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シナリオ             『戒山坊録 -うたた寝の記-』

戒山坊録    うたた寝の記   

 

          By Benjamin Joseph Sandahl


                             

    登場人物

 戒山(40) 廃寺、厳真寺に住み着いた破戒僧

婆さま(62) 村の住人

 

                              

 ○貧村・俯瞰
   雪の残る山間の村。
   迫り出した山裾を沿うように川が流れ、僅かばかりの緩斜
   面に水の抜かれた小さな田圃が刻まれている。
   粗末な小屋のような茅葺きの家屋が点在しているが人気は
   ない。

○同・田圃
   稲刈り後の稲株の残る田圃で、着物の裾をはしょり、尻丸
   出しで力んでいる伸びた頭髪、無精髭の坊主、戒山(40)。
   大きな体躯。汚れて色が変わった所々綻んだ襦袢の上に、
   色褪せた墨染の法衣を荒縄で留め、素足に半ばほどけた草
   履を履いている。
   破れて用をなさないような網代笠を背中に落とし、首から
   は極端に大きな数珠を下げ、腰縄に大きな瓢箪が留めてあ
   る。
戒山「(吃音ぎみに)な、なにも食わんでも、おんこはひりたく
 なるから、ふ、不思議じゃ」
   力む戒山。
   ブッと大きなおならを放つ。
戒山「屁ぇこいてばかりで、み、実は出んのぅ」
   股ぐらを覗き込み、
戒山「へへ……、しゃ、しゃらさぶいんで、は、林に、隠れとる」
   ジョボジョボ……と小便をする。
   小便の湯気が戒山を包む。
   表情の緩んだ戒山が  
   ブルッと震える。 

   タイトル
   『戒山坊録
       うたた寝の記  

○同・径
   寒そうに歩き来る戒山。
   笠を被り、手には欠けた茶碗を持っている。

○婆さまの家・表
   古い茅葺の貧農の家。
   戸の前に寒そうに立つ戒山、念仏らしき経を唱え始める。
   建付けの悪い戸が開き、顔を出す顔に深い皺を刻んだ野良
   着姿の婆さま(62)。
   戒山、右手で片合掌し念仏らしきを唱え、左手に持った欠
   けた茶碗を突き出す。
婆さま「生臭坊主にくれてやる物は、いっさらねぇずら」
戒山「そなこと、言わんでぇで。わ、わしのぅ、腹減ってのぅ、
 さぶうてのぅ」
婆さま「戒山坊、腰に酒があるら」
   笠を持ち上げ、
戒山「般若湯は、しょ、小便ばかりで、おんこは出ん」
婆さま「おんこぉ?!」
戒山「おぉ、そ、そうじゃ。婆さまぁ、よかこと、聞かせちゃる」
婆さま「いらんいらん」
戒山「そ、そう言わんで、聞きさらし」
婆様「なんじゃい」
戒山「あ、あんな、野糞ひるら」
婆さま「せんわ」
戒山「野糞んとき、いっとぅさぶいんは、ど、どこか知っとぅか」
婆様「そんなもん、知らんわ」
   ニッと笑む戒山。
戒山「し、尻の穴が、いっとぅさぶい」
婆様「……」
戒山「野糞ひるときは、し、尻の穴を、隠してひるさ。こんすれば、
 ちぃとは、さ、さぶうなくなる」
婆さま「尻の穴を隠してどうやってひる?」
戒山「(考える)……」
婆さま「帰ぇれ帰ぇれ」
   と、ガタピシと戸が閉まる。
   立ち尽くし考えている戒山。
戒山「婆さまぁ……」
   返事はない。
   笠を背に落とし、瓢箪を呷る戒山。
   寒そうにトボトボと去って行く戒山。

○厳真寺・土塀沿いの小径(夕)
   樹々に籠もるような烏の鳴き声  
   山門に上る石段に続く小径。崩れた土塀が続いている。
   笠を背に落とした戒山が瓢箪の酒を呷りながら歩き来る。
   烏の鳴き声に混じり、どこからか聞こえる赤ん坊の泣き声。
   立ち止まる戒山。
戒山「…………」

○同・石段(夕)
   山門に上る崩れた石段に、ボロ布に包まれた赤ん坊が泣い
   ている。
   呆けた表情で立ち尽くす戒山。
戒山「あ、あぁぁ……」
   周囲を見回す戒山。
   恐る恐る赤ん坊を抱きあげる。
   激しく泣く赤ん坊。
   戒山、困ったように慌ててあやし始める。
   赤ん坊の泣き声が少し弱まり  
   やがて、泣き止む。
   表情を緩めた戒山が、赤ん坊をあやしながら石段を上って
   いく。

○貧村・俯瞰(朝)
   朝靄に覆われている。 

○婆さまの家・表
   閉ざされた戸の前に立つ襦袢一枚の戒山。
   法衣に包んだ赤ん坊を抱いている。
戒山「婆さまぁ……」
   返答はない。
戒山「婆さまぁ、お、おるかぁ」
婆さま「(家の中から)まぁた戒山坊かえ」
戒山「あ、あんなぁ、婆さまぁ  
   戸が開き、顔を出す婆さま。
婆さま「生臭坊主にくれてやる物はないと  (絶句)」
戒山「あ、あんなぁ  
婆さま「その赤子は……」
戒山「……」
婆さま「どこぞから拾おてきた?」
戒山「て、寺の石段におった」
   泣き始める赤ん坊。泣き声は弱々しい。
   あやしながら、
戒山「どこぞの子ぉか、知らんかいのぅ」
婆さま「知らん知らん。そんねなもんは知らんけ」
   そそくさと戸を閉じる婆さま。
戒山「婆さまぁ……」
   婆さまの返答はない。
   戒山、泣く赤ん坊をあやす。
婆さま「(家の中から)戒山坊」
   戒山、閉じられた戸に顔を向ける。
婆さま「(家の中から)わるいことは言わんでぇで、その赤子をぶっ
 ちゃってこぅ」
戒山「……」
婆さま「(家の中から)その赤子は間引かれるはずじゃった子ぉずら。
 知っとう者がおっても、知らせる者はいねぇ」
   戒山、歩き去っていく。
婆さま「(家の中から)……村八分にはなりたかねぇけ」 

