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橋本、三年間のニートを経てようやく大学デビューするらしい

みなさんこんにちは、ペルージャ大学一年の橋本龍来です。

この大学名+名前のシンプルな自己紹介をできる日がついに僕にもやってきました。大歓喜。

三年間、あー22歳なんですけど大学は行っていなくて、これからで~だから四年生の代だけど25卒で~みたいな意味の分からないただ長い自己紹介をはもう終わりです。

はい、茶番はこんなところにしておいて、先日無事ペルージャ大学に合格し大学生になりました!(まあ、合格することは簡単なんですけどこの辺は後日また詳しく書きます笑)

だいぶ変わった経緯での大学デビューだったのでこの三年間結局どんな感じで大学生になったの?っていう所をまとめてみました!

僕の事をより知ってもらえるキッカケの一つになればと思います!

1.そもそも留学に至った経緯

よく、なんでイタリアに行こうと思ったんですか?と聞かれるのでまずは留学を志した経緯から書いていきます。。

僕の場合、イタリアに行こうと思った理由は下記の二つがあります

①そもそも海外に行こうと思った理由
②その中でイタリアにした理由

海外に行こう!⇒イタリアにしよう!という流れです。
つまり、最初からイタリアに行こうと思っていたわけではないんですよね。

まず一つ目の理由からです。
僕は小学校5年生から中学校一年生までの三年間中国の上海に住んでいました。
日本人学校に通っていましたし、上海は日本人が多いこともあり、中国人の方と接する機会は多くはありませんでした。

しかし、日本人学校で仲良くしていた友達たちは、いわゆる「帰国子女」といった人たちで、性格的にも日本人っぽくは無い子が多かったです。
僕はその中でも特にその色が強い子たちと仲良くしていました。

その中で僕自身もそういうタイプでしたし、その環境にもの凄く居心地良く感じていたので、「おそらく自分は将来日本で生活するよりも海外で生活する方が合っている」と感じました。

これがキッカケで僕は将来海外に住もう!と決心しました。

そして二つ目、なぜイタリアになったのか。

僕はこの決断をした小学五年生のタイミングで、サッカーをメインで始めました(それまでは野球少年でした笑)。

この時から「サッカーを生涯続け、世界一になる」という夢を持ち始めたので、僕の思う世界一の大会が欧州にあることから、海外に行くなら欧州だろうと決めました。

その後欧州の中でどこの国にするのか?に関しては、
「自分がサッカーを学びながらプレーヤーとしても成長する上で最も適切な国」
という判断基準で、当時持ち合わせていたサッカーの知識・情報を元にイタリアという決断を下しました。

この二つ目の決断を下したのは中学3年生の冬でした。

海外に行くと決めてから4年を経て正式にイタリアに行く決心をし、その後すぐに大学からイタリアへ行くという決心をしました。

ちなみに、イタリアへの「留学ルート」に関しては日本の大学に進学し、交換留学等の当時様々な意見をもらいましたが、僕自身の重要ポイントが「海外に住む(できる限り長くいる)」という事だったので、現地の大学に進学する方が長く滞在できますし、就職にも良いだろうという事で現地大学への進学というルートを選びました。

2.イタリア留学第一陣~イタリアンニート編~

そんなわけで、2019年の4月に高校を卒業し、その年の9月末にイタリアへ渡りました。

ちなみにこの当時の僕の学生生活の計画を見てみましょう。

  • 1年間語学学校に通う

  • 翌年に大学入学(2020年9月入学)

  • 2023年に卒業し、大学院へ

ざっとこんな感じでございますが、はい。無理でした。笑

イタリアに渡り僕は一年間はしっかり語学を学ぼうという事で語学学校に通いながら、放課後も勉強をしていました。
この時は今の様に外部活動も多くはなかったので一日にやることといえば語学勉強とトレーニングくらいでした。

