。

次回はおすすめの3色ボールペンをご紹介します。

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