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ミスは分析が肝心


「サッカーはミスのスポーツ」

とよく言われます。味方と同じ数の敵がいる中で、なおかつ足でボールを扱うサッカーにミスは付き物です。

実際の試合におけるスコアを見ても、90分間で1点を争うロースコアな試合が多いですし、4点5点と入る試合はトータルで見れば非常に稀です。

それはつまり何を意味するかと言うと、ゴールを一つの「成功」と考えた時に、ほとんどのプレーはどこかでミスとして、つまり「失敗」として終わってしまっているということです。

自チームがボールを保持している時は常にゴールを目指しているわけですから、どこかでそれが叶わなくなった時というのはミスが起きた時ということになります。

ゴール前まで上手く運べてもシュートミスをしてしまうこともあれば、途中でパスミスをしてしまうこともあるわけです。

だからこそ、ミスとの向き合い方が大切になると考えています。

そこで重要になるのが「ミスの分析」です。

試合中に起きるミスには大きく分けて二つあると思っていて、一つは「ヒューマンエラー」で、もう一つは「システムエラー」です。

これはスポーツに限った話ではなくて、色々なところで議論されているわけですが、サッカーにおいても、この棲み分けと対策が非常に大切だと考えています。

サッカーにおける「ヒューマンエラー」は、簡単に言うと単純な技術ミスや判断ミス、能力的な不足などが考えられます。

逆に「システムエラー」というのは、構造上ミスが起きる状態が生じてしまっている場合や、選手の能力を引き出しにくい環境をイメージしています。

ただ、この棲み分けで難しいのは、両者が切っても切り離せない関係にある部分だと感じています。

というのも、一見選手の単純な技術ミスに思えるプレーでも、実はその裏側にそのミスを誘発するシステムエラーが潜んでいたりするのです。

だからといって、選手自身がミスをシステムエラーだと片付けてしまうことには大きな問題があっえ、たとえそれがシステムエラーであったとしても、自力で解決してしまえる選手が「良い選手」の条件に挙げられるようにも思います。

だからこそ、それぞれがミスの原因をフラットに分析し、改善に繋げていくことが大切になるわけですが、これが非常に難しいと感じています。

「矢印を自分に向けて」とは、よく言われる言葉ですが、これを本当に体現できる人はそこまで多くないように思います。

誰だって自分の非を認めるのには痛みが伴います。これは精神的なダメージになるだけではなく、物理的に自分の地位や職を失うことに直結することだってあるわけです。無意識のうちに自分を守ろうとする本能のようなものが働くことだって自然なことでしょう。

その中でも、自分のプレーに責任を持って、ミスを自分で受け入れて改善していける選手は、評価されていくのだと思います。

ただ、それが100%正解かと考えると、そうとも言い切れないようにも思うのです。

自分が良くなかったから...自分がこうしていれば...。

こういった考え方は一見すると、とてもストイックで好感の持てるスタンスのようにも見えますが、これはこれである意味では「冷静な分析が出来ていない」となってしまう場合もあるわけです。

つまりこの考え方によって、その背後に潜んでいたシステムエラーに気が付けないという弊害が生まれる可能性があるということです。

何度も言いますが、このヒューマンエラーとシステムエラーを冷静に分析して改善していくことは非常に難しいことだと感じています。

一つのミスを題材に取り上げたとしても、同じ状況で違う選択をした場合の結果は誰にも分からないわけですから、どれが正解だったのかも分かりません。

そこに監督や選手個々の価値観や感情が関係してくるとなると、さらに分析は難しくなるでしょう。

だからこそ、試行錯誤して改善していく過程が面白いとも言えるかもしれませんし、ミスの分析においても、正解が出ないことに魅力があるのかもしれません。

ただ、僕が大切にしたいと思っていることは、ミスに対して出来るだけ冷静に、そしてフラットな目線で向き合えるように、ということです。

ミス、つまり失敗。

失敗したときこそ、冷静に。
うまくいかない時こそ、冷静に。

個人的に、大事にしたい考え方です。

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