鴨頭嘉人さんのツイートで思うこと
珍しく(初めて?)ツイートに関する私見を書きたいと思います。
これを読んで、カンボジアに来る前と、現在で改めて価値観の変化を感じました。
結論からいうと
「児童生徒は十人十色である。だから教師も色々な人がいていい。みんなちがってみんないい」
私はやる気がない先生がいても、一緒に子供たちの幸せのために働くチームだと認識してます。
過去に、授業準備を全然しない再任用のA先生を職員みんなで糾弾するという出来事がおきました。
A先生が児童が授業に集中しないで困っていると相談があり、何度かフォローに行きました。
その時の感想は
「たしかに、分かりにくい指導をしてるなぁ·····授業の構成が良くないなぁ」
と正直思いました。
分かりにくい指導で子供たちが困るのであれば、チームとして先生にアドバイスしたり、空き時間の教師がクラスに入ってサポートしたりすれば、解決すると思います。
鴨頭さんは、「成長してない人が、教育できるわけない」と述べています。
たしかに、常に高い向上心をもちやる気に溢れる教師のクラスの子供たちはグーンと成長する気がします。
しかし、やる気がないと糾弾されたA先生についてある児童が
児童「A先生の授業がすき」
と言いました。理由をきくと
「心が安らぐ」
のだそうです(笑)
なるほどなぁ·····
やる気にあふれる教師のもとで成長する児童もいれば、ゆるーいスタイルの教師のもとで心の安らぎを感じる児童もいる。
やる気あるれる教師だけ接するよりも、色々なタイプの教師と接したほうが、豊かな人間性が養われるのではないでしょうか。
そもそも、やる気の有無は本人しかわからないでしょう。
極端な例ですが、お坊さんは座禅を組んで修行をしますが、ある人からみたら座っているだけのやる気無し坊主って思うかもしれません。
どんな児童・生徒も受け入れる心のゆとりは大切です。同様にどんな教師もチームとして受け入れ、楽しく働きたいですね。
働くとは、ハタ(となり)の人を楽にさせる事が語源だと聞いたことがあります。
みんなが、気持ちよく働ける環境を作りたいと強く感じます。
鴨頭嘉人さんの発言で、救われる人もいれば教師を辞めてしまう人もいる。
それは、それでいいんです。
ただ、やる気がない先生の必要性を感じている私のような人もいることを、知って欲しいなって思います。
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