○吾作の家・表
   傾いた茅葺きの粗末な家。
   戸の前に立つ赤ん坊を抱いた戒山。
   建付けのわるい戸が開き、中から顔を出す吾作。
   吾作、赤ん坊を見るなり、慌てて戸を閉める。
戒山「……」 

○茂助の家・表
   ピシャリッと閉まる戸。
   戸の前に立つ赤ん坊を抱いた戒山。 

○貧村・小径
   赤ん坊を抱いた戒山が歩いている。
   反対方向から歩き来た鍬を担いだ村人、戒山の抱く赤ん坊
   に気付くと、慌てて脇の田に入り、戒山を避けるように迂
   回する。 

○同・村境
   路傍の古く小さな道祖神  にこやかに寄り添う男女像が
   彫られている  に赤ん坊を抱いた戒山が腰掛けている。
   寝ている赤ん坊のひび割れた唇を。 

○厳真寺・山門(夕)
   朽ち崩れ、かろうじて建っている色褪せた山門。 

○同・本堂・表(夕)
   荒れた境内に建つ、土壁の剥げ落ちた本堂から漏れる(堂
   内で焚いている焚火の)明かり。

〇同・同・中(夕)
   中央の敷板が剥がされ、そこに焚火が焚かれている。
   焚火の炎に浮かび上がる朽ちて煤けた釈迦牟尼仏像。
   焚火の脇に座る、赤ん坊を膝に抱いた戒山。
   赤ん坊は死んだように動かない。
   長い長い間  
   バチッと燠が大きくはぜる。
   戒山、瓢箪を一口呷る。
   大切そうに赤ん坊を抱き、ゆっくりと立ち上がる戒山。
   立て掛けてあった桟の外れた破れ障子から一片の障子紙を
   破り取る。 

○川原(夜)
   満天の星々  
   焚火が炊かれ、川原の石に腰を落とし、法衣に包んだ赤ん
   坊を抱いている戒山。
   戒山、瓢箪を一口呷る。
戒山「こ、ここはの、川原じゃ」
   動かない赤ん坊を。
戒山「ば、婆さまのとこに、行っとぅとき、川は、み、見たのぅ」
   法衣から覗いている赤ん坊に話し掛ける戒山。
戒山「川にはの、水が流れとる。そ、そこには、魚がいよる。魚は
 のぅ、水ん中を泳いじょる」
   顔を頭上に向け、
戒山「空じゃ。今は夜での、ほ、星が見えるじゃろう。ほれ、あの
 明るいのが星じゃ」
   赤ん坊に顔を落とし、
戒山「ば、婆さまのとこに、行っとぅときは、お陽さんが、出てたじ
 ゃろう」
   赤ん坊の顔を見て、へへへ……と笑う戒山。
戒山「見てみぃ。焚火は明るいじゃろう。温いじゃろう。お、お陽さ
 んみたいじゃろう」
   傍らに残る雪を手に取り、
戒山「こ、この白うて冷っこいのは、雪じゃ。空から降ってくる。こ
 れが石、あれが草。た、田圃には、あ、秋になると米が生る。そりゃ
 あ、美味いもんじゃあ」
   動かない赤ん坊を覗き込み、
戒山「山も見たのぅ。山にはの、木ぃがようさん、生えておる。そこ
 には、さ、猿や猪がおっての……」
   戒山、瓢箪を呷る。
   赤ん坊のおでこを触り、
戒山「ぬ、ぬかじゃ」
   眉を触り、
戒山「眉じゃ」
   め、鼻、口を触り、
戒山「目ぇ、鼻、口じゃ……」
   赤ん坊の腕を取り出し、
戒山「腕じゃ。手ぇじゃ。指じゃ。爪じゃ」
   赤ん坊の腕を法衣にしまう戒山。
戒山「わ、わしは坊主で、ぬしは、赤子じゃ」
   ゆっくりと立ち上がる戒山。
戒山「よ、よぅけ見ておけ」
   赤ん坊に話し掛けるように、
戒山「これがこの世じゃ。二度と生まれてこんように、よぉ
 く憶えておくのじゃ」
   戒山、近くの川に歩き、懐から破いた障子紙を取り出す。
   川のよどみに障子紙を浸す戒山。
   戒山、赤ん坊の顔(口鼻)を濡れた障子紙で覆う。
   しばしの間  
   瓢箪の酒を呷る戒山。
   カメラ、どんどんと引いていき、暗闇の中に満天の星々と小
   さな川原に焚かれた僅かに燃える焚火だけの画面となる。
戒山「この世はうたた寝。悪い夢を見ただけじゃ……」
   夜空に瞬く星々。
   スーッと流れる一筋の流れ星。  

                      了 

                              

 ※Benjamin Joseph Sandahlは私、小鎬風奔が映像等のシナリオを書
  くときに使うペンネームです

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