【小説】バベルの塔 四話
自分のパラメーター確認をした後、俺は街並みをぶらついていた。
ゲームの中でなら、とか甘いことを思っていた所にいきなり現実を見せられた上、それを否定できない二重コンボはなかなか来るものがあったものの、能力値としては悪くないどころか、いい。
ここは、最初に冒険が始まる場所にして、象徴でもあり、世界を進めるためのダンジョンでもある『バベルの塔』がある街。
始まりと終わりの街、『バベル』。
街は完全なる正方形から構成され、2平方km、数万人が優に住めるだけの広さが設定されている。乗合馬車なども用意されており、解放がどの段階なのかは不明なのだが、ゆくゆくは転移なども可能となるはずだ。
大通りを歩いていると、ほとんど現実とは変わらない感覚に陥る。
痛覚はショック死を防ぐためある程度までに抑えられているものの、その他の感覚に関してはほぼ再現できている。むしろ、嗅覚や触覚などは、脳にダイレクトに伝わっているからなのか、現実以上だとも感じる。
そろそろ、予定していた全てのユーザーが【Babylon】にログインを完了した頃であろうか。
辺りを見渡すと、色鮮やかな髪と瞳が見受けられる。
意外と、自分の容姿をもとに変更したとはいえ、染めるのではなく設定で反映されたからなのか、赤や青、それに金の髪であってもそこまでの違和感が感じられない。
何人か、金髪青目という、どこのサ○ヤ人? という方がいるのもご愛嬌だ。
(実際にファンタジー世界に来るとこんな感じなんだろうか)
そんな事を考えていると、腹の虫がなった。
それで、この世界で敢えて食べるために何も食べていないのを思い出す。
ここでは、たとえ仮想現実の世界の中であろうと腹は減るし、生理的な欲求も感じる。
これは、脳の感覚を再現しているため、その部分だけカットするという方が難しかったからである。
余談だが、良俗的な反対意見も少なくはないものの、このVR技術を風俗店関係の技術にも転用する動きがあるようだ。……何でも性犯罪をなくすためとの主張があるとかないとか。
――――要は美男美女と楽しむための名目が欲しいだけではないかと俺は思っている。ご存知の方も多いかもしれないが、IT業界で一番お金が恒久的に稼げるのは、実は『エロ』関係のものである。生理的な欲求に関わるものは強いのだ。
ちなみに、最大ログイン時間は72時間に設定されている。
これは、健康的な問題ではなく、社会的な対応である。
ただでさえネット廃人は多いのだから、それこそ無制限にしたら、一度ログインしたら出てきそうにないのだ。
……俺を含めて。
そんな中で、開発時一番苦労したのが、味覚の再現と、……トイレや風呂の仕様である。
戦闘の仕様やダンジョンの仕様に関しては、フルダイブのVRで再現するのに苦労はしたが、それまでのVRMMOである程度の既存技術を用いることはできた。
しかし、ゲーム内で生活できるというこの世界では、これまでと異なり、本当の意味で衣食住を提供できなければならない。これには担当メンバーが苦労していたのを思い出す。
トイレにこだわるメンバーがいたため、更に時間をかけてウォシュレットをつけるかでもめていたのは余談である。睡眠時間を削ってまでそんな細部を作り上げていた同僚にはある意味尊敬の念を感じないでもない。
風呂は外観のために桶や温泉のような形になったが、備え付けのトイレには、同僚の主張と努力によりウォシュレットは付いているらしい。
何でも、……いやよそう、際限がない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『アル』の声が街に響く。
「只今、15000人の方々のログインと、それに伴うメディカルチェックが完了致しました。私の織り成す世界にようこそ。私の名は『アル』、あなた方の言葉で言う人工知能です。これより、世界初となるフルダイブVRシステムを採用したMMORPG【Babylon】のチュートリアルを行います」
その全体アナウンスが唐突に始まったのは、ゲーム開始から一時間。俺を含めたプレイヤー達が、始まりにして終わりの街『バベル』に慣れ始めた頃であった。
「初期イベントか何かが始まるのかな?」
「凝ってるわね、『アル』ってあれでしょう? 世界最高峰のAIって言われてる」
「あ、雑誌で俺も見たわ、凄いな、本当に人っぽい」
そんな声があちこちで囁かれる。
腹ごしらえをした後、武器屋が立ち並ぶ通りをぶらついていた俺も、少し不思議に覚えながら足を止めた。
(先輩たち、誰もこんなイベントが在るなんて言ってなかったけどな。そんな処理いつ組み込んだんだろう?)
