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‘Black Lives Matter’ を訳すには

※全文公開です。おひねりをいただければ幸いです。
日々精進していきます。

’Black lives matter’の訳は「黒人の命も大事」?


個人的にも面識のある米田佐代子先生のブログを読んでいたら、
’Black lives matter’の訳を「黒人の命も大事」と日本で訳されていることに
違和感を覚えた、ということを書かれていた。

たしかに、「も」というのは、
何やら嘘くさい平和主義的なニュアンスが込められているようで、
そんなスローガンではアメリカ全土を揺るがせる運動には
繋がりそうもない。


では、「黒人の命が大事」あるいは「黒人の命は大事」と訳せばよいのか、
というと、どうもそれもしっくりこない。 


何が腑に落ちないのかとあれこれ考えていたら、
これは ’matter’ という動詞の訳がおかしいのだ、と気がついた。


matterをどう訳せば良いのか?


そもそも、日本語には、
英語の ’matter’ をそのまま変換できる動詞が存在しない。


昔、イギリスに住んでいた頃、車のCMで、助手席の女性が運転席の男性をチラリと横目で見て、 ’size matters’ と微笑んで言う、というものがあった。

「え、車の話?男性の話?」と、
際どいところを上品にまとめていたので印象に残っているが、
あれなどは「大きさも大事よね」と訳せば、
そのニュアンスは伝わるだろう。



ところが、’Black lives matter’ は、そうはいかない。


では、どうしたら良いのか。

簡単である。


反対の意味である、’Black lives do not matter’ を訳してみれば良い。


「黒人の命なんて、どうでもいい」


英語では否定形なのに、日本語にすると肯定形だ。

こういうねじれは、英語と日本語では珍しくない。

原文が否定形だからといって、
訳文も否定形にすることばかり考えていたら、
正確な翻訳はできないこともある。


この訳を反対の意味にすれば、
’Black lives matter’ の ‘matter’ が正しく訳せるのではないだろうか。
つまり



「黒人の命は、どうでもいいものなんかじゃない」



根拠のない偏見に21世紀になってもあぐらをかき、
あろうことか警察官が公衆の面前で一人の黒人をリンチ同然に殺害した、
ということへの怒り、
社会的正義を求める良心の叫びが ‘Black lives matter’ なのである。



日本に住む日本人にはなかなか実感できないことの一つに、
「人種差別」がある。


というのも、日本に住んでいる人間は日本人が圧倒的多数なので、
差別「する」側にはなっても、
差別「される」側にはなかなかならないからだ。
差別なんてものは、されている方にしか見えないことが多い。


イギリスに住んで、
生まれて初めて差別「される」側になった私が愕然とした出来事があった。


出産直後、難産のため、母子ともに黄疸をおこしかけていたのだが、
巡回にきた医者が
「普段より顔が黄色いように見えますか?」と言いかけて、
私をみつめたまま絶句した。

そして、
慌てて「普段と顔色が違うと思いますか?」と訊き直したのである。


私はたしかに黄色人種とよばれる人種に属しているが、黄色くはない。
もう少しで笑い出しそうになったが、その医者の顔を見返して、
今度は私が言葉をのんだ。医者は黒人だったのである。


差別される側の人間であっても、これほど気を遣わなければならないのか。


黄疸は生理的な現象であり、人間の肌や白目は本当に黄色くなる。
彼は医者であり、私の肌が「黄色い」と言ったとしても、
それは医学的所見であるし、正当なものである。
それでもなお、彼は大慌てで言い直さなければならない、と感じたのだ。


人種差別というものは、
ここまでセンシティブな領域に属するものであり、
それは部外者にはなかなか理解できないだろう。

しかし、そんな差別は、
まるで養分のようにあらゆる社会の土壌に染み込んでいる。

それを取り除くためには、
どれほど心を砕き、手をかけ、
時間をかけて努力していかなければならないことか。

「黒人の命も大事」なんて空々しい訳は、やはりやめてほしいと思う。

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