![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/63703869/rectangle_large_type_2_353e49da597889038a77537f96d38705.png?width=1200)
主体性は自由か?
どうも、主任やまもです。
幼稚園教諭をしたり、大学で講義をしたり、主任やまもの園内研修室を運営したりしています。
先日stand.fmでお話した後に思いついたキーワードが気に入ったので、文章でもその内容を残しておこうと思います。
まだ聴いていない方は↓↓で聴けますし、聴かなくてもこの記事を読んでいただけたらいいと思います。ただ、同じ着地点に降り立つとは限りませんので聴いてみて、読んでみて、「全然違うこと言ってるぞ、この人…」と驚いてもらってもかまいません。
主体性は「自由にさせる」ではない
これは当たり前としてみなさんは捉えていると思いますが、スタートとして説明をしておきます。
”主体性を大切にした保育”は、”子どもがなんでも自由にできる保育”ではないですよね。自由な発想で遊べることは大切ですが、好き勝手かと言われるとそうではないと思います。
環境(コーナー、ゾーン)があり、その場所で主体性を発揮して遊ぶ。そして、時にその主体性は既存の環境を飛び出て、新たな環境をつくる(園外保育など)こともある。
こんな捉えでどうでしょう?
そうなると、バランスの問題が出てきます。
環境の中で制約はどのくらいあるのか。
例えば、「この時間はレゴブロックだけで遊んでください」という環境があったとします。
これは制約が強いですよね。
ままごとをしたい子もいるかもしれない。製作をしたいかもしれない。
それを許さない(許せない?)事情があるのでしょう。
では反対に「なんでもいくらでも出して好きにやっちゃって」という環境があったとします。
これはこれで不安です。なんでもいい状態を見守れる配置や危険察知ができれば良いですが…どうでしょう。
このバランスって、それぞれの園で考え方があり、さらにそれぞれの保育者で考え方があります。どのバランスが正しいとか間違っているとかはないですし、誤解がないように言うと「危険だ」というのはあると思います。
そして「なんでも好きにやっちゃって」の問題がもう一つあります。
それは、 自由すぎて主体性を発揮できない です。
自由な環境に強い子どもは一定数いて、遊びをつくるのが上手です。
支援児の中にそういった能力が高い子がいることがよくあります。
一方で「何をしたらいいかわからない」と困る子どもも一定数います。
その子たちに「子どもの主体性重視だから、頑張って!」というのは酷です。
倉橋惣三は幼稚園真諦の中で、自己充実できる子どもとそうでない子どもがいると述べています。また、自己充実できる子どもの方が少ないとも述べています。
そのために”誘導”がある、と。 つまり環境設定ですね。
環境設定があると、そこから遊びを発展させられる子どもが出てきます。
そんな子どもが多いのであれば、やはり環境設定は重要ですよね。
ここで、私の思いついたワードがあります。
「ステージを用意するから、自由に踊ってね」です。
だだっ広い場所を用意しても何をしていいか分からない子どもも、設定された環境というステージを用意すると「あ、踊っていいんだ」と分かります。踊る選択肢に気づく、という言葉が合っている…でしょうか。
何をしていいか分からないところから踊る選択肢に気づくと、そこから子どもの主体性が発揮されます。「あの踊りをしよう」「こんな振り付け可愛くない?」といったように。
先ほどのバランスの話と繋げてみます。
ステージがあって、振り付けもあって、決まった曲をみんなでタイミングを合わせて踊りましょう。
これは制約が強い状態です。
一方、ステージもなくだだっ広いのが自由すぎて困る状態です。
そうなると、ステージという環境だけ用意し、あとは自由に使ってね。というのがバランスが良さそうですではないですか?
実はここまでが前提です。
では本題に入ります。
保育者の主体性
子どもの環境設定の話はいいだけ議論や研究がされていて、実践もたくさんあります。
私は保育者の主体性でも同じことが言えるよね。が言いたいです。
保育者も制約が多いともちろん苦しくなるし、反対に自由すぎても困る人がいます。
「主体性だから」と保育者任せにしたり、結局それに口を出したりして失敗している(不満を持たれている)先輩・管理職はいませんか?
先輩・管理職は任せっきりにするバランスではなく、後から口出しして結局制約を強めるようなバランスではダメです。
そうではなく、先にステージを用意して、その上で保育者が自由に踊れるようにします。
必要な制約はつくり、自由にできるところもつくる。
このバランスを保育者に提供できるようにするのが上に立たせてもらう人の仕事だと私は考えます。
それが事務のシステム化なのかもしれないですし、仕事上のルールかもしれないです。保育を考える土台かもしれないし、新しいことに挑戦できる空気感かもしれない。
それら(ステージ)を用意した上で、保育者の主体性を謳っていったら良いのではないかと思います。
まとめ
最終的には保育者の主体性の話になりました。
stand.fmとの着地点のズレはどうでしょう?
最近言われ始めた保育者の主体性について、感じたことをまとめました。
現場を自由にさせろ!だけが主体性ではなく、
主体性だから自分で全部考えろ!が主体性ではありません。
みなさんは”保育者の主体性”をどう考えますか?
今日は以上です。ではでは。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
【平日更新】声のブログ(stand.FM)はこちらから
【すべての活動をお知らせ】主任やまものTwitterはこちらから
【NEW】主任やまもの園内研修室LINEの登録はこちらから
――――――――――――――――――――――――――――――――――
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?