僕の行ったペルージャという町は留学生も多く、日本からの交換留学生もそこそこいたため、彼らともよく遊びました。

彼らは一年で帰ってしまうという条件があるため週末は頻繁に旅行に出かけていました。

そんな中、僕は当時の予定では4~5年はイタリアにいる予定でしたので、「まあ、焦らず別に今旅行しなくても良いか」と非常に冷めており、ず~っとお家か図書館で勉強をしておりました。

しかし、そんな中ご存じの通り、コロナという物が舞い降り、僕も急遽日本へ帰国、そこからなんとほぼ三年日本にいることになりました。

はい。そうなんです。後にニート呼ばわりされる僕ですが、すでにもうこの時からそれは始まっていたのです。

イタリアで四か月家に引きこもりひたすら勉強。気づけば強制帰国で日本へ、イタリアで旅行した都市はフィレンツェのみ。ペルージャの観光スポットさえ訪れていない。

そうです。イタリアでの最初の四か月半はただのイタリアの地で送るニート生活でした。

こうして僕のイタリア留学第一陣、四か月半のイタリアンニート体験留学は幕を閉じました。

※ちなみに
当時僕は帰国するつもりはなかったのですが、たまたま家に遊びに来ていた日本人の友達が「俺日本に帰るわ」と突然親との電話をきっかけに言い始め、「あ、なら俺も一緒に帰るわ」とのことで急遽帰国が決まりました。
翌日の朝に友人から飛行機が取れたと連絡が来たのですが、その飛行機が翌日の昼過ぎの便だったため、その日の夜に空港付近に前泊しなければなりませんでした。
そのため、朝起きて突然片づけをし、家を引き払い、大家さんに「オレ、ニホンカエル、マタネ、アリガトウ」と片言のイタリア語で挨拶をし、翌日には飛行機の中におり、二日後にはもう日本にいました。

人間ってこんな簡単にイタリアと日本移動できるんだ~と感じ、一気に欧州とアジアの距離感が僕の中で縮まった瞬間でした。


3.三年間のニート生活~体育会系ニート爆誕~

そんなかんやで日本に帰国し、毎年「九月にイタリア行きます」を三回繰り返すことになるとは当時は思っていませんでした。

実はこの期間について話すと、「それは大変でしたね~」だったり「コロナでめっちゃ影響を受けた人」といった形でマイナスに認識されるのですが、僕にとってこの三年間はとてつもなく大きいものであり、むしろ不可欠だったと言っても過言ではないくらい重要な時期でした。

その理由は複数あります。

まず一つ目は語学
大学で学ぶわけですが、当然言語はイタリア語です。当時の僕はイタリア語が全然できなかったので正直大学に入っても最初の一年は全く意味がないだろうと踏んでいました。(戦略的留年も考えていました)

それが3年ずれ込んだことで、語学を勉強する時間が大幅に確保できました。
実際日本でイタリア語を勉強する難しさに最後まで対応しきれず想定よりは全く上達しませんでしたが、それでも当時と比べると大分良い状態で入学できるようになりました。

二つ目は活動ですね。これが一番でしょう。

僕が今取り組んでいるような活動は日本に帰国後に本格化しました。
特に、とある転機により帰国後すぐにサッカー以外の分野にも取り組み始めるようになり、それもあって今のように多種多様な分野の方々と繋がるようになりました(この辺に関してはここでは書きませんがどこかで書ければと思います!)。

つまり今の僕の活動形態自体は、この期間に生まれ、形になったものです。
そういう意味でこの期間が無ければ、今の自分の半分以下くらいの市場価値の人間だった可能性が高いですし、全く違う志向性、感性だったと思います(帰国前はスポーツにしか取り組んでいませんでしたし)。

ちなみにこの三年で取り組んだ主な事は

  • 学生団体副代表

  • 学生団体幹部×3

  • 団体代表

  • 長期インターン2社(1社はインターン生リーダー)

  • 個別イベント開催

  • セミナー開催

等ですかね。
他にも様々な分野を学んだり、イベントやコミュニティに参加したり、新たな友人ができたりと本当に様々な事があった三年間でした。

もちろんサッカーを続けているので、サッカーのトレーニング。そして野球も再びやりたくなったので野球のトレーニングも追加し、最近バスケも少しづつ始めました…笑

このようにこの三年間は勉強・活動・トレーニングとものすごくシンプルな生活でしたがとても多くの新しい経験を積めました。

しかし、みなさんお気づきでしょうか?

