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松田直樹メモリアルゲームから10年。再びサッカーに触れ誓ったあの日。

2012年1月22日。
あの日から、10年の月日が経ったのか―。
ふと昨日そんなことを想った。

私はあの日、再び文章を書くこと決めた。
あの日の試合を観に行くという決断をしなかったら。
私は今 サッカーを観れていなかったかもしれない。
私は今 サッカーを書いてなかったかもしれない。

「楽しもうぜ、サッカー」
本人はピッチにはいないのに 強烈にそのメッセージを受け止めた。
もうサッカーは観に行けないかもしれない、もう私なんかに価値なんてないと
そう縮こまっていた私に「なにビビってんだよ」って。
そう本当に聞こえたのだ。

日産スタジアムで松田直樹の追悼試合「松田直樹メモリアルゲーム」開催のあの日から10年が経った。

はじめてサッカーから離れ感じた「空気」がない苦しさ。

2011年8月。
1本の電話だった。
『直さんが倒れたって。なんかちょっとやばいって。』
震える声で、確実にいつもの感じではない空気感の電話だった。
横浜に住むその友達は、松田直樹やマリノスの選手たちがよく訪れていた居酒屋の常連客で、何度も店内で会う内に交流が始まり松田直樹の飲み仲間の一人だった。

…こう思い出して文字にするだけでも、心がいまだにあの時のザワザワを呼び戻す。
その一報でツイッター見て、と言われ確認すると松本山雅の練習場で実際に松田直樹が倒れた場面を見ていた人のリアルな投稿がすでに巡っていた。
それを目にして手が震える。え?嘘でしょ?悪い冗談じゃなくて…?
頭が気持ちがその情報を拒絶するような、信じたくない言葉の羅列。
少し経って、ニュース速報が流れた。大手新聞社やメディアが報じた。
真実なのだ、と受け入れるしかなかった。

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『追悼試合やるって。日産で。行かなきゃですよ、これは絶対に』
そう連絡をくれたのは、相棒だった。
長く仕事をしてきた中で「相棒」と呼べるほどに共にサッカーを舞台に働き、お互いの夢と目標を意見をぶつけながら仲を深めてきた彼女は当時大手スポーツメーカーで勤務、そして今は日本サッカー協会で働く。
当時、私個人のことながら、松田直樹が亡くなったという大きなショックの後、なぜこんなにも難が降り注ぐのかと本気で悩むほどにいろいろなことが起きた。
結婚し出産を経て、サッカーの仕事からは遠ざかった。フリーの仕事なだけに自主休業なような形で、当時は主婦であり母であることを最優先に、小さな娘を連れてサッカーを応援する側として楽しむ日々を過ごしていた。

Jリーグ開幕前に、偶然目にした三浦知良選手のブラジルからの帰国記事からサッカーに出会い、私はカズからサッカーに魅了されたにも関わらず所属する読売ではなく、日産というサッカークラブに興味を持った。
Jリーグが開幕して横浜マリノスの試合をどうして観に行きたいと親に頼み込んで、スタジアムに初観戦に行くとその雰囲気に圧倒され夢中になり、サポーターという言葉を知った。
札幌と横浜を往復するうちに、ゴール裏中心部の大人たちが北海道から来ているまだ子供な私を引っ張って声を出すことに誘ってくれた。
声を出すことが、紙吹雪を舞わせることが、襷を持って飛び跳ねることが、伸ばした手の先に応援を届けることが。
こんなにも楽しいなんて、こんなにもやりがいがあるなんて、と自分の場所を見つけた そんな気がした。
ゴール裏から必死に応援するそのピッチの上の選手となる対象として、松田直樹という選手の名前を聞いた。
高校選手権に出場するからチェックしよう。サポーター仲間となった大人たちが話していて高校選手権をチェックしたのが私の中の松田直樹のスタートだ。

そんな頃からずっと観てきた、当たり前のように大袈裟ではなく空気のように存在していたサッカーから一時、距離を置いたのは松田直樹の死の現実から数か月経った頃だった。
「空気」がないと当然、とても苦しい。サッカーから離れた生活は、とてもとても苦しかった。
松田直樹の突然の訃報が原因ではなく、さまざまな理由があってのことだったがサッカーを観るようになってからはじめて、サッカーから離れた。

鬱ってきっとあの状態を言うのであろうと振り返ると思うほどに、日々の生活も育児も家事もすべてが真っ暗でできなくなっていた。家族にも随分と迷惑も心配もかけた。
そんな中、不幸は不運にも連鎖を起こし、実の兄が亡くなった。松田直樹と同じく心筋梗塞によるもので、突然だった。
私の父も祖父も若くして心筋梗塞で亡くなり、兄も同じく若くして突然亡くなった。松田直樹の心筋梗塞もあったことで、より自分自身の遺伝的な血にも不安を抱いていた。
負の連鎖はさらに、自分の身体に異変を起こしていた。ガン検査で引っかかりかなりグレーな状態、より詳しい検査を進めてもグレーのまま変わらない。
鬱状態と深い悲しみによって、そして「空気」を失ったことで身体のバランスが崩れていた。

