内容とは全く関係ない前書き 私の駄文を良く知る友人からはよくこう言われた。 おまえの駄文は文字ばかりでやたら長い。だから読む気が失せる。もっと短くしろ、と。 思いつくままをつらつらと書き綴るから駄文なのであって、当然に字数は増える。鋭く的確な語彙で、余分な贅肉をそぎ落とし、ズバッと本質を抉るような要旨明解な文章は駄文とは言わない。 そんなのが読みたければ新聞の社説を読めばよい。 と、強がりを言ってはみるものの、生涯に、請われて本の一冊くらいは出版した
ここ数年、断捨離の名のもとに自分の身の廻り品を極限まで整理し、Minimumな生活を送ろうとする人々が増えている。 それは良いとか悪いとかの問題ではなく、どういった生活を送るかという生活様式の問題だ。 それでも敢えて良し悪しを問うとするならば、物欲の権化となってゴミすら捨てられずゴミ屋敷と化した家に棲み近隣に迷惑を掛けるよりは、物への執着心がなくなり身も心もスッキリとして生活する方がより良いのではないかと個人的にはそう思っている。 思ってはいるが、自分がそうしたいか
戒山坊録 うたた寝の記 By Benjamin Joseph Sandahl 登場人物 戒山(40) 廃寺、厳真寺に住み着いた破戒僧 婆さま(62) 村の住人 ○貧村・俯瞰 雪の残る山間の村。 迫り出した山裾を沿うように川が流れ、僅かばかりの緩斜 面に水の抜かれた小さな
幼い頃、3つ離れていた妹とケンカをすると、よく母親に叱られた。 私は母親に私の正義を訴えたが、私の訴えは全く通じず、母は「おまえはお兄ちゃんでしょ」の一言で私に全責任を被せて終わるのが常であった。 恐らく、それには理不尽だが母親にとって簡便合理的な様々な理由が存在していたのであろうが、だからこそ大人の事情なのであって、決して純真な幼子に理解できるものではなかった。 例外的に積極的に相手を怒らせ揉め事を楽しむような人もいるにはいるが、基本的に争い事というのは互いに言
ウクライナでの戦争が始まった時分、人々の意見を知りたくてよくネットニュースのコメント欄を読んでいた。 コメントを読んでいて気になったことがあった。ウクライナの状況を日本に置き換え、中国や北朝鮮からの侵攻や攻撃に対する備えを声高に叫ぶ論調が実に多かったことである。日本の軍備拡張はもちろん、核の保持あるいはアメリカとの共同運用を主張する論調が目立った。 そんな非現実的なことを考えている人たちが少なからずいることに驚かされた。 どうも最近はガンジーのシンパサイザーは少ない
走る車。車内。 仁司「思っていたほど混んでなかったな」 パーカー「はい、渋滞を避けて来ましたので」 仁司「パーカーのお陰だな」 パーカー「ありがとうございます。ところで、何故私の名前はパーカーなの ですか?」 仁司「サンダーバードに出てくるんだよ」 パーカー「サンダーバード……。なるほど、レディペネロープのボディガー ド兼ショーファーですね」 仁司「さすが6G、早いね。ところで腹減ったな。どこか美味い飯屋ない?」 パーカー「この先の信号を左折し、およそ700m
人の命は尊い? おいおい、本気でそんなことを思ってんのか? 現実を見ろよ。人の命は軽いんだよ。いやいや、軽いなんてもんじゃない。無価値なんだよ。 いいか、人命は何ものにも代えがたいなんてぇのは、人命を如何にも尊く見せるための偽装だよ。プロパガンダみたいなもんさ。人間が同類を憐れむための建前にすぎないんだよ。 それが証拠に今日俺が死んでも、明日、世界が変わるわけではないだろ。 君が死んでもそれは同じだし、それが日本の首相であっても、アメリカの大統領であっても同じなんだ。
重厚なドアが開く音が高い天井の室内に響く。 スワリションベンツカヤ(秘書)「将軍、SFBのタチションスキー様がお見 えです」 ケツクサーシン「なに、タチションスキーが?! わかった、通してくれ」 室内に歩き入る足音が止まり、踵を揃える音が鋭く室内に響く。 タチションスキー「ケツクサーシン将軍閣下、お久しぶりです。お元気そう で」 ケツクサーシン「いつからそんな真っ当な挨拶ができるようになった、タチ ションスキー」 タチションスキー「相変わらずですな、同志
かなり昔のことになるが、私が短期間だがアルバイトしていたコンビニでの話をしよう。 今ではそのコンビニの運営会社は合併だか吸収だかされて看板を変えてしまったが、今でもそのコンビニは営業を続けている。 どこのコンビニでもそうであろうが、時間になると賞味期限の迫ったパンやおにぎり、弁当などを陳列棚から撤去する(当時はあまり総菜はなかったように思う)。 そのコンビニでは撤去した商品はオーナーがチェックし、全て廃棄される決りであった。廃棄されるパンや弁当は毎回買い物カゴ2個分
働けど働けど把猶わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る キングオブビンボこと石川 啄木の歌集『一握の砂』に収録された名歌とされる短歌です。 我が国のビンボと云えば彼と宮沢賢治がその双璧と言えましょう。 まぁ、実情は人並み以上の収入はあったもののその大半を女郎屋につぎ込んだというのが真相のようですが、結果としてキングオブビンボであったことは事実のようです。 赤貧の生活に疲れ、薄汚れた暗い部屋の隅に敷かれた万年床の薄い布団の上で、絶望した彼が自分の手をまじまじとみつめて
食品を温めるために電子レンジを使う。 だいたいこのくらいの重さであれば600wで約2分も温めればOKかな? ってんで電子レンジのタイマーを2分にセットしスタートボタンを押す。 誰の話かって? 誰って、私の妻の話に決まってンでしょうが。……決まってないか。まぁ、そんなことはどうでもいい。とにかく妻が電子レンジをかけるって話だ。 お膳の用意なんかをして、頃合いを見図って電子レンジの中を覗き込む。 残り18秒。電子レンジの前で待ち構え、妻は温め終わるのを待つわけだ。