もしかしたら今回参加する俺のために言わないでいてくれたのかもしれない。
そう思い、次の『アル』の言葉を待つ。
「私の今回与えられている行動原理としましては、できうる限りのプレーヤー様の希望を叶えること。そして、現実世界の皆様の健康を管理することです。
私は、今回皆様に対して楽しんでいただくために、全ネットワーク上にある様々な情報を収集致しました。VRMMOという単語、仮想現実という単語。それによって私が得た知識の中には、各種小説であったり、それに伴う様々な人間のコミュニティの感想や希望なども含まれます」
(………………)
VRMMOを主題にした小説。
『アル』の言葉の中にその単語を聞いた時、俺の脳裏に一抹の懸念がよぎる。
――強いて言うなら、嫌な予感というやつだ。
この場合、生まれてきて以来25年。嫌な予感しか当たらないのは、俺だけなのかどうか教えて欲しい……
俺はゲームだけでなく昔の小説なども好きでVRMMO物はよく読んでいるが、その大きな特徴として、2つのものがある。
ゲームから出られなくなるもの、つまりログアウト不能もの。
そして、これは各設定にはよるが、ゲーム内での『死亡』が現実の『死亡』と同意義である、デスゲーム。
MMOとは何だ? という方のために補足しておこう、そんなもの言われなくとも知っている、という人は、10行ほど読み飛ばしていただけると幸いだ。
元来、各個人で行う通常のRPGと違い、多人数参加型であるMMORPG―正式名称Massively Multiplayer Online Role-Playing Game(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)―は、まず世界ありきのゲームとされている。
このMMOにVRシステム、俗にいう『Virtual Reality System (ヴァーチャル・リアリティ・システム)』 が、完全没入型、つまりは視界や、触覚など、一部の機器を通して世界を見る限定的なものではなく、完全に世界に入り込む様な形で採用されたのが今回の【Babylon】になる。
例えば、ゲームに誰も接続していないという非常に運営側としては悲しい状態であっても、ゲームの世界の時間は流れていく。
つまり、個人を主体としてしまうと、その他のプレイヤーの操作との矛盾を引き起こすため、「セーブされたデータ」からやり直すという概念は存在しなくなるわけだ。
この理由から、死亡すればその状況に応じたデスペナルティが課せられ、決められた場所に復活する仕様が取られていることが多く、この点に関しては、【Babylon】でもそうなっている。
基本的に、一度も『死亡』せずにクリアできるゲームなどまず存在しない。
ログアウト不能なデスゲーム。
そんな小説の世界に、現実逃避という意味で少しでも憧れないといえば嘘になるが、あくまで仮想の話だ。
やっぱり現実の生活も仕事も大事だ。
…………そんな事になったら他のジャンルのゲームできないし集めてる漫画の続きも読めないではないか。……等という理由では決して無い。
(ウインドウ・オープン)
小声で俺はメニューを確認する。
ログアウトだけは、音声認識ではできない、なぜなら、それを日常会話で用いて予期せずログアウトしてしまう場合があるからだ。
「…………ふぅ」
そしてその開いたメニューの中に、『ログアウト』の文字が存在しているのを見て、俺はホッと息をつく。
(そうだよな、さすがにそんな、よくあるテンプレみたいな状態になんてならないよな)
顎に手をやり、うんうん、と頷く俺。
そんな俺の目の前で、それは起こった。
おそらく俺は、その瞬間を見た数少ないユーザーの一人だろう。
『ログアウト』→『 』
――――ん?
――――消えた。
――――あれ、消えましたよ?
――――え、本当に? 消えたよ……うん、しつこいけど今目の前でメニューからその5文字が。
多分この状況で、一番大事なそれが。
「………………」
無言であたりを見渡す、目に見える範囲ではまだ誰も気づいていないようで、談笑しながら『アル』の言葉を聞いている。
再度、閉じたウインドウを確認する。
(ない、ないよな)
ログアウト、と呟いてみる。
「……………」
何も起こらない。
(おい、おいおい)
俺は、背筋になにか冷たいものを感じながら、『アル』の言葉の続きを待った。
最悪の予感を全身で感じながら。
そして、この【Babylon】が俺にとって、そしてすべてのユーザーにとっての楽しい世界初のゲームであったのは、開始1時間7分後、『アル』が全てのアナウンスを終えたその時までであった。
――to be continued
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