そうなんです。実はこれだけ多くの事を挙げてみましたがこれ、実は全部一人でお家でやるか公園でやるかどちらかなんですよね。

家でPCとにらめっこし、道具を片手に公園へ、そしてシャワーを浴び、またにらめっこ。

そうです。この三年間これをひたすら繰り返し、呼ばれた肩書きは

「体育会系ニート」

基本家ですがしっかり動いてもいるので健康です。ニート最強。好きな事だけできる。

こうして「ニート」を本職にし、充実した三年間を過ごしました。

4.イタリア留学第二陣~念願の大学デビュー編~

そんなニート生活も遂に終幕を迎えます。そうです。この秋、橋本龍来、
無事学生になります!!!!

高校卒業から大学デビューまでかかった時間なんと3年。もういっかい高校生できたやん。

今年の春先から留学に向けた準備を開始し、夏から大学入学に向けた準備をしていました。

なんかめっちゃ大学合格できました!!みたいになっちゃってるんですけど、イタリアの大学。実は。ほぼ誰でも入れます…

俗にいう入るの簡単、出るのが難しいっているやつですね。
聞いたところイタリアの大学は出るもの簡単なようですが笑

入試も3分間の雑談で語学能力をチェックし合格。
これやる意味あったんか…っていうくらいの内容…

好きなスポーツは?
なんでこの学部なの?

とかそんなこと聞かれました。
この辺のイタリア大学進学の流れと内容はちょっとしっかりまとめたい灯っているので詳細はそちらで!

そんなかんやで無事ペルージャ大学実験医学科スポーツ科学学部に合格しました。

大学では複数ある夢のうちの一つのサッカー監督に向けた事を学びます。
学部名から分かる通り、スポーツ科学を学び、しっかりサッカー監督として成長をしていきたいと思います。

イタリアの大学は三年間!

テストも受ける時期を選べるようで、2月頃、7月頃、9月頃、12月とテスト期間が複数あり、好きなタイミングで好きなテストを受けられます(戦略大事そう)。

まあ、正直ここから特に最初の一年が今までの中で一番しんどい一年になると思います。

ですが、その分夢に近づくこともできると思うので、しっかりと考えながら取り組んでいきたいと思います。


5.今後の展望


とりあえず今後の進路ですが一旦2025年に大学は卒業します(留年せずストレートで卒業したい)。

だから25卒に僕はなると思うのですがここで疑問が一つ!
皆さんは3月で卒業し4月から社会人になりますが、僕は5月に卒業です。
つまり、新年度に入ってもなお卒業できておりません!これでは入社できない!?よね!?
だからたぶん一年間またニート期間のある就活生になるのかなぁ(#26卒)

とまあ、日本で就職する場合を考えるとこうなりますが、おそらくこうはならないでしょう。

今のところの僕自身の希望進路はイタリア以外の欧州の大学院(現時点ではポルトガルとデンマークが候補)に進学するつもりです。

そしてその後はまずはイタリアで必死に就職してできる限り長く滞在したいと思っています(永住が夢なので)。

もちろんその時の状況では一度日本に帰ってくる選択肢ももちろんあり得ますが、第一希望は欧州に残ることです。(帰ってきた場合は28卒…)

そんな感じの進路を思い描きながら、今取り組んでいる活動を続け、そこでの目標をしっかりと達成し、今自分の掲げている夢を全て達成できるように、サッカーや学業に限らず他の分野もうまく両立していきたいです(イタリアに行っても今の活動はすべて継続します!)。

そしてその先に自分の思い描いた夢がかなっていることを願っています。

そのために、まずはイタリアの地でよく学び、よくトレーニングをし、良く寝て、良く遊びたいと思います。

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