人生ではじめての手術という言葉に、呆然となった。
ガンという言葉は重く、生と死についてとても深く考えるようになり、当然恐怖心に襲われた。
この愛する幼き手を私は病気を前にして離すのかもしれないと思うと、気が狂いそうになった。
生と死を人生ではじめて真剣に恐怖心を持って向き合った。

そんな中、受けた電話だった。
松田直樹の追悼試合が開催される。場所は日産スタジアム―。

「サッカー観に行ってくる」その言葉を噛み締めた日。

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札幌に住む私にとって決して近い場所ではないが、松田直樹にとって特別な場所であることはもちろん、マリノスで育った(と思っている)私にとっても特別な場所だった。
まだなにもなかった場所に造られている「横国」を確認するだけのために、サポーター仲間と共に電車に乗ってすげー!と声を上げたあのスタジアム。
横浜Fマリノスになる時、合併反対を訴えたサポーターの中にいた私は、その出来事以降はサッカーの仕事に就くことも目標に進んだ。
長い時間が経過しても、松田直樹がマリノスのユニフォームを着て立つ姿は特別で、仕事であってもプライベートであっても毎年必ず一度は足を運び観てきた場所だ。

相棒は、サッカーという空気を失った私になんとかして空気を入れようとしてくれていたことが今ならわかる。
「直さんに会いにいきましょう」そう誘ってくれた。

家族も空気を失って苦しんでいる私を心配していただけに、行っておいでと快く送り出してくれた。
日産に行くため、と予定が出来たことでその前にある検査のために受ける手術を乗り越えなくてはと思うことができた。

たった数ヶ月前には当たり前ののことだったのに、「サッカーに行ってくるね」という言葉が行動が、こんなにも嬉しいなんてと噛み締めた。


新横浜の駅からスタジアムまで歩く道には、マリノスや松本山雅のサポーターを中心にさまざまなチームのグッズを身に付けた人々が大勢歩いていた。
活気のある「これからサッカーに行くぞ」という空気は、私に久しぶりの「空気」を与え、必死に息を吸った。
ピッチに松田直樹はいない―。
しかし、松田直樹がそこにいると感じさせる時間がそこには在った。
松本山雅やマリノスOB、そして直樹フレンズと、日本サッカーを代表する選手たちと直樹と最期に仲間として戦った選手たちが笑顔でボールを蹴る姿を観て。飛び交うボールを追って。
『サッカーって楽しい』を強く思い出させ、引っ張り出してくれた。

目の前の光景を 松田直樹の多くの背景を
残すために伝えるために、自分の頭の中に文章が浮かぶ。
今この文章を打っているように、PCのキーボードを叩くような感覚で文字が言葉が並んでいく感覚があった。
『なにビビってんだよ』
そう声が聞こえたのだ。『こんなに楽しいのに』。

サッカーの在る場所がこんなにも好きなのに。
サッカーを伝えたいと文章がこんなにも浮かぶのに。

日産スタジアムからの帰り道、新横浜の歩道橋の上で相棒に決意を込めて言った。
『…また書くよ。必ず戻るから、待ってて』
相棒は驚いた顔をしてから笑顔で『そうですよ!まだまだですよ!早く戻ってきてくださいよ!』といって、涙を流してくれた。
心配させていたなという実感と、まだ私を待っていてくれている人がいるという心強さ。

この日、覚悟を決めた。
また1から目指そうと。

すぐに戻れるほど甘くはなかったし、なんでも引き受けた。自分にとってはじめての分野の執筆から再開して、いろんな業界の執筆を担当した。
様々な業界や企業とやり取りをして毎回指摘され、一丁前に反論したりして。怒られて。自分はプライドだけ高くて、全然使えないんだなってことも思い知った。
スポーツ以外のことを書いて、こういう書き方も伝え方もあるのだと勉強して、目の前の仕事に対して「サッカーに戻るための階段」としてではなく、きちんと向き合ってその中で楽しさも厳しさも現実もしっかりと勉強した。
サッカーにはいつ辿り着けるかわからないなと思いながらも、文章を書くというスキルをとにかく磨くことがやりがいとなって、「空気」となった。

もう苦しくなかった。

そして今、私は文章を書いている。サッカーと向き合う日々だ。

試合の後、松田直樹の親友であり同期だった安永聡太郎が最後の挨拶をする際、何度もマイクトラブルが起きてノイズのような雑音が入った。
「直樹の仕業ですね。アイツこういうことするんですよね笑」と話す。
会場にいた人たちが笑う。
そうそう、そういういたずらを子供みたいにニヤニヤしてやるよねって、その場にいた人たち全員が思い当たる。
あの場に松田直樹が確実にいた。

あの日から、10年という月日が経った。
まだビビることはあるけれど、でも私はサッカーを伝え書いている。
良い選手がいるよ、こんな背景が見えたよ、と
たまには空を見上げて報告してみようと思う。

サッカーって楽しいね、直樹。

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