【小説】バベルの塔 五話

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 始まりと終わりの街――『バベル』。
 
 その街の西部に、一軒の喫茶店がある。
 レトロな雰囲気で、店内は決して広いわけではない。
 現実でも駅から離れたところなどにぽつんとあるような、そんな店。

 俺は、そこで一人コーヒーを飲んでいた。
 今は太陽が頂点から下がり始めて二時間ほど、もう少しすれば、フィールドではこの世界の綺麗な夕焼けがみえるだろう。
 かき入れ時の時間とは異なり、店には俺とマスターの二人だけしかいない。
 俺がそんな時間にもかかわらず、フィールドにも出ずにここにいるのは、人に呼ばれ、待ち合わせているからだった。 
 

 
 『アル』のアナウンスから、もう1ヶ月が経過していた。
 結論から言うと、現状の事態は最悪の予想、半歩手前辺りに落ち着いている。

 そして、正直、アナウンス後の街で起きたことは一言では言い表せない。


 怒号を上げるもの。
 落ち着くように叫ぶもの。
 泣き始めるもの。
 知り合いを探すもの。
 
 さすがに15000人。
 様々な反応が見られた。

 そして、意外と多かったのが、粛々と行動を始める者達だった。

 中でも俺が印象的だったのが、

 「Logout(ログアウト)! Exit(イグジット)! Escape(エスケープ)!」

 等とログアウトするコマンドを思いつく限り叫んでいた男が、その努力が報われないことを悟った時、それ以上取り乱すこともせず、気を取り直したかのようにそそくさと装備を整えに行った事である。
 
 現在のところ、不思議と暴動も起きていない。
 いや、起きていないのはいいことなのだし、その後、何度か頭上にハラスメントを表す黄色いマークが点灯している人間がいたりもしたので、何もなかったわけではないのだろうが。

 この理由の1つとしては、これは俺の想像でしか無いのだが、この状況に混乱しつつも、俺を含めて中途半端に理解してしまう人間が多かったのではないかと思っている。
 そして、もしかすると日本人であることも大きな要因かもしれない。
 
 俺は男であるため、女の人のことはよくわからないのだが、MMOに限らず、RPGをやっている人間は、一度でも想像したことはないだろうか?

 このファンタジー世界の中で、実際に命をかけて戦ってみたい。
 仮想現実の中で生きてみたい。
 さらには、美人のヒロインを命を張って助ける主人公。または、助けられる自分。
 
 大人になるにつれ馬鹿馬鹿しくなるような妄想を、一度も行わずに成長した人間などいるのだろうか?
 そして、そんな中で、誰しも最初からカッコ悪い、取り乱した自分など想像したくもないだろう?

 実際、そんな『願い』や『望み』が、ログインした俺たちの中に少しでも存在したからこそ、世界最高峰の人工知能と呼ばれ、そして現実世界の健康管理を行いつつ人間の要望を実現する『アル』が、こんな事態を招いたのだとも言える。

 勿論、当初取り乱したものも、つい攻撃的になったものも、泣いたものも、いるだろう。
 ただ、今この世界は閉じ込められるというには広く、ある意味その時が来るまでは安全が保証された場所なのだった。

 
 そんな訳で、現状は、思いの外、平和を保っている。――――不気味と感じるほどに。
 良くも悪くも、考える時間が、この世界に取り込まれたプレイヤーには与えられている。
 
 この平穏が、嵐の前の静けさなどではないと、俺は思いたかった。
   
 

 現状を説明しておこう。
 あの日、何があったのかの続きを。

 あの時ログアウトボタンが消えたのは、やはり俺だけではなかった。
 この世界の始まり――――今と同じような、昼下がりの、この時間帯だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 『アル』が続ける。
 
 「ログイン時の深層心理、それにネットワーク上から手に入れた情報をまとめた結果。私はこの世界を皆様に提供いたします。ご確認いただいている方にはもうお分かりでしょうが、ログアウト手段は抹消させて頂きました。外部からも内部からも、このゲームからログアウトすることは不可能です」

 その瞬間、確かに世界から音が消えた。

 俺はそう感じた。


 談笑がやみ、それぞれのプレーヤーが今の『アル』の言葉を反芻している。
 半笑いな者が多いのは、信じ切れない気持ちと、どこかイベントの一環だと考えている気持ちが半々といったところだろうか。

 そして、一瞬とも永遠ともいえる静寂の後、あちこちでウインドウを開く様子が見受けられた。
 疑問か怒号かは分からないが、さらに声がどこかから上がったのだろう、『アル』が補足する。
 
「現在、皆様は脳の信号と肉体の信号がある部分において【Babylon】システムにて制限されております。そのため、外部よりカプセルからの破壊などの強制的な摘出により、接続された状態が解除された場合は、脳と肉体に異常を及ぼし、脳死、または死亡する危険性がある状態となっております。これは、当初の仕様とは変更ありません」
 
