ゼイゼイさんからのリプライにお答えしますー偏屈者の私が、なぜ蓮舫氏と立憲民主党への「敗因分析論」を峻拒しつづけるのかー
そもそものいきさつ
無頼を気取っているわけでもなく、どこかのANTIFA界隈のように、口が悪いだの、性格が悪いだのを自慢することなどむしろ、「幼稚だな」と、一笑に付してしまう偏屈者であるのだが、さすがに戸惑った。
どこをどう読んでも真摯そのものの回答が返ってきておる。
これに身一つで真摯に対峙することから逃げるほど、私も臆病者ではない。
そもそものいきさつから語ろう。
発端は、私がゼイゼイさんのこのnote記事を拝読してからである。
この記事に、7/21 17:30現在、すでに2,043件もの「いいね」が付き、蓮舫氏が(おそらく)予想外の大敗を喫した東京都知事選挙の「敗因」なるものについて、議論の重要なキーストーン(礎石)を提供する役割を果たされている。
どう公平に考えても、私なんかより何千倍もリベラル再生のための役割を果たされているのである。
ところがこれに対する私の回答は、いつものことながらまことに無礼千万なものであった。
以下の連続ツリーの通りである。
別にケンカを売りたくて売っているわけではなく、わりと素直にそう思って書いたというのが正直なところであるが、まさかご本人からリプライが来るとは思わなかった。
しかも長い...。
通常の平均的社会通念を有する一般市民ならば、へなちょこなくせにガラの悪いふりだけは十人前の私の連続ツリーなど、そもそも無視するか、軽やかにブロックするのが至極当然のまっとうな反応というものであって、このように長時間の推敲の後がうかがえる真摯な返信を向ける必要は全くない。
無謀、もしくは奇矯である。
一方、生来根はお人よしな私の方は、ゼイゼイさんから丁寧なご返信をいただいた意味をさすがに真剣に考えざるを得なかった。
というわけで、本記事に私見を認める次第である。
そういういきさつなので、以下は、ゼイゼイさん個人に宛てた「私信」と受け止めていただければ幸いです。
読みにくいところ、ゼイゼイさんと私にしか分からない表現もたぶんに含まれています。
まずはじめに
ゼイゼイさん
先日は、私の不躾なツイートに丁寧なご返信をいただきましてありがとうございました。
まず、それにお答えする前に、数々の失礼な物言いをお詫び申し上げます。
よく周囲の人からも「物の言い方!」とは言われるのですが、50年も生きてきたくせに、どう直せばいいのかいまいちよく分からなくて。
要するに、これからお答えすることは、そういう精神的に甘えた未熟者の私の、戯言だと受け止めていただければ幸いです。
これから申し上げることは、ゼイゼイさんを満足させるものでは到底ないでしょうが、東京の東の端っこで延べ1週間、選挙の現場に立っていた者が、ゼイゼイさんの記事やリプライを拝見した所感です。
これから、3つの懐疑について述べたいと思います。
第一の懐疑:そもそも「失敗」だったのか
今回の選挙結果は、私たちにとって大変にショッキングであって、憤りや失望、無念さがない交ぜになったものと、ゼイゼイさんもお感じになったでしょうし、私自身は今もそんな気持ちと対峙しています。
だからこそ、あなたも「失敗を振り返り、次に活かすのは当然」と述べておられるかと思いますが、私はそこに疑問を投げかけたいと思います。
失敗とは一体何でしょうか?
失敗というからには、私なりの定義では、論理的には成功の可能性が1%でも存在して、そのための成功の条件が成就しなかったこと、と考えますが、今回の惨敗は、そもそも成功する可能性が存在したのでしょうか?
