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『遊行柳』どこにでもありそうな田園風景を特別な場所にしているのは、1本の植え継がれてきた柳の木。(ユウギョウヤナギ)


 那須町のイメージとは那須御用邸と、那須高原の天然温泉、那須温泉。

現在は日本の伝統的な浴場と現代的な浴場を兼ね備えたリゾート地。

この地に住んでいます。

 桜の時期になると、柳の新芽が出て菜の花、スイセン等々辺りの風景にも誘われて出掛けます。

『田一枚 植えて立ち去る 柳かな』

奥の細道を著した芭蕉は、那須湯本の殺生石を訪れたあと、遊行柳に立ち寄りこの句を詠みました。

西行法師がしばし立ち寄られた柳の木陰で感慨にふけっていると、いつのまにか早乙女たちが一枚の田植えを終えていたので、我に返って自分もここを立ち去ることにした」

という意味の歌です。

この句に込められている意味や内容がその場に居ると心象風景となって、確かに現代においても時を忘れる。

暑くもなく、寒くもない風も心地よく…ゆっくりと流れる豊かな時を刻みます。


西行に憧れていた松尾芭蕉や与謝蕪村の句碑もあります。

「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

西行の歌にもってこいの桜満開の日和。

その日は強い願いがかない「釈迦の入滅の日」の次の日だった…そうです。

わずかの花びらが風に吹かれ散る頃に、いつもこの歌も胸を過ぎる。
畏れ多く口にはなかなか出にくい。


 推定樹齢400年といわれる大イチョウが鎮座する湯泉神社の参道入口

何故かこの大イチョウに春、夏、秋と会いたくなります。かつて見たことがないほど…とにかく大きい。

「霊」さんがいらっしゃる。横に並ぶ欅・椿の大樹も然り…

両側に鎮座する狛犬以上に畏敬を仰ぎます。

いかんせん、行政はこの環境が当然過ぎてぞんざいすぎる感がある。だからこそ自然が愛しいのかも知れない。


 都度、出掛ける度にいろいろな思いが重なりますが、帰りの鳥居を抜けると別のわたしが生まれ変わった気持ちになります。
それが心地よい。

神社から見た柳と鳥居

 交通事情も最適ではなく訪れる人も特別な思いを持って来る人です。

この町に住む幸せがココにあります。

手押し車を引いたお婆さんが水の入る前の田圃の畦道を歩く


「メモ」栃木県那須町芦野。
東京から東北新幹線で約1時間半

は東北自動車道・那須ICで降り、国道4号、同294号など経由で約3時間

菜の花の背後は田圃への水路

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