心のひとりごとをとりあえず書き起こしてみた。

少しだけ、心が不安定になったので、整理がてら、心のひとりごとを書き出してみようと思う。まとまりがないし、内容もバラバラだろうし、なんじゃこりゃ、て思われても仕方ないけど軽い読み物だと思ってくれたらいい。


用事があって神田から有楽町まで歩いた。その際中、キッチンカーの群れを発見した。特に何か欲しい訳ではないけど、どんなのが売られているか見たくて信号渡って寄り道した。

キッチンカーってその車ごとに(お店ごとに)こだわりを感じるから好きだ。がっつり系からおしゃれなクレープ、体によさそうなヘルシーなもの、、、どれも魅力的で見てるだけでも楽しい。

大学に日替わりのキッチンカーが来ていた時期があった。その中に、魔女がやっていそうなキッチンカーが来ていた。内装もメニューも私好みで、魔女が作る朝ごはんに出てきそうな美味しそうなスープかカレーが売っていた気がする。記憶があいまいだけど、そのキッチンカーの存在だけ今でも異様に覚えていて。確か木曜日。でも、そのキッチンカーはその日限りで来なくなってしまった。今でもどこかで営業しているのかな、、、もしそうなら今も誰かに元気になれる魔法でもかけてくれてたらいいなと思う。


私は生きるとか死ぬとか考えがちだけど、本当はそんなこと考えなくても生きていけるし、そんな人がほとんどだ。

死にたいんじゃなくて、シャボン玉のように透明になって消えたいだけとか、私という存在が最初からなかったことにしてほしい、とか。

本当は生きたい、の裏返しなのかもしれない、と。

私がもし死んだら遺書に「どうか、私のことは忘れてください」と書いてしまうだろう。私という存在・思い出・記憶が悲しみで阻害しているのなら忘れてもらった方が、その人のためになると思うから。それは生きている人にも言えるのだが。

誕生日は年を取ることを恐れるのではなく、自分がここまで生きてこれた記録としてしまえばいいのではないか、と最近ふと思うようになった。誕生日が来るたびに「ああ、○○年生きたのか」と。そうやって自己記録を更新すれば、年を取ることも生きることも怖くなくなるのかな。


ここ最近、地震が多い。どういうわけか私の寝つきも良くない。夜中に目が覚めてその数秒後に地震が発生、なんてことが2度あった。予知能力なのか分からん。

地震で目が覚めるのはいざというとき逃げられるからいいのかもしれないが、こういう時に限って(というかここ最近)変な夢を見てる。夢なのは分かるが妙に現実味を帯びていて、その世界で生きてる感じがするのだ。

そして寝坊する(4日連続)。遅刻はしないが。ある日、よりによってキスされそうなところで「これはおかしい」と気づいて無理やり目を覚ました。遅刻はしていないが、さすがに出発20分前に起きた時はびびった。

奇妙な夢の連続、これは現実世界の異変を予知するものなのだろうか、、、それともただ単に疲れているだけかもしれない。どうか、後者であってくれ。


私は大切な人を何度傷つけてしまうのだろう。不安定なせいか、1ヶ月に1回のペースで大切な人を傷つけている。原因は私。素直になれず「あなたのことを思って」という建前で自己犠牲になって結果相手も傷つけてしまった。

自己犠牲しても結局双方が傷つくだけ。あなたの傷は私の傷でもある。そう注意された。ようやく我に返れた。(となると、2個前の死んだら忘れてくれ、も相手が傷つくだけかな)

有名な縁切り神社に行っても、冷たい態度をとって距離取ろうとしても、今回みたいに既読無視しても、全く意味がないくらい結局元通りになってしまう。(今までなら何かしらあって私が冷たい態度をとったら離れていく人がほとんどだった)

大切な人ではあるけど、お互いのことを考えたら距離を置いた方がいい存在。ここまで来ると1周回ってどんなことしても切れないのだから縁を切るな、繋いだ手を離すな、というお告げなのだろうか。本当に変わっている人である。私も、あなたも。

だから、今度こそちゃんと言ったのだ。「少しだけ距離を置きたい」と。
近すぎたから、私は苦しかったのかもしれない。
大切だから、傷つけたくないから、自己犠牲したくないから、ただ楽しく話して笑いあえる存在でいよう、そうしたいから。

大丈夫、あなたかが教えてくれたたくさんのことは、心の中で残り続けて私を生きる原動力にしてくれるから。心を温め続けてくれるから。


正直、またどこかでふらっとまた消えたい。別に泣きそうになりながら仕事してるわけでも、すごく疲れてしまったわけでもないけど。

心をリセットしたい。

でも、また休んだら同期は熱出して消えそうだし、4月からアルバイトの指導と新入社員研修が始まる。とてもじゃないが、指導の合間で休める気がしない。

倒れるわけにも、休むわけにも、弱音を吐くわけにもいかない。

残念なことに、4月から組織体制が変わるため、弱さを打ち明けられる人が実質いないのである。結局周りにニコニコしながら倒れそうでも泣きそうでも傷ついても、元気なふりして働くんだろうな、そう思っている。

仕事の時の自分もそうでないときの自分も、どちらも私。でも、果たしてこの働き方が最善なのかは分からない。最善でないとはっきり自覚したら、その時こそ辞め時なんだと思う。


ずいぶんと長くなってしまったが、これはメモ。自分に宛てた独り言のようなメモ。

でも、これを誰かが拾って私が忘れかけた頃にに届けてくれたらいいなって思う。