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発展途上な私たち

つくづく私たち大人が創ってきた社会というものが、
発展途上であると感じる今日この頃です・・・

自ら学び成長した先に


「こどもは未熟で何かを教えこまなければならない存在ではない」。
一歩、いや半歩くらい学びの場を広げてみるだけで、この表現に、何度となく出会えます。
これって、画一一斉で一方的に伝達する学びのスタイルへの反省から表現されるようになったものだと私は捉えています。

もちろん、未熟で教えこまなければならない存在だと全く思っていませんが、
何かしら少し前提がずれている気もしています。
「未熟で教え込むべく存在」と対となって語られるのは、
「自ら学び成長できる存在」といったところでしょうか。

何か、成長した暁に素晴らしい世界が待ち構えている前提で、
ほらこっちにおいで~って、待っていられたらどんなに喜ばしいことでしょうか。
そういう側面もないわけではないです。
そこに一縷の望みを持つからこそ、こういう活動をしている面もあります。

しかし、誠実にこどもたちに向き合えば向き合うほど、
「こちら」ではなく、
ともに向かう「あちら」を目指す感覚がわいてくるのです。

私たちは何をやってきたんだろう

まもなく、「子どもの権利条約フォーラム2023inとよた」が開催されます。
そこに向かって、多くの人たちが丁寧に時間をかけて準備を重ねてきてくれています。
きっと素晴らしい2日間になるだろうと今から感じています。

こどもの権利を想う時、
今ある民主的な場づくりを想う時、
理想を想えば想うほど、
現実との乖離にもどうしたって目が向きます。

このフォーラムの支度が進む間にも、
戦争は止まず、
こどもたちの犠牲も後を絶たず・・・

なんて私たちは発展途上なんだろう、そのことに愕然とする想いでいます。
フォーラムで、こどもたちのまっすぐな声にたくさん出会うことを想像してみても、“私たち今まで何やってきたんだろう”という想いを痛切に感じ抱えることになるだろう・・・と。

そうしてスクールを見返してみているんです。

望む社会を創るために学ぶ

今、スクールはどんな状態にあるだろう?
何が好ましい現状で、
どんな課題を残しているだろう?
何を準備することができていて、
どんなことに手が回っていないのだろうか?

挙げればきりがありません。

しかし、
私たちの社会がそもそも発展途上にあると想うと、
とたんに道が開かれるような、
返って、可能性に満ちているような感覚さえあります。

何かを教え込まなくてはいけないどころか、
どんな社会を一緒に創っていきたいのか、
じゃあどうしていく?って。

先日も、定例会議を前にして、
メンバーさんから、「司会の役割は標的になるのではないか?」という声がありました。
それを聴いた他のメンバーさんたち、
「なんで?」「どうしてそう思うの?」って言っていましたが、
それを語った子は、そう感じる何か懸念があったのでしょう。
どちらかというと、
そのメンバーさんの個人的な課題に留められそうな流れに一瞬なりました。

それもあるかもしれませんが、
そういうことを想像してしまっても無理のないような、
私たちの現実世界があるのかもしれません。

じゃあどうする?
それなら私たちはどうしたい?
このスクールの中ではどうありたい?
このコミュニティをどうしていく?

もうこのことに尽きると思いました。
共に、望む社会を創ろうって。
そのために!だからこそ!!学んでいるんだよね!って。
その日の最後に私は、「誰も標的になどならないようにしましょう」とだけ伝えました・・・







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