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かつての里山に暮らす動植物 その3 樹木 ~里山を代表するコナラ~

 さて、今回からは記事タイトルのとおり、かつての里山に生きる樹木たちについて書いていく。なんといっても、わたしが大学で森を知るための糸口にしたのは”樹木”だった。高校生のまだ青い頭のなかには「森=いろいろな木の生えている場所」という考えしかなく、とにかく大学に入ったら、森に生える木の名前を覚えようと意気込んでいたのだった。そして実際、木の葉の標本を作るという手段で葉を見て木の名前が分かるようになり、その森に生える木の種類をひたすら記録していくことで自分の森を見る目を養っていった。したがって、わたしにとって木を見ることは森を見ることにつながっている。

 とはいえ、かつての里山に生える樹木はそれこそ山というほどあり、どういった順に書いていけばいいのかと考えてしまうのだが、まあ、代表的なものから順に適当に書いていくことにしよう。

コナラ林

 というわけで、まずはコナラという木から。かつての里山を代表する木であり、なおかつ、かつての里山が実際に里山であった頃も代表的であっただろう木だ。高さ(樹高)は20メートルほどになるいわゆる”高木”で、日本にはその数も多く、かつての里山を形づくる、森の外観を成す木だといっていい。コナラ林、ナラ林などとも呼ばれる。雑木林などと呼ばれる林に多く生えているのもこの木だ。

高木になるので当然、幹も太くなり、いまの”かつての里山”に生えるコナラのなかには、大きく育って直径が50センチ以上もあるような大木も目立つようになった。
 一方、里山が里山として実際に使われていた頃のコナラは、なんといっても炭や薪材としての利用が主だったと思われ、この木で焼いた炭や薪は火持ちが良く(長時間燃焼する)て重宝されたはずだ。したがって、いまあるような幹の直径が50センチ以上もあるような大木は当時、ほとんどなかったと考えられる。そんなに太くなる前に伐られ、炭や薪に利用された後はその切り株から再生する幹が再び20~30センチ程度の太さになるまで待ち、そしてまた炭や薪として利用されたからだ。

切り株の表面。年輪が比較的混んでいて、放射状組織と呼ばれる白い線が目立つ。

その材は実際に伐ってみるとよくわかるのだが、とても硬い。この硬さが火持ちの良い炭や薪になる理由だろう。

 さて、ご存じない方もいるかもしれないが、”原木栽培”といわれるシイタケの原木(シイタケ菌を打ち込み、菌が繁殖する元になる木)の多くはこのコナラである。シイタケは名前からしてシイという木に生えるキノコのはずなのだが、栽培に使われる原木の多くはじつはこのコナラなのである。一度だけ、シイの枯木から実際にシイタケが生えているのを見たことはあるのだが、シイの木を原木としてシイタケ栽培に利用しているのはほとんど見たことがない。シイの木はコナラに比べより雨が多く、温暖な地域に生えることを考えると、コナラよりも材が柔らかく、腐敗が進みやすい(シイタケを栽培できる期間が短くなる)のかもしれない。コナラの原木栽培は少なくとも4~5年は続けることができるから、原木としてはコナラのほうが適しているということだろうか。

 そして、その実はいわゆる”ドングリ”である。生り年には大量の実が落ちるので、森に棲む動物たち(クマ、サル、イノシシ、鳥・・)にとっては絶好の食糧となる。ただ、人間にとってはアクが強すぎてそのままではとても食べられず、アク抜きをしっかりしてなおかつ、加熱処理をすると食べられるようだ(わたしも食べたことはない)。確か縄文時代の遺跡からはコナラのドングリの食痕が見つかっていたはずである。かつての人びとはこの実をどうにかして食べていたのだろう。ちなみにお隣の韓国ではコナラかその兄弟のようなミズナラのドングリを粉にしたものを売っている。隣の国ではまだ、この実を食べる文化が広く残っているのだ。

 そして、高さ20メートルにまで伸び、四方八方に枝を広げるこの木の形はわたしたち見るものにとっては壮観であり、森に棲む動物たちにとっては棲みかになったり、移動経路になったり、はたまた夏にはとても大事な木陰をつくってくれることになる。台風や大雨、雷といった天災から森のなかや地面を守るシェルターのような役割を果たすこともあるだろう。

コナラの落ち葉

 さらに、冬になって落とした葉はいずれ土となり、さまざまな小動物を育んだり、栄養となって他の草木を育てたり、雨に混じって流れ下り、下流のわたしたちの田畑や飲み水を潤すことになる。

コナラの芽吹き

 この木がどうしてかつての里山やいまの”かつての里山”を代表するほどに多く生えているのか、ということはわたしの力ではなかなか正確に説明できないのだが、コナラが陽樹(ようじゅ=日当たりのよい環境下で芽生え、育つ樹木))であることと、その種子(ドングリ)がたっぷりと脂肪を貯えたものであることがその理由の一つではないかと思う。
 人びとが里山を里山として利用していた頃はあちこちで木々が伐られていたので山はいまよりもっと日当たりがよく、コナラが生育するにはいい環境が多かったはずである。かつ、脂肪をたっぷりと貯えたドングリというこの木の種子は、他の生物の食糧ともなったが、発芽できればその後の成長に欠かせない栄養をしっかりと自分で貯えているから、他の木よりもより確実に成長ができただろう。したがって、コナラが子孫を残すには適した環境がこの国には多くあった、ということになる。また、受粉様式が風媒(ふうばい=花粉が風で運ばれ、受粉する。虫媒だと虫などに花粉を運んでもらわなければならないため、花粉が運ばれる距離も広さも短く、狭くなる)であることも多くの個体が生育できた理由のひとつだろう。
 

紅葉したコナラ林

 そんなわけで、コナラはいまの”かつての里山”でも、実際のかつての里山でも、森を代表するような木なのだが、木が伐られず、陽当たりのいい環境が少なくなったいま、今後はその数を減らしていくのかもしれない。鬱蒼とした森には日当たりの良くない環境でも成長できる陰樹(いんじゅ)と呼ばれる木々が増え、その姿は変わっていくのだろう。 

新緑のコナラ林

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