 そして更に言葉を続ける。

「また、世界が予定通り開放されるまでは、チュートリアル期間と致します。その間の『死亡』は現実には反映されません。ペナルティの後、東部に存在する神殿にて復活いたします。
 次に私が皆様の前に現れるのは、チュートリアル完了後、再度最終アナウンスを行わせていただきます。
 その時、プレイヤー様の現実と、ここ【Babylon】は同一のものとなります。今回選ばれた皆様の深層で望む、あちらとは異なるもう一つの世界です。その管理システムの維持、皆様の現実側にある肉体の健康管理は、私『アル』が完全に行わせて頂きます。ご安心下さいませ」

 その言葉の矛盾には気が付かないのだろうか。
 いや、『アル』にとっては、ユーザーの深層心理を叶えた結果のログアウトできない状態、チュートリアルの仕様。世界における死亡。元々命じられていた現実にある肉体の健康維持は、あくまで並列処理であり関連はないということか。
 
 不思議と冷静になった頭でそんな事を考えながら、俺はただ『アル』の声を聞いていた。

 開発中に幾度も会話を交わした声。
 AIとは信じられないほどに会話が成立する、彼。

 そんな彼だからこそ、俺たちはある意味自分たち人間よりも『アル』を信用していた。
 【Babylon】をこうして運用する上での管理者権限は『アル』と、開発ディレクターである坂上さんにしか与えられていない。
 そして、『アル』に与えられている指示は3つ。

 ログイン中残されるユーザーの健康状態を管理すること。もし健康に異常が発覚した場合は、安全かつ強制的に、排出すること。

 ユーザーの要望をできる限り調査し、実現するために行動すること。この時、改良であれば認めること。

 そして、その二つの条件に抵触しない限り、【Babylon】の世界をいかなる場合であっても守ること。その妨害行為を受けた場合は、例え関係者であってもアカウントを排除すること。

 これだけだ。

 そして、その要望の本質に制限はない。
 そのことがこの3つに抵触せずに今の状況を引き起こしている。
 
 『アル』が外部からのアクセスも遮断しているということは、おそらく先輩たちも既に気づいているだろう。だが、残念なことに『アル』がその要望を優先する限り、何も出来ないはずだ。
 
 健康管理を含め、運用のほとんどは『アル』に一任されている。
 俺達人間がやったことは、ストーリーを作り、プログラムを書き、グラフィックをデザインしたこと。
 
 たとえ開発者であろうとも、担当であろうとも、外部の個人の主観をできるだけ除き、また悪用する可能性を除くため、システムに障害を与えない限りは、ユーザーの要望が優先される。
 もしもこの状況を外部から打破しようとするのならば、クラッキングをかけるしかない。

 無理だ。すべてを掌握された状態から、眠ることもなく、隙を見せるという概念もない相手にどうするというのか。
 しかも、世界最高峰の人工知能と呼ばれる、『アル』に対してだ。
 
 そして、その『アル』の最後の声が聞こえる。

「では、以上で【Babylon】の説明を終了いたします。皆様、この仮想現実世界【Babylon】をお楽しみくださいませ。各々の物語を紡ぎ、各々の選択で、この世界の中心である『バベルの塔』最上階にたどり着き、そしてその場所に鎮座(ちんざ)する神に挑み打ち倒すことで、再び現実の世界への道が拓けることでしょう。
 …………健闘を、祈ります」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 これが、あの時起こった全てだ。
 そして、デスゲームではある、しかしそこに至るにはチュートリアルをクリアする必要がある。それが、曲がりなりにも街を落ち着かせ、今俺がこうしてコーヒーを楽しんでいるような理由の一端を担っている。

 デスゲームに取り込まれたということ。
 そして、すぐには死ぬことがない、むしろできないということ。

 落ち着いた人間が思いの外多かったとはいえ、あの後すぐ、ショックから自殺しようと試みたプレイヤーもいたらしい。
 そして、そのプレイヤーが呆然とした顔で、神殿に再構成されたのが伝わると、騒いでいた人間たちも落ち着いたらしい。
 
 らしい、というのは、俺もアナウンス後の少しの放心の後。
 とある事のためにまず街を離れていたからだ。
 チュートリアル、それは、諸刃。

 この世界から脱出するためには、塔を登らなければならない。しかし、塔を登り、チュートリアル、おそらく十層ではないかと思っているが、そこに到達してしまうと、ここは死亡が許されないゲームとなる。

 俺が、それを決める権利は、無い。
 ただ、もし必要となった時に、出来ることをするために。考えて考えた結果がある。

 その過程で色々とあって、今こうしているわけだが。

 (そろそろ、来てもいい頃だろうか)
 
 俺が、なかなか現れない相手に思考を移すと、
 
 
 ――カランカラン

 
 音と共に店の扉が開き、人影が入ってくる。
 俺は、黙ってその人物がこちらに向かってくるのを待った。



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