私には、160万票差もの劣勢を覆して、小池氏を破る方法は全く思いつきません。ましてや、石丸氏の妨害を跳ね返し、メディアの蓮舫氏への執拗で個人的な中傷・バッシングを跳ね返して、です。
それらの環境をことごとく跳ね返すという条件を成就させて、はじめて小池氏の背中が見えてくる、かも知れない。
だが、敗因分析論者の議論のほとんどは、この外部環境の悪さを完全に目を背けています。サッカーに例えると、「自分たちのサッカーをやればブラジルにだって勝てる。負けたのは自分たちのサッカーをやらなかったからだ」と言わんばかりです。
世間ではそういう意見をウブといいます。
もう1つ、敗因分析論者が見落としていることがあります。
以下の三春充希(はる)さん(@miraisyakai)の情勢分析ツイートをお借りしますが、実際には、蓮舫氏は途中まで(投票日1週間前)まで、小池氏との差を着実に詰めてきており、逆転勝利は不可能ではない位置まで来ていた、ということです。
ペースとして非常に遅く、最後の最後で追いつけるかどうかというペースではありましたが、統計的な信頼性のあるデータ上では、差は縮まりつつあった。
これはどういうことか。大局において、蓮舫陣営の戦略は途中まで機能していた、つまり正しかったということです。
しかし、結果はご承知のとおり、蓋を開けてみれば、石丸氏が大幅に蓮舫氏に流れるであったろう無党派層の票を食い破り、蓮舫氏を最後の最後で出し抜いた。
しかも、選挙の常識からみたら非常識というほかない手法によってです。しかも、その非常識なやり口を120万人以上もの人間が支持を与えた。
では、だからといって、蓮舫氏は石丸氏の手法をまねれば良かったのでしょうか?統一教会や自民党から裏で支援を受け、TikTokで自分に都合の良い情報を垂れ流し、街頭演説では政策を語らずごくプライベートな思い出話に花を咲かせる。
そういう候補者を野党も立てれば良かったのでしょうか?
あなたもさすがにそれには同意しないと信じます。
では、どう考えるべきなのか?
私は、こう考えています。
① 蓮舫陣営の選挙戦略や戦術に多くの問題点や改善点は指摘可能ではあるが、全体としてはそれらはオーソドックスなものであって、しかも途中までは有効に機能していた。
② 蓮舫氏が大敗を喫した最大の原因は、そもそも外部環境が想定よりもはるかに悪かっただけに過ぎない。加えて、選挙終盤の石丸氏の2位狙い戦術に妨害され、若い年代層を中心に予想外に反小池票が石丸氏に集中し、外部環境はさらに悪化した。残念ながら、基本的にこのリスクをヘッジする方法はない。
③ これだけの環境を跳ね返して蓮舫氏を当選させる方法は、基本的には存在しない。敗因分析論者も、それを批判する私のような立場の人間も、そのような処方箋を提示することは不可能。
④ よって、不可能な挑戦自体を、成功・失敗の基準で論じること自体がナンセンス。
加えて言いますと、以上の①~④については、「やってみて初めて分かった」ことであって、最初から分かったことではありません。敗因分析論者はそのことも分かっていない。
私から見れば、敗因分析論を語りたがる人たちの思考は単に、後知恵バイアスに冒されているだけです。
そんな意見に耳を貸す価値はどこにあるのでしょうか?
第二の懐疑:蓮舫氏のパッションを軽んじていないか
懐疑の第2点。
「選挙における目的とは支援者との熱い繋がりを体感することだけではなく、消去法的な選択であろうとも、一票自分に入れる有権者を増やすことではないでしょうか。」
まあ、ずいぶんと蓮舫氏に思い上がった、失礼なことをおっしゃっておられる(蓮舫氏はこんなこと一言も書いていないし、その意図もない。)ようですが、まあ、そこは置いておいて。
この文章は、前半部分と後半部分があたかも両立するかのように擬装しているが、自分自身に置き換えてみれば考えてみればわかるように、明らかに態度として矛盾した姿勢であるので、両立するはずがない。(「だけ」と書くことで文法上両立しえるかのように、形式的に擬装しているに過ぎない。)
どう考えても、ゼイゼイさんのおっしゃりたいことは、「消去法的な選択であろうとも、一票自分に入れる有権者を増やすことではないでしょうか。」の方に力点があることは、元記事からも容易に想到しえますが、それを蓮舫氏に求めることは果たして正しかったのか?
と私は疑問に思っています。
蓮舫氏のツイートを見てみましょう。
蓮舫氏は、「次世代の挑戦者を萎縮させないように」と言っているんですよ。決して自己満足のために言っているのではない。
ゼイゼイさんは読まれたそうですが、どこをどう読んだのか、と思いますね。
さて、こういう真摯で人に気を遣うことの多いご性格の候補者に、ゼイゼイさんはこう言いたいらしい。
「消去法的な選択であろうとも、一票自分に入れる有権者を増やすことではないか」
これで、自分の傲慢さにお気付きになられないようでしたら、漬ける薬がありませんね。
ここからは思考実験ですが、蓮舫陣営に、ゼイゼイさんを代表するような敗因分析論者たちのいう、「現実的な選挙戦略」なるものが導入されたとしましょう。
私には次々と疑問がわいてきます。
① 果たして、その戦略は蓮舫氏をより現実的な選択肢として、より多くの有権者を引き付ける「見せ方」になるのか?
