【探究学習編③】探究学習を導入する社会的背景とは?(後編)
こんにちは。一般社団法人Foraの藤村です。
今回は第3回として、前回に引き続き、なぜ探究学習が大切なのかを考えていきたいと思います。
今回も考えるにあたり、学習指導要領の改訂の背景を提言した文部科学省の中央教育審議会の答申*1を下敷きにし、そこにForaなりの実践での考察を加えることで、考えていきたいと思います。(分量が多いので前編後編に分けて掲載致します)
(前編)
1.なぜ、5教科7科目だけでなく、総合的な学びがいるのか
2.なぜ、いまの教育を変える必要があるのか
(後編)
3.なぜ、高校生の時期に探究が大切なのか
4.なぜ、探究を通してよりよい学校づくりに繋がるのか
▼前編の記事はこちら
なぜ、高校生の時期に探究が大切なのか
今回の学習指導要領の改訂では、小中学生は「総合的な学習の時間」のままであるのに対して、高校生からは「総合的な探究の時間」に名称変更します。内容的に言えば、総合的な探究の時間は、総合的な学習の時間を発展させる形で置かれています。では、なぜ高校生の時期に探究なのかを考えてみたいと思います。
前半でも解説をしていたように、探究学習では、課題に対してそれに答えようとする生徒像が描かれています。これは高校生はもちろんですが、小中学校とも重なる部分があります。しかし、高校生の総合的な探究の時間では、与えられた課題を解くだけでなく、自分自身で課題を設定し、問題発見し、それを自分自身で解く姿を目指しており、ここに特徴があります。言い換えれば、課題解決能力だけではなく、課題設定能力、問題発見が強調されるように変わりました。つまり、自分自身で解きたい問いを持ち、それを自分自身で解決していく姿が目指されているということです。
その意義について、答申ではこのように記述しています。
総合的な学習の時間において、探究のプロセスの中で主体的に学んでいく上では、課題設定と振り返りが重要である。課題の設定に当たっては、自分事として課題を設定し、主体的な学びを進めていくようにするため、実社会や実生活の問題を取り上げることや、学習活動の見通しを明らかにし、ゴールとそこに至るまでの道筋を描きやすくなるような学習活動の設定を行うことが必要である
つまり、探究学習においては、生徒の主体性を大切にしていることです。権威主義的に物事を決めたり、周りの意見や周りに流されるのではなく、自分自身で決めること(自己決定)が大切との認識です。確かに、自分自身の人生は他の誰かに代わってもらうことができないないです。だからこそ、自己決定を大切にして、主体性を大切にしているのだと思います。
その結果として、探究学習とキャリア教育は親和性が高く、重なり合うようになります。答申でも、総合的な学習の時間の特質について、以下のように記述しています。
学ぶことの意味や意義を考えたり、学ぶことを通じて達成感や自身を持ち、自分のよさや可能性に気付いたり、自分の人生や将来について考え学んだことを現在及び自己の将来につなげたりして考えるという、内省的(Reflective)な考え方をすること。特に高等学校においては自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら「見方・考え方」を組み合わせて統合させ、働かせること。237p
まさに、探究学習を通して、自分自身のキャリア形成の方向性も合わせて考えていくこと。それが総合的なものの見方であり、探究学習において外すことができない部分だと思います。キーワード化すれば、探究学習×キャリア教育、の意義がここにあるのだと思っています。
探究がよりよい学校づくりに繋がる
総合的な探究の時間は、学校全体にとってどんな意味があるのでしょうか。教員の負担が増えたり、受験にとって邪魔な存在なのでしょうか。それらの主張もあるのですが、学校の特色を出し、学校全体が教育目標の達成に向けて推進していくことの役割として、総合的な探究の時間は活用されることが期待されています。総合的な探究がなぜよりよい学校づくりに繋がるのかを考えます。
もちろん、探究学習の実施は、新しい取り組みになるため、確かに現場教員にとって負担が増す側面は否定はできません。しかし、単にコストが掛かるだけではなく、それ以上のパフォーマンスを上げる可能性について考えたいと思います。
答申では以下のように記載があります。
さらに、総合的な学習の時間は、目標や内容を各学校が定めるという点において、各学校の教育目標に直接的につながる。特に、高等学校では総合的な学習の時間がその学校のミッションを体現するものとなるべきである。237p
つまり、これまでも学校の独自性やその学校なりの教育目標を立て、カリキュラム編成を行うカリキュラムマネジメントについて説明がされてきています。それの象徴的な事例になるのが総合的な探究の時間になっています。まさに学校の特色や目指したい方向を体現する、形にするのが総合的な探究の時間になるとの位置づけです。
その上で、答申ではその意義を次のような側面からも説明しています。
各学校において、全ての教職員が協力して力を発揮するため、校長のビジョンとリーダーシップの下、各学校が育成しようとする子供の姿から必要な資質・能力を明らかにし、各教科等をつないでカリキュラムデザインができるミドルリーダー的な教員が育つことが期待される。242
言い換えれば、学校経営、教育課程経営の議論の中で、学校長や管理職が目指す方向を決め、それに向かって学校が一体となって進めていくことで、学校全体の教育課程経営をより充実したものとして目指すことが期待されています。それには、答申にも書かれているように、現場教員の協力等も必要不可欠で、大きな目標に向かう過程で、学校全体の教育が高まることを期待されているのだと思います。
つまり、総合的な探究の時間は、特色ある学校づくりのための有力な「時間」として位置づけらており、この時間を有効活用できるか否かが、学校を左右しうる可能性があるということだと思います。
さて、ここまで見てきました。
上記書かせていただいたものは、一部を抜粋しながら、現時点でのものを書かせていただきました。日々アップデートしていくものなので、適宜、改定していきつつ、最新のものは問い合わせ頂ければお伝えするよう致します。
*1中央教育審議会 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1380731.htm
次回は、総合的な探究の時間を通して、どんな生徒にどうなってほしいのか、を考えます。教育において重要な教育目標について考えてきたいと思います。
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