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Living in the material world

 ここ数年、断捨離の名のもとに自分の身の廻り品を極限まで整理し、Minimumな生活を送ろうとする人々が増えている。

 それは良いとか悪いとかの問題ではなく、どういった生活を送るかという生活様式の問題だ。
 それでも敢えて良し悪しを問うとするならば、物欲の権化となってゴミすら捨てられずゴミ屋敷と化した家に棲み近隣に迷惑を掛けるよりは、物への執着心がなくなり身も心もスッキリとして生活する方がより良いのではないかと個人的にはそう思っている。
 思ってはいるが、自分がそうしたいかと問われれば、間違いなく全力で否定する。

 物質世界に対する精神世界の話をするのではない。
 現実として我々は物質世界の中で生きている。
 しかし、哲学や思想、あるいはそういった類の何かをもう少しだけ自分たちの生活に採り入れるべきではないのかと考えたりもする。
 断捨離生活もそういった意味で、ただ与えられてきた物質世界での生活にほんの少し精神世界的な抵抗を採り入れた生活様式のような気もする。
 
 私の学生時代にケータイは存在しなかった。
 私がビンボで持てなかったわけではなく、この世に未だ携帯電話がデビューしていなかったのだ。DocomoもauもSoft Bankもなかったのである。
当然に誰も持っていなかった。出先からの電話は、公衆電話から家電に掛ける以外なかった。
 
 それでも友達と待ち合わせすればきちんと会えたし、デートだってそれでしっかり落ち合えた。なんとなれば駅には手書きの伝言板という黒板が置かれていて、それで十分に……というわけではなかったかもしれないが、少なくとも当時、不便を感じたことはなかった。

 だが、今更、スマホのない生活を送れといわれても不便どころか、そんな生活は考えられないくらいに不安になる。
 これが恐ろしい。
 
 先日、このnoteに『戒山坊録  うたた寝の記  』というシナリオを投稿させてもらった。

 このシナリオを初めて書いた当時、破戒僧が主人公の話を思い付き、時代背景は武士、それも統制のとれた武家社会の出現以前のある程度無法がまかり通った時代を想定して書いたという記憶がある。
 具体的には武田 勝頼が死んで数年後を想定して書いた。
 内容が時代背景に合致しているかどうかは別として、今から四百数十年前を想定して書いた物語ということになる。

 残念ながら読んでいただいた人数は僅かだが、それはそれで致し方ない。私の作品が面白くないということであろうから。
 
 しかし、個人的にこの作品にはかなり思い入れがある。
 この作品は今から数十年前、まだ私が若かったころに書いたもので、当時、朧げな作品の形はあったが、主人公のキャラクターづくりに悩んでいたときで、母親との会話の中の一言が、突如、私の頭の中に“戒山”というキャラクターを舞い降りさせた。
 戒山という名前も頭の中にキャラが降り立ったときには既に決まっていた。

 余談だが、この『戒山坊録』は投稿した以外にも数話創作したが、私がストーリーを創ったことはない。
 頭の中で勝手にキャラクターが動いて話を創ってくれた。
 私はそれを字ずらとして体裁を整えるだけでよかった。
 
 その後、この『戒山坊録』は、今回投稿した回だけでも数回書き直している。
 初稿はもっと粗削りだが、もっともっと感情的になれる、若かった頃の自分のエネルギーというかパッションというようなものが感じられる作品であったように思う。書き直す度に、そういったものが削り取られていくように感じてきた。
 だから、今回noteに投稿したのを最後の書き直しと決めている。

 話を戻そう。
 書き直す度にいつも感じていたことがある。
 赤ん坊を抱いた戒山が夜の川原に降り、そのとき戒山が目にすることができた、周囲にある様々な物を赤ん坊に教え聞かす場面がある。
 その場面を書くときに、私は戒山となり、赤ん坊を抱いた戒山=私の身の廻りに見えた物には何があったかのかを想像するのであるが、これが実に出てこない。

 今であれば山の鉄塔とか道路の街灯とか、橋や看板なども見え、車の音や空を飛ぶ飛行機やヘリコプターの音も聞こえるだろう。
 だが今から400年以上前の片田舎の貧農の村で、いったい何が見え、どのような音が聞こえたのか、私には想像がつかなかった。  
 
 物質世界に棲む私たちだが、言葉はMaterialではない。
 だが、Materialの副産物として様々な新しい言葉が産まれてきたと私は考えている。
 例え、物質でない概念のような言葉でも、遡って、それが言葉となる過程では必ずMaterialが介在しているように思うのである。
 何故なら、Spiritualなものに言葉は不要だからだ。

 今、私は仕事場の事務机の上でこれをノートPCのワープロソフトを使って書いている。
 部屋には神棚があり、エアコンが稼働し、足元には電気ストーブが灯いている。
 デスクの上を卓上ライトが照らし、デスクトッブPCとマウス、ティッシュ、デスクの隅には印箱と朱肉が置かれ、その脇に私の眼鏡も放ってある。
 部屋の壁にはカレンダーやポスターが貼られ、コピー機をはじめプリンターや電話、さまざまな文具類など、全て合わせれば恐らく数千点、否、数万点の品々があるだろう。
 驚愕すべきことは、それらには全てに名前があり、それらの名前を私たちは知り覚え、尚且つそれらを作動させ、使いこなしているということだ。

 果たして、400年以上前の寒村の貧農の家の中にどれほどのものがあったであろうか考えてみてほしい。
 そこにどれほどの道具類があり、それらを使いこなすのにどれほどの知恵が必要であったか、現在と比較してみてほしい。
 
 私たちは極端な物質世界に生きている。
 テクノロジーの進歩は日進月歩どころではない。分進時歩だ。
 今はなくとも、半年後に空飛ぶタクシーが営業を始めると言っても誰も驚かないだろう。
 タイムマシンが極々近い将来できると私は信じている。

 私は昭和の生まれだが、つくづく良い時代に生まれ育ったと思っている。
 それは、私が思う未来よりはずっと人間らしい環境の中に生まれ育ってきたと思うからで、今以上にテクノロジーの進んだ、言うなれば究極の物質世界というのは、少なからずストレス負荷の大きな社会と言えるのではないだろうか。

 かつて、ジョージは言った。
 ジョンとポール、そしてリッチーとも物質世界の中で出会ったと。

 私は思う。
 ジョンもジョージもいいときに死んだ。

 私はAIが人間と対立する前に死にたいと思っている。


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