② その現実的戦略でどれほどの票の上積みを説得力を持って、陣営に示すことができるのか?
③ それを陣営全体の選挙戦略として、どれだけ各自の行動に浸透させられるのか?(当たり前ですが、選挙は一人でやるものではないので。)
これに加えてさらに2つの疑問が浮かびます。
④ 蓮舫さんご自身は、このような戦略をメンタル的に受け入れ可能なのか?
⑤ こんなやり方で勝って、蓮舫さんは納得するのか?社会をこれで変えたことになるのか?みんながついてくるのか?
リベラル陣営の99.9999%の方が誤解していますが、リベラル陣営がなぜいつも、選挙で保守陣営の後塵を拝するのか。
連合のせいでも共産党のせいでも一人街宣のせいでもありません。もっと簡単で基本的なことを見落としている。
それは、「正しく戦って正しく勝つ」というハンデをいつも背負わされているからです。
野党は本質的な役割は、与党が政治的に失敗した時の受け皿であり、それはつまり、与党が構築してきた社会から何かしらの変化を持ち込むことになります。
ただたんに選挙で勝てばいいのではない。
社会を変える構想を提示して、現状に甘んじがちな有権者を説得し、フェアな方法で勝たなくてはならないのです。
汚い方法で100万票や200万票を集める対立候補を相手にです。
敗因分析論者のほぼ全員が見落としていますが、蓮舫氏は確かに惨敗した。支持の輪は想像を超えてはるかに広がりを欠いていた。
が、支持者は「あの蓮舫さんだったから」ここまで戦ったのです。傍観者の分際であれこれ賢しげなことを言うだけの連中とは行動力が違う。
敗因分析論者のほぼ全員がその点は決定的に無責任です。敗因をいくらでも賢しげに分析し、もっともらしい言葉を並べ立てるのは、言論の自由があるので好きなだけおやりなさればいいが、一つだけ聞きたい。
「あなた、4年後それやってくれるんですか?」です。
超基本的で当たり前のことですが、選挙は、現場の人間が頑張らなければ候補者は絶対に当選しません。敗因分析論者は、候補者をあなた方の操り人形とでもお考えになっておられるようですが、もちろん血の通った人間です。
そういう人間を、現場にいるみんなで力を合わせて押し上げる以外の方法はありません。ネットにいるだけの人には絶対にできません。
一人街宣を頑張った人たち、ポスティングを頑張った人、証紙貼りを頑張った人、ビラを配る人、一本でも電話をかけてくれた人、そういう人たちみんなで押し上げる。
誰かひとりが欠けても絶対に成し遂げることはできない。
そして、選挙戦略や戦術が、みんなにとって「これなら勝てる」「これなら行ける」という想いが共有されていなければ、選挙は勝てない。
したがって、あなた方敗因分析論者が正しいと証明したいならば、行動と結果と説得で証明するしかない。その気がないならば、何を言おうが誰もついてこない。
ところで、私へのリプライに「私は私の考えを全て正しいとは当然思っていません」と書いてありましたが、何予防線張っているの?
「正しい」と本気で信じることだけ書いてくださいよ。
ずいぶんと遠回りしましたが、上記の④と⑤、ゼイゼイさんや敗因分析論者たちにはぜひ提示しもらいたい。というか、その責任がある。
あそこまで偉そうに書いておきながら「蓮舫氏や立憲の各議員がするべき選挙対策を私がしてみろおちうことは、長年専門的に活動されている蓮舫氏や立憲の議員に対してむしろ失礼」というのは、詭弁であり逃げの論理であり、卑劣な責任回避でもある。
ついでに言うと、「やってもいないくせに文句を言うな」以下のあなたのリプライもレッテル貼りの詭弁であって、そもそもネトウヨは「行動しないのに行動した人間に対して一人前に文句が多い」日本代表ですよ。あなたの私に対する批判が全然妥当しない。行動しないのに賢しげに無責任な敗因分析をする人間たちの方こそ、ネトウヨと同じだという批判が最も妥当する。
まあ、こういうレッテル貼りなんか正直なところどうでもいいので、今後は建設的なリプライをお願いしたい。
何度でも言っておきましょう。選挙は、現場で行動した人間以外に、候補者を当選させらる者は、絶対にいない。
だから、現場の人間を気持ちを動かせる論理も説得力も情熱もない、敗因分析論者たちの、床屋政談と何ら変わることのない言葉の羅列など、私から言わせれば、候補者を単なる操り人形だと思っている、無責任な議論にほかならない。
社会を変えるのは選挙の現場に立っている人間だけです。他に変えられる人間はいないんです。
あと、親切ついでにもう1つ言っておきましょう。
蓮舫氏がこうも言っていますよ。
あなたも蓮舫氏からこんなことを言われないように気を付けた方がいいですよ。
第三の懐疑:分析が本当に必要なのか
ゼイゼイさんに、ここまで言いたい放題にお返事していますが、「じゃあ、foresight1974、お前はどう考えているんだよ」と思われると思いまして。
私の意見はこうです。
① そもそも蓮舫さんを当選させる前に社会が変わらないといけなかった
当たり前ですが、そもそも彼女のような政治家を許容する社会でなければ、蓮舫さんに200万も300万も票が集まるわけではない。
TikTokとか小手先の手法で小池氏に届く票が獲得できるわけがないのです。
敗因分析論者だけではなく、現場に立った人間も含めて、この認識が甘いんですよ。だから私も含め、結果に安易に失望する。
② そもそも勝つための準備が甘すぎる
立憲民主党の選挙は長らくそうですが、長期間かけて政治家を育てるスキームがない。ウケの良さそうな清新な新人をぶつけるだけのワンパターンか、蓮舫さんのような知名度高い議員をぶつけるだけ。
そもそも、今回も数か月前から候補者を選定する委員会なるものを立ち上げているが、遅い。4年かけて政治家を育て、小池氏に満を持してぶつける体制にそもそもなっていない。
ヒトモノカネの問題が大きいんですが、やろうとする哲学がない。
③ そもそも簡単に勝とうと思ってはいけない
冒頭申し上げたように、石丸伸二ごときに簡単に100万票が集まる選挙風土で、簡単に勝てると思ってはいけなかった。
真面目にやったら負けるのがデフォだと思わなくてはいけない。
中野昌宏青山学院大学教授のこの一言は至言だと思いますね。
④ そもそもヒトモノカネはないし、法律上の制約は多いし、メディアは味方ではない
敗因分析論者は、自分たちの分析があたかも現実的に実行可能であるかのように語りますが、現場を知らない彼らの提案は、そもそも実現はほぼ無理なものばかり。
ヒトがないかモノがないかカネがないかそもそも法律上できないか、のいずれかがほぼ該当しますね。
まあ、人の無知を批判するのはたやすいですが、そういうところも、「現場にいない人間」の意見に、私が冷淡な理由の1つです。
⑤ 選挙は、現場で頑張った人が圧倒的にエライ。というか、選挙戦略や戦術とかって、現場がみんなでやろうと思って、みんなができることしかできませんから。
圧倒的に自明の論理です。
外野は、絶対に現実を変えられないのです。
その「弁え」の自覚が必要。
正しいと信じる意見はいくらでも言っていただければと思いますが、現場の人たちに刺さらない意見は、選挙に関する限り、絶対的に無価値です。
⑥ ①~⑤のフィルターを通過して、はじめて冷静かつ現実的な分析と議論が可能となる
つまり、 ①~⑤を通して言いたいことは、「現実を動かす」「現実を変える」こと自体を念頭に置いて、言ってください、ということです。
それは当然に「説得の論理」が伴わなければならない。
人は納得しなければ、行動を変えてくれないからです。
さて、結論です。
題名に掲げたように、私がなぜあなた方の意見を峻拒しつづけるのか。
もう答えはお分かりですが、あえて言っておきましょう。
結論:敗戦分析論者の意見で、①~⑤のフィルタを通過して合格点を与えるべき意見は1つもない。よって敗因分析を取り上げる価値はない。
最後に
敗因分析論者にどこまでも辛らつなままで締めくくらせてもらいますが、「勝てばいいってもんじゃない」「意見をぶつけりゃいいってもんじゃない」というのが世間の現実じゃありませんか?
言うだけ番長なんか、どこの会社でもただの嫌われ者ですよね?
なんで選挙の現場では言うだけ番長ばかりがのさばっていいのか?
ゼイゼイさんをはじめ敗因分析論者に最後に聞きたい点。
あなた方は現場をリスペクトして、弁えてものをいうべき態度があるかどうかです。その点をわきまえて行動を実践し、発言してきたのは、あなた方なのか?むしろあなた方が批判してきた人たちなのではないか?と思いますけどね。
あなたは元記事で「お前ら勝つ気あるんか?」と書かれていましたが、私はあなたにこそ言いたい。
「お前にその気がないくせに何言ってんだよ。」
以上
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