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Tくん と やまもの一日②

どうも、主任やまもです。

幼稚園教諭をしたり、大学で講義をしたり、主任やまもの園内研修室を運営したりしています。


昨日の記事が長くなりすぎて、途中で終わってしまいました。

今日は事例の考察です。

ちなみに今日の記事(事例)はこちらです。


Tくんの心を読み解いていきましょう。


Tくんの姿と読み取り

昨日の記事を読んでいただいた前提で進めます。

Tくんの姿、どうでしょうか。

こんなことされたら困る、と思いますか。

思いますよね。私も担任してたら困ります。


ですが、”困る”という読み取りでは次に進めないですよね。

やはり「なんで?」を考える必要があります。

「なんで逆のことを言ってごねるのか」

この答えを探る方法が、昨日は外にいさせるというものでした。


担任がいなくなり、泣いて追いかけるようであれば集団の意識があります。自分はクラスの一員だという気持ちです。

Tくんは、そうはなりませんでした。外で遊んでいましたね。

その姿から”集団やクラスの意識は他の子より強くないのではないかな”という予想をしました。



次に、年長組が保育室に戻りTくんと私と二人になった時と玄関での姿を振り返ります。

私が距離を保っている時、Tくんはおもちゃを散らかしたり靴をバンバン鳴らしたりしていました。

これは注目欲求です。「こっち見て」ですね。大人に対して見てほしい欲があるようです。

外で自由に遊べる時間もおもちゃもあるのに、Tくんのとった行動はおもちゃを散らかす、でした。しかも大人に見えるところにまでおもちゃを持ってきて散らかす。

その様子から”外で遊びたい”という気持ちよりも”大人に見てほしい。かまってほしい”という気持ちの方が強いのかなと考えました。


もう一場面を振り返ります。

玄関で外靴を脱いだ場面です。

靴をバンバン鳴らすことに反応がなく、おそるおそる外靴を自分で脱いで靴箱に入れました。

ここで分かることは、自分のすべきことは分かっていて、それでもしない理由がある。もしくは動かないことで何か良いことがいつも起きている。ということです。


例えば、根負けした大人が靴を脱がせてくれる。

そして動かないことで担任が自分のもとに来てくれる。離れずにいてくれる。声をかけ続けてくれる。つまり注目してくれる、です。


支度せずに止まっていると先生が来てくれる。

これはTくんにとって成功ですよね。

先生にこっちに来てほしい。靴を脱がないで止まっていたら先生が来てくれる。さらには靴を脱がしてくれる。

Tくんにとって最高の結果です。


この部分、改善の余地があると思います。


事例では、そばにいながらも声をかけずに目を合わせずに待っていました。つまり、Tくんのいつもの算段である(と思われる)

”靴を脱がずに止まっていたら大人が来て注目してくれる”

が成功しなかったのです。

その代わり、靴を脱いで靴箱に入れた時に「おかえり」と目を合わせて声をかけました。注目してもらえました。


これが正しい注目の浴び方です。

正しくない注目の浴び方(動かない、散らかす)では注目はされず、正しい注目の浴び方(自分の力で何かをする)で注目をされる。

ここが活路かと思います。


これからどうするか

上の考察のポイントをまとめます。

集団やクラスの意識は他の子より強くないのではないかな。

”外で遊びたい”という気持ちよりも”大人に見てほしい。かまってほしい”という気持ちの方が強いのかな。

自分のすべきことは分かっていて、それでもしない理由がある。もしくは動かないことで何か良いことがいつも起きている。

先生にこっちに来てほしい。靴を脱がないで止まっていたら先生が来てくれる。さらには靴を脱がしてくれる。

正しくない注目の浴び方(動かない、散らかす)では注目はされず、正しい注目の浴び方(自分の力で何かをする)で注目をされるようになってほしい。


いかがでしょう。何か見えてきますか?


私の考えとしては、

正しい注目を浴びれるように保育者が気をつける ですね。

注目されようとしてゴネたり、反発したり、動きを止めたりしていると感じた時の保育者の反応に気をつけよう。ということです。

伝わりますか?

Tくんが上に書いた”正しくない注目の浴び方”をしようとした時に、それに合わせて注目しないようにしよう、ということです。

無視する、というわけではありません。反応を薄くする。Tくんが狙っているような反応をしない。

置いていくとか見捨てるではないです。ここは強く否定します。

見守りながら反応は薄く、その注目の浴び方はイマイチだよと反応で伝えるのです。


一方で、”正しい注目の浴び方”への反応にも気をつけなくてはいけません。

正しい行動で注目してもらえなかったら、何がいいのかTくんが分かりませんからね。

要は「正しい注目と正しくない注目の反応の差を大きくする」です。

これが答えです。



まとめとそもそも

答えは出ましたが、集団生活の中で実現できないことやできない日もあります。

そこで私のような暇人がいるのです。

担任が「あ、これは今日はダメだ」と思った時に私にバトンを渡してくれる。私がTくんに付き合いながらも対応する。

今の状態ではこれがベストでしょう。

いずれクラスの一員の意識が出てくると、先に行ってしまった集団についていく日がくるだろうと思っています。

それまでは気ままに待つのが私の保育観です。



そして。まとめとしてもう一歩考えてほしいのですが、

まだ外にいたいから外にいる。これって主体性じゃないの?


どうですか?けっこう深い質問だと思います。

子どもがしたいようにできないのは、園のシステムが主体性を支えられていない証拠なのかもしれません。

まだ外で遊びたいTくんに「いってらっしゃい」と送り出せる保育時間と見守り体制ができているべきなのかもしれません。

”自由遊びで保育室でも園庭でも遊べる園”や”一斉活動がほぼない自由保育の園”では、Tくんの行動は困るのでしょうか。



年長組の先生がTくんにかけた言葉「うちのクラスでご飯食べる?」

これが気軽にできる園が主体性を大切にしている園な気もします。


正解はありません。


どこまでの自由さ、主体さを叶えてあげる園になるか。

保育者、園長、主任でああでもない、こうでもないと対話をして考えていきたいです。



昨日より長い記事になりましたが、すらすら書けました。

読んでいただき、ありがとうございます。

みなさんの意見が聞きたいです。


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