![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138947982/rectangle_large_type_2_20ea4178e5d015b78a950f3c2cae4f2a.png?width=1200)
“#子持ち様”と世間で言われているけれど…
ネットニュースに気になる記事があった。
SNSの書き込みに賛否
「子持ち様が『お子が高熱』とか言ってまた急に仕事休んでる。部署全員の仕事が今日1・3倍ぐらいになった」。2023年11月、X(ツイッター)のユーザーがそんな投稿をしたところ、表示回数が3000万回以上に上り、賛否両論が巻き起こった。
また、同4月にスープ専門店「スープストックトーキョー」が全店で離乳食を無料で提供すると発表した際には、「提案者が子持ち様なんだろうな。もう行かない」「ただでさえ狭くてカウンターしかない店舗も多いのに、ベビーカーで突撃されたらたまらんわ。さよならスープストックトーキョー…」などの反応が寄せられた。
0歳児と2歳児を育てている私は、正に「子持ち様」である。
先日「スープストックトーキョー」で食事をした際【離乳食無料】の文字を見て、
「こんなサービスあるんだ!有り難いねー!」
と夫と話していたところだった。
まさか、世間でこんな批判が巻き起こっているなんて。
日中はイヤイヤ期の娘と公園で走り回り
夜中は何度も息子の授乳で起きる日々。
「〇〇時になったら終わり!」ということもなく
自分のタイミングで休んで寝ることすらできない。
買い物に行くにも、
嫌がる娘を追いかけながら服を着せ
出かけようと思ったら
今度は息子が盛大にう◯ちをして全身お着替え。
やっとの思いで出かけても、世間から邪魔者扱いされるなんて…。
心がずーんと落ち込んだ。
そう思いながら記事を読んでいたとき、
娘が1歳の頃に出会った老夫婦のことを思いだした。
その日は、ある治療のため病院に行く必要があった。
普段は車で通っているのだが、その日は使用する薬の関係で運転を禁止されていた。
車で20分の病院も電車で行くと1時間。
娘の預け先も見つからず、ベビーカーに乗せて連れて行くことに。
朝早くに出発して、病院までは何とかスムーズに着いた。
しかし、治療が長くかかったため、病院を出るころにはお昼になっていた。
1歳の娘は眠たいのとお腹がすいたのでグズグズ。
昼食を食べようと、調べていたお店に向かったが、そのお店はビルの二階にありエレベーターがなかったため、断念。
駅の近くのお店を探そうと歩き回ったが、お昼時で大学も近くにあるため、どこも学生でいっぱい。
空いているお店もあったが、高級感がありベビーカーで1歳児を連れて入るのははばかられた。
とりあえず娘に何か食べさせねばと、やっとの思いで見つけた小さな公園で、持ってきていた離乳食を娘に食べさせた。
その時点で時刻は14時。
身体は疲労困憊だった。
「早く家に帰りたい…。」と自分のご飯は諦め、泣きそうになりながら駅の改札をくぐった。
ホームに向かおうとしたが、エレベーターが見つからない。
駅員さんに聞くと、エレベーターは別の改札から入らないといけないらしい。
一回出してもらえるか訪ねると
その駅員さんはあからさまにため息をつき、めんどくさそうにもう一つの改札まで案内してくれた。
忙しい時間帯だったのかもしれないが、この駅員さんの態度が私に鋭く突き刺さった。
必死に涙を堪えながら電車に乗り込むと、今度は娘が泣き出した。
抱っこしてあやすも、泣き止まずどんどん泣き声が大きくなるばかり。
静まり返った車内に響く娘の泣き声。
「一刻も早く駅に着きますように!」と必死であやしていると、
近くに座っていた老夫婦の1人がこちらに近づいてきた。
「うるさいから文句を言われるんだろうな」と身構えていると
その男性(70代くらい)が
「大変だね。お腹がすいているのかな?お母さん、周りのことは気にしなくて良いからね。子どもは泣くのが仕事だから。」
と優しく声をかけてくれた。
その優しさに張り詰めていた糸が切れ、私の涙腺は崩壊した。
男性は席に戻ってからも、「いないいないばあ」をしたりして娘をあやしてくれた。
電車を降りるとき、その老夫婦が再び近くにやってきて
「お母さん、大変だと思うけど無理せずにね。応援してるよ。」と声をかけてくれた。
疲れ切った身体と心がふっと軽くなった。
散々な一日だったけど、こうやって見ず知らずの私に声をかけ、励ましてくれる人がいる。
あたたか気持ちに包まれ家路に着いた。
人は当事者にならないとその苦労はなかなか分からない。
私も子育てをするまで、ベビーカーでの移動がこんなに大変だとは思いもしなかった。
「#子持ち様」と投稿している人も、子育ての本当の大変さは分からないだろうし
毎日が忙しく、想像する心の余裕もないのかもしれない。
仕事で疲れている時に、子どもの泣き声についイラッとしてしまったのかもしれない。
そうやって想像を巡らせたとしても、
私はこれからもベビーカーや子どもの泣き声で世間に迷惑をかけてしまうだろう。
だからこそ、子育てという立場にあぐらをかくのではなく、謙虚な姿勢は忘れたくない。
そして私も将来、この老夫婦のように
同じように子育てに奮闘している人にそっと寄り添い、励ませる人でありたい。
そのためにも、自分の事ばかりに汲々とせず、
相手の立場に立てる心のゆとりをもっておきたい。
そんなことを考えさせてくれる出来事だった。
最後まで読んで下さりありがとうございました♪
他にも記事を書いているのでよければ覗いてみて下さい。
どなたかの